辞世の歌 その3「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子)

「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子)

時は679年、天武天皇とその六皇子は吉野へ行幸し、次期天皇を「草壁皇子」にすることで結束しました、「吉野の盟約」です。天武天皇は「壬申の乱」という未曽有の後継者争いを当事者として経験しています。父も母も違う六皇子の結束こそが、大和の安定には不可欠だと考えたのです。

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しかしこの盟約を破る皇子が現れます。草壁皇子は天皇と皇后(持統天皇)の子ということで次期天皇の第一候補となったわけですが、実のところ人気、実力ともに圧倒していたのは大津皇子でありました。その大津皇子が謀反を起こしたのです。
結果的に謀反は失敗し、大津皇子は捉えられてその翌日に自害しました。この謀反を密告したのは、これまた六皇子のひとりである川島皇子だったといいます。そもそも大津皇子は謀反など起こすつもりなどなく、彼を脅威とみた持統天皇が企てたという説もあります。いずれにしても血なまぐさい時代でありました。

万葉集にある歌の題詞には「大津皇子、死をたまはりし時、磐余(いはれ)の池の堤にして涙を流して作らす歌一首」とあります。
これぞまさに辞世の歌でありますが、自分が殺されるという前に歌を詠むなんてことは尋常ならざるわざです。まして謀反が作りごとだったとしたら、昨日まで大津皇子はいつもの日常を送っていたんですから。歌はまさに「のどかなる日常」と「突然訪れる死」が対照され、言いようもない混乱があらわにされています。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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