和歌の本質論(自然とは、美とは、感動とは)

和歌は「自然」を主題とする、恋であっても心は自然に仮託して歌に詠まれる。ところで自然とは花鳥風月、目に映える事物に収まらない。自然とは移ろうひやまぬ無常が具象した姿であるのだ。 「無常」、それは宇宙を支配する唯一の真理。...

七夕のと渡る舟の梶の葉にいく秋かきつ露のたまづさ(藤原俊成)

習俗に詳しい人などは七夕の願い事は短冊ではなく「梶の葉」に書くものだと知った風に言うかもしれない、確かにそうであったろうが八代集の七夕歌をみてそれが分かるのは僅かに二首に過ぎない、ひとつが後拾遺集の上総乳母※、そしてもう...

七夕の天の羽衣かさねてもあかぬ契りやなほ結ぶらむ(皇后宮肥後)

これほど艶めかしい七夕歌があったろうか。『何度も何度も重ねても、ふたりは満足できない恋を結んでいるのだろう』。「重ねる」はもちろん「年に一度の逢瀬」であるが、加えて互いの「体」を思うとき、牽牛と織女は彼方天体のアルファ星...

袖ひぢてわが手に結ぶ水のおもに天つ星合の空をみるかな(藤原長能)

勅撰和歌集の見どころの最大は歌風の表われだろう。これが漠然としている集は、なんとなく面白味に欠ける。これまでの七夕歌で万葉集と古今集の歌いぶりを鑑賞してきたが、新古今集もやはり新古今集といった特徴をはっきりと感じることが...

大空をわれもながめて彦星の妻待つ夜さへひとりかも寝む(紀貫之)

「ひとりかも寝む」。この馴染みやすくていかにも和歌らしいフレーズは、実のところある時期に起こった一過性の流行りに過ぎない。その時期というのが新古今であって、立役者は定家とみてほぼ間違いない。今日の歌も詠み人は貫之であるが...

今宵こむ人にはあはじ七夕のひさしきほどに待ちもこそすれ(素性)

今日の七夕歌も古今集また素性法師らしい一首だ。『今夜来る人には逢わない、だって織女のように長く待つようになるのはやだからね』。昨日と同様に七夕伝説をネタとして扱いながら、ウィットを洒脱に効かせている。和歌というと情趣が連...

天の川浅瀬しら浪たどりつつ渡りはてねば明けぞしにける(紀友則)

七夕伝説への憧憬を素朴に歌った万葉歌人はどこへやら、古今歌人達にとって七夕はもはやネタの一つに過ぎないようだ。『天の川の浅瀬を知らなかったので、川を渡る前に夜が明けちゃったよ~』。年に一度の逢瀬の感動なんてまったく無視、...

→「わくわく和歌ワークショップ(葉月の会)」8/25(日)9:50~11:50