辞世の歌 その7「九重の花の都に住みはせてはかなやわれは三重にかくるる」(小野小町)

「九重の花の都に住みはせてはかなやわれは三重にかくるる」(小野小町)

小野小町は先の在原業平と同じく六歌仙に数えられ、古今東西に広く知られる歌人のひとりです。しかしその出自は謎めいていて、それゆえに日本の各地にいわゆる「小町伝説」を生みました。

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辞世の歌もそのひとつでしょう。「かくる」つまり臨終の地である三重とは「三重の里」、現在の京丹後市大宮町のあたりだとされます。ところが鴨長明の「無明抄」によると、在原業平が「陸奥の国の八十島」というところで、小町の髑髏と出会ったエピソードが記されています。抜粋してご紹介すると…

陸奥の国に至りて、八十島とふ所に宿りたりける夜、野の中に歌の上の句を詠ずる声あり。その言葉にいはく、
「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」(秋風が吹くたびに、ああ目が痛い、痛い)
ただ死人の頭ひとつあり。明くる朝になほこれを見るに、かの髑髏の目の穴より、すすきなむ一本生ひ出でたりける。そのすすきの風になびく音のかく聞こえれば、あやしく覚えて、あたりの人にこのことを問ふ。ある人語りていはく、「小野の小町この国に下りて、この所にして命をはりけり。すなはちかの頭、これなり」といふ。
ここに業平、あはれに悲しく覚えければ、涙を抑へつつ、下の句を付けたり。
「小野とはいはじすすき生ひけり」(これを小野小町の髑髏とは言うまい、野にはただすすきが生えているだけだ)
とぞ付けける。

小野小町は「絶世の美女」であったという伝説が翻って、謡曲の「七小町」が代表するように落魄した姿が盛んに描かれましたが、このエピソードは死んで髑髏となり、目があった部分からすすきが生えているというなんとも凄まじい様が描かれています。業平がをこれに気づかぬふりをした、というのは同じく歌をして世を渡った、風雅の友への敬意だったのでしょう。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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