辞世の歌 その12「無覚の聖衆来迎空に満つ」(空也上人)

語り継ぎたい辞世として、今回は歌ではなく句をご紹介します。平安中期の僧侶、空也上人の辞世の句です。

空也上人は「市上人」とも呼ばれ、民衆に向けて仏教を説いてまわった、当時としては稀なお坊さんです。もしかしたらその伝承よりも六波羅蜜寺に伝わる「空也上人立像」の方が有名かもしれませんね。ちなみにあの口から出る六体の仏像には意味があり、「南・無・阿・弥・陀・仏」という口称念仏を表しているのです。これは空也上人が「南無阿弥陀仏」と唱えると、その声が阿弥陀如来の姿に変じたとする伝承が由来となっています。すなわち「空也上人立像」は、空也上人が捨聖として民衆に念仏を説いてまわっている姿なのです。

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空也上人は日本における浄土教の先駆者と言われますが、それは辞世の句にも表れています。

「無覚の聖衆来迎空に満つ」(空也上人)

『無覚』とは無上正等覚のことで、端的に仏教における完全な悟りを意味します。その仏様たちが迎えに来て空に満ち満ちているという句。要するに、これは死に臨んで阿弥陀仏が多勢の菩薩を引き連れて極楽浄土に迎え入れる『来迎』を詠んだ句なのです。阿弥陀仏を一途に信仰した空也上人でしたが、臨終においてついにその念願は果たされました。句にはその眩いばかりの幸福感が示されています。

このように、空也上人は浄土門を先駆けて実践した人だとされますが、現在私たちが知る「他力本願」としての浄土教とは、少々異なる立場であったことを覚えておいた方が良いでしょう。

「極楽は遥けきほどと聞きしかど努めていたるところなりけり」(空也上人)

空也上人の一首。極楽とは遥かに遠い場所だと聞いていたが、仏道修行に励めばだれでもそこに行けるのだ。空也上人は、ここに浄土信仰における平等の感動を詠んだのですが、あくまでも前提は「努めていたる」という点にあり、「自力」であったのです。これが法然や親鸞らに至って始めて、念仏または信心を起こせば阿弥陀仏があまねく救ってくださる、いわゆる「絶対他力」を説きました。

ここからは私の想像ですが、おそらくあの六波羅蜜寺の「空也上人立像」は、あくまでも鎌倉時代の人々から見た空也上人の解釈だと思います(仏師は運慶の四男・康勝です)。空也上人の時代、平安中期にはまだ「南無阿弥陀仏」の六字名号は発明されていなかったはずです。それでも鎌倉時代の仏師が口から六体の仏像が現れる様を表現したのは、当時の浄土信仰の盛行以上に、法然や親鸞らに通じる、捨て身でもって民衆を救おうとする姿やその伝説に強く共感したからではないでしょうか。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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