辞世の歌 その4「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」(柿本人麻呂)

「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」(柿本人麻呂) 柿本人麻呂はいわゆる「歌聖」と称えられる人物です。持統天皇の御代に宮廷歌人として活躍し、草壁皇子や川島皇子への挽歌をはじめ皇室の折々の儀礼に際しみ...

辞世の歌 その3「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子)

「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子) 時は679年、天武天皇とその六皇子は吉野へ行幸し、次期天皇を「草壁皇子」にすることで結束しました、「吉野の盟約」です。天武天皇は「壬申の乱」という未曽...

辞世の歌 その2「岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む」(有間皇子)

「岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む」(有間皇子) 有間皇子は存在が確かな人物です。父は第三十六代天皇の孝徳天皇、叔母には皇極天皇がいて従兄弟にはなんと中大兄皇子(天智天皇)がいる。血統の由緒は抜群...

辞世の歌 その1「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」(倭建命)

「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」(倭建命) おそらくこの歌が、「辞世の歌」として一般的に知られる最も古いものでしょう。詠み人は倭建命(やまとたけるのみこと)、古事記に載る神話が出典となっています。...

辞世の歌「序」

「辞世の歌」と言っても、現代の人間はあまりピンとこないかもしれませんね。これは文字どおり人がこの世を辞する、つまり死を前にして残した歌のことで、一般的には、例えば豊臣秀吉や吉田松陰のそれが広く知られています。 「露と落ち...