秋の夜の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらむ(壬生忠岑)

古今集にはこんな雁の風情も歌われている。『秋の夜露はそれとして、雁の涙も野辺を染めているのだろうか?』。この歌を理解する前にひとつ質問をしたい、秋になると野辺に咲く草花が色々に染まるが、これは如何なる仕業によるものか? 答えは歌に出ている、そう「夜露が染める」のだ。これをメルヘンチックと鼻で笑うようでは粋な風流人にはなれない。さて、今日の歌はそれに加え「雁の涙」までもが野辺を染めるとある、この発想はもしかしたら忠岑のオリジナルかもしれない。ただこのような趣向もどこかわざとらしく、秋の抒情はそれほど深まらない。新古今のいわゆる「物語歌」のレベルに達するにはあと三百年が必要だ。

(日めくりめく一首)

秋風にはつ雁金ぞ聞こゆなる誰が玉梓をかけて来つらむ(紀友則)

さて、実のところ昨日紹介した慈円の雁は新しい趣向である。和歌の雁と言えば今日のような詠みぶりが常套だ。『秋風に乗って到来した雁の音が聞こえる! だれの玉梓(手紙)を携えて来たのだろう?』、ポイントは二つ。ひとつが“雁の鳴き声で秋を知る”、春に繁殖のためシベリアへと旅立った雁(帰雁)は越冬のため秋に舞い戻ってくる。もうひとつが“雁は手紙を携えた使者”である、中国の故事である「雁使(漢書、蘇武伝)」に由り、万葉集にもこれを踏まえた歌がある。二つのうちいずれかの趣向を踏まえれば、立派な古今風和歌は出来上がりだ。

(日めくりめく一首)

大江山かたぶく月の影さえて鳥羽田の面に落つる雁がね(慈円)

「雁に月」、歌川広重の浮世絵でも有名なこの取り合わせはいつ固定化されたのだろう、少なくとも八代集においては見つけるのに難儀する。
今日の歌は慈円、新古今集で見つけた一首だ。『大江山の尾根へ向かっ沈んでゆく月の光は冴えて、鳥羽の田んぼのうえに雁が降りてゆく』、月と雁がたんに取り合わされるだけでなく、いわゆる「落雁」がこの歌の趣向である。私も含め現代人は悲しくも雁と縁遠くなってしまい、この落雁を素直にイメージすることが出来ない。しかし広重の浮世絵も、また芭蕉の発句※も、遠路を経てなお悲壮の雁に心を寄せて生まれたものだ。そういえば和菓子の定番にもこの名があったなぁ。

※「病雁の夜寒に落ちて旅寝哉」(芭蕉)

(日めくりめく一首)

【和歌マニア(第92回)】英語で和歌 LESSON.1[ちはやふる]


今回は新企画、英語講師ろっこによる「英語で和歌」です! 和歌の三十一文字を英訳したらこんな感じ! 外国人翻訳家による英訳された和歌をろっこが解説します。今回のお題は在原業平の「ちはやふる」。竜田川は紅葉よりも流れが印象的!? 英訳で改めて分かる発見や違和感を語ります。
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思ひかねうち寝る宵もありなまし吹きだにすさへ庭の松風(藤原良経)

「松風」は昨日鑑賞したような侘しき情景と「待つ」という語が掛けられることから、恋歌で用いるのが適当だ。今日の詠み人は藤原良経、寂寞の余韻を歌わせたら並ぶものがいない名手による、恋の松風をご紹介しよう。
『待ちぼうけに堪えきれず、これからは眠ってしまう夜もあるだろう。そんな時は松風よ、少しでも静かに吹き衰えてくれ』。採られたのは新古今歌の恋四、題にして「遇不遇恋(あひてあわざるこい)」言わば破局が見えかけたころの恋だ。あの人はもう来ない、半ば諦めながらも「松(待つ)」心を捨てきれない、繊細な心のゆらぎが表現されている。さすが良経、期待通りの名歌である。

(日めくりめく一首)

身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く(明石の尼君)

三代集の四季にはほとんど登場せず、千載、新古今集になって好んで詠まれるようになったものには大抵これが影響している、源氏物語だ。「夕顔」「葵」「蛍」そして今日の「松風」、これら古今集などではお目に掛かることがなかった景物が一たび源氏物語のタイトルに抜擢され種ぐさの物語が与えらえるや否や、後世の歌人たちはこぞって私の歌に取り入れた。「源氏見ざる歌詠みは遺恨ノ事也」、俊成の一喝は相当重みのある言葉であっただろう。
さて今日の一首、「第十八帖 松風」の所以となった歌である。詠み人は明石の尼君、秋風吹き込む山里(大堰、現在の桂川の一部)でかき鳴らす琴の音に明石の浦を思い出すという趣向だ。以後、松風といえば秋のうら寂しい海岸風景を想起させるとともに、虚しく一人「待つ」抒情を重ねるようになる。

(日めくりめく一首)

いろいろに穂向けの風を吹きかへて遥かにつづく秋の小山田(阿仏尼)

『稲穂を吹き返す一陣の風。今にも刈り取られんばかりの豊かな田園はずっと先まで続いていて、(私の旅路に色を添えてくれているようだ)』。風もそして心まで晴れやかな秋の羇旅のワンシーンを思い起させる歌、詠み人は阿仏尼である。ただ、あの「十六夜日記」の旅は旧暦の十月十六日に始まっており季節が僅かに合わない、まして訴状を携えて行く旅は歌の様な心境では決してなかっただろう。しかし今日のような歌をみても、阿仏尼という人の不羈独立の気風が伝わってくる。

(日めくりめく一首)

秋の夜は山田の庵に稲妻の光のみこそ洩りあかしけれ(伊勢大輔)

雷を別名「稲妻」と呼ぶが、これの理由をご存じだろうか? 辞書を引くと古来、稲妻は「稲夫」と記し雷の光によって稲が実るつまり“稲が妊娠”するという信仰があったらしい。ちなみに本来「妻」も「夫」また「端」も自分から見て他端であるという意でいずれも「つま」と発した。
さて今日の歌であるが、山田に据えた庵から稲光が見えるという趣向である。先の語源を知れば、稲妻と田んぼの取り合わせに意味があることが理解できよう。詠み人は伊勢大輔、春だけでなく※秋の歌も優美である。

※「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」(伊勢大輔)

(日めくりめく一首)

雲きえし秋の中ばの空よりも月は今宵ぞ名に負へりける(西行)

ちょうどひと月くらい前、私たちは西行による名月賛歌の数々を鑑賞した。伝説の歌人西行が寄せる、月への並々ならぬ愛情をひしと感じたことだろう。ところがである、その中秋の名月をも越えて彼が心酔するものが他あった! なんとそれは九月十三夜の月、いわゆる豆もしくは栗と呼ばれる月である。『雲のない中秋の空のやつなんかよりも、月という名前は今宵(九月十三夜)のことを言うのだなぁ~』、私たちは改めなければならない、月とは十三夜こそが格別なのだ! 西行が言っているのだ、間違いない。

(日めくりめく一首)

さまざまに心ぞとまる宮城の野の花のいろいろ虫のこゑこゑ(源俊頼)

さて、さまざまに秋の虫の鑑賞してきたが、いずれにも和歌らしい類型化された様式がはっきりと見て取れた。これは西行のように規定の枠を超えた歌人にとってはどうでもいい話だが、柵の宮廷歌人にはいかんともしがたい問題だったのである。今日の歌人、金葉集撰者である源俊頼にして「いかにしてかは、末の世の人の、めづらしき様にもとりなすべき…」と嘆きを隠し切れない。しかし俊頼は挑んだ、今日の歌はその爪痕のようなもの。『花のいろいろ、虫のこゑこゑ』。童謡ような拙さを感じるだろうか? そういう御仁はぜひ声に出して俊頼の歌を鑑賞してほしい、晴れやかな色と音に包まれた新しい宮城野を感じられるはずだ。

(日めくりめく一首)

→令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、神無月)10/27(日)9:50~11:50