歌僧 内田圓学 ご紹介

歌道と仏道を一心に歩む非僧非俗の凡夫

こんにちは、わたくし令和和歌所(歌塾、あかね歌会)を主催しております内田圓学と申します。非僧非俗を理念とした真宗僧侶であり、歴々の歌僧の跡を追って現代に新たな古典和歌を示さんと孤軍奮闘しております。

育ちは須佐之男命はじめ柿本人麻呂また後鳥羽院など所縁深い和歌の聖地たる島根。大学で日本美術などを学び、蒔絵師松田祥幹に師事して伝統工芸「蒔絵」に打ち込んでいたところ、琳派を慕って伊勢や源氏物語に思いを馳せるうち、日本美に認められる「もののあはれ」の原点はやはり「和歌」なかでも「古今和歌集」にあると覚り、歌道を本格的に歩み始めました。
その後、様々な旧歌に学び歌僧頓阿に私淑するに至って、明治以降途絶えた和歌文化の再興ため「令和和歌所」を開設、古典和歌に親しむ「歌塾」などを起こし、活動の幅を広げています。

今私が最も申し伝えたいこと、それは古典和歌とは単に鑑賞や教養の対象ではなく、令和という新たな時代にも生きる文芸(詠み、書き、歌う)であるということです。「詞は古きを慕ひ心は新しきを求め…」という定家の言葉は今も生きています。

ぜひみなさま、日本文化のそして日本人の心の源泉である和歌に親しみましょう。そして「歌道」に生き、ともにその名を刻もうではありませんか。

(歌僧 内田圓学)

「令和和歌所」とは

活動略歴

2015年
  • 和歌と古典を遊びつくす「平成和歌所」開所
2016年
  • 上野の着物屋で「百人一首とかな習字」講座開始
  • 「ラジオ和歌マニア」配信開始
2017年2018年2019年2020年2021年2022年2023年

NHK「英雄たちの選択(百人一首)」での雄姿
何かをしゃべる和歌DJ
西行ら歌僧を追いかけて仏門へ

内田圓学の作品

秘伝☆古今伝授

四季を味わうルールブック

百人一首の歌人列伝

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私を突き動かす「胸熱」の言葉

私みたいな無精な人間が、飽きもせずに和歌を探求しているのには理由があります。それは憧れの先輩が“私のため”に残してくれた「胸熱」の言葉が後押ししてくれるのです。今回はその一部をご紹介しましょう。

『胸熱』の言葉 その1

歌に師匠なし、ただ旧歌を以て師となす。心を古風に染め詞を先達に習はば、たれ人かこれを詠ぜざらんや
(「詠歌大概」藤原定家)

悲しいかな現代日本、古典和歌を教えてくれるような先生は誰一人おりません。古典知識の豊富な学者はいるかもしれませんが、実際に折々に和歌を詠んで風流を楽しもうなんていう“本物の歌人”はいないのです。
ですから私自身、ほとんど独学でやってきました。そこに不安がないといえば嘘になるでしょう。しかし『歌に師匠なし』、定家のこの一言によって私の迷いは吹っ飛んだのです。

藤原定家は名歌を沢山残しましたが、名言も沢山残してくれました。

「 詞は古きを慕ひ心は新しきを求め、及ばぬ高き姿を願ひて …」(近代秀歌)
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ…」(明月記)

それは挙げればキリがないほど。
和歌の道に迷ったら、迷わず定家先輩に教えを乞いましょう。
そして『旧歌を以て師となす』
これを真摯に成せば必ず歌の道を成就すると私は信じています。

『胸熱』の言葉 その2

旅の物憂さもいまだやまざるに長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと又舟にのりて、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
(「奥の細道」松尾芭蕉)

元禄時代の芭蕉は、定家や貫之といった和歌のレジェンドと比較すると最近の人で、私にとって親しみやすくアニキ的な存在です。
芭蕉も定家同様に名言を多く残してくれました。たとえば「笈の小文」の冒頭、

「西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶におけるその貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし」(笈の小文)

などは、今も詠み人すべての指針となることでしょう。
しかし「奥の細道」こそ、私の心の炎を掻き立ててくれます。

そもそも奥の細道ですが、西行をはじめ藤原実方、奥州藤原氏など芭蕉にとって風流の先達を辿る旅でありました。私たちが古の偉人に思いを馳せるのと同じように、奥の細道の散文、発句は一途の憧憬の念で書き連ねられているのです。

胸熱の言葉は奥の細道のその最後に記されています。芭蕉らは春、江戸を出立し福島、宮城、岩手へ北上、新潟、秋田を経て岐阜の大垣に着いたのは秋、およそ半年の旅程で、歩いた距離は2400キロだと言われます。「旅の物憂さ(疲れ)もいまだやまざる」とは当たり前でしょう、それだけの長旅をしてきたのですから。にもかかわらず、芭蕉はこう言ってのけるのです

『伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて』

へとへとでありながら、それでも旅をやめない。そして奥の細道は新たな旅立ちを示しつつここで筆を置く、かっこよすぎやしませんか!

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(芭蕉)

旅の歌人(俳人)の本分とはこうであると、芭蕉は身をもって私たちに教えてくれます。

『胸熱』の言葉 その3

人麻呂なくなりにたれど歌のこと留まれるかな。たとひ時移り言去り楽しび哀しびゆきかふとも、この歌の文字あるをや、青柳の糸絶えず松の葉のちり失せずして、まさきのかづら長く伝はり鳥のあと久しくとどまれらば、歌の様をも知り事の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくにいにしへを仰ぎて今を恋ざらめかも
(「古今和歌集仮名序」紀貫之)

胸熱の言葉ナンバー1を挙げるとしたら間違いなくこの言葉、紀貫之による古今和歌集 仮名序の最終段です。

実のところ紀貫之こそ、私が最も親しみを寄せる歌人です。貫之というと知が勝り堅苦しいイメージを持たれるかもしれませんね、しかし彼の本分はまったくそうでありません。雅を貴びながら常に笑いを忘れない遊びの人、それが紀貫之なのです。言葉遊びを旨とした和歌からも明らかなのですが、私がまず感銘を受けたのは「土佐日記」でした。

「廿二日、和泉の国までとたひらかに願ひたつ。藤原の言實船路なれど馬の餞す」(土佐日記)

冒頭の旅立ちのシーンですがご覧ください、「馬の餞(はなむけ)」です。
「餞」に「鼻向け」を掛けているのです。まさにギャグの王道! このように土佐日記は貫之の遊び心で満ち満ちているのです。
そんな貫之という人間が大真面目に記した「古今和歌集 仮名序」。

『人麻呂なくなりにたれど歌のこと留まれるかな(略)歌の様をも知り事の心を得たらむ人は、今をこひざらめかも』

(人麻呂は亡くなってしまったが和歌は残っている。その心に共感できるような人は、古今集を世に出した、俺たちの時代を恋慕わないことなんてない)

貫之は仮名序の最後で私にこう訴えるのです、「和歌を慕う心があれば俺たちはいつも一緒だぜ!」と。

この一文に出会った瞬間、一千年前の憧れの歌人は身近な先輩となりました。このような偉大な言葉がある限り、私は何度も立ち上がることができます。そして迷うことなく、歌道を邁進していくことができるのです。

(歌僧 内田圓学)

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