苔の庵にひとりながめて年も経ぬ友なき山の秋の夜の月(源実朝)

昨日一昨日と歌人の個性が見事に光った月であったが、今日もそうであろうか? 紛いなりにも源実朝は、鎌倉幕府第三代将軍であった。しかしその座に就いたのは十一歳のころ、もちろん大人に担がれた飾りである。父頼朝は謎の変死、兄頼家は暗殺、頼るべき身内、御家人らは企てに熱心で休まる心地などまるでなかったのだろう。でなければ今日の歌など出てくるはずがない。『一人眺めるばかりで友などいない』、彼の歌には常に圧倒的な絶望感が横たわっている。いっそ定家ら新古今歌人のように「夢世界」に逃避出来たら、ずいぶん楽に生きられたかもしれない。

令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、神無月)

会の概要

和歌を詠んで書く。これこそが伝統的な日本文化の真髄であり、わび茶も凌駕する総合芸術です。

「和歌」とは四季折々の自然そして古の歌人と心が通じたときに漏れるため息。この刹那の感動をかろうじて留めようという行為が「かな書き」なのです。
日本文化・文芸を好きな方なら誰しも、これに憧れを抱かない人はいないでしょう。

しかしあろうことか、紳士淑女の当たり前の文化・教養であった「和歌」と「かな書き」は今やほとんど絶滅、古のモニュメントがごとく朽ち果ててしまいました。諸行無常、これもあらがえない時代の趨勢なのでしょうか?

いいえ、全くそうではありません。
日本に自然と言葉(日本語)があるかぎり、「和歌」そして「かな書き」は永遠なのです。
現代にこれがなくなったのは、その実これらを愛する「風雅」な人間がいなくなったのです。

私たち「古今和歌所」では、日本の古典文化に憧憬を抱き、和歌を詠んで書くという行為に風雅の誠を探求しています。そしてそれを現代に広く伝えることで、風雅の友人を増やしながら日本文化の真髄の回復に努めています。
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空清く月さしのぼる山の端にとまりて消ゆる雲のひとむら(永福門院)

今日の詠み人は永福門院。何気ない日常の風景も、ひとたび彼女にカットされれば見たこともない多様な色彩が潜んでいたことに気づかされる。しかし今日の歌はどうだろう、月と雲の馴染みが悪くいつも見られた繊細な色合いが浮き出てこない。それは秋の空が澄みすぎているからだ。水蒸気が少ないクリアな空は月明かりをいっそう強くすれ、そこで消える雲のひと群なんてのはほとんど気にならない。永福門院が披露する色彩のマジックは、水蒸気という朧のベールがあってこそはじめて可能だったのだ。

(日めくりめく一首)

衣手は寒くもあらねど月影をたまらぬ秋の雪とこそ見れ(紀貫之)

昨日のがいかにも定家だとしたら、今日のはいかにも貫之だ。『着物の袖は寒くないけど、月の光は積もらない秋の雪のように見える』。白々とした月明かりを雪に見立てる古今的常套句、「衣手は寒くあらねど」という理知的発想が甚だわざとらしく、ある意味心底から身震を感じる歌だ。しかしこれも和歌の一面、要するに和歌的プロトコルを正しく踏めば、誰でも一定水準の歌を詠めるということ。今日の歌だって、宴会で求められて即興的に詠んだものかもしれない。

(日めくりめく一首)

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかた敷く宇治の橋姫(藤原定家)

『筵を敷いて待つ夜は更けて風も冷たい、月を慰めに独り寝する宇治の橋姫』。これぞまさに定家というような一首だ。言うまでもなく歌は「橋姫伝説」を下敷きにしている、嫉妬に狂った女が鬼になるあれだ。しかし今日の歌でも分かるように和歌で橋姫は恋人を忍び待つ、いかにも和歌好みのいじらしい女性に描かれる。実は橋姫が鬼になったのは平家物語の影響だったのだ。
さて本題に戻ると、いかにも定家らしいといったのには理由がある。三句「風ふけて」だ。本来更けるのは「夜」であって決して「風」ではない。こういったシュールな表現こそが「達磨歌」※として、旧来の歌人達は冷ややかな目を向けた。

※「いはゆる露さびて、風ふけて、心の奥、あはれの底、月の有明、風の夕暮、春のふるさとなど、始めめづらしく詠める時こそあれ(中略)かやう列の歌、幽玄の境にはあらず。げに、達磨ともこれらをぞいふべき」(無名抄 近代歌体)

(日めくりめく一首)

明日も来こむ野路の玉川萩こえて色なる波に月宿りけり(源俊頼)

『明日もまた来よう! 野路の玉川に。萩の花を越えて色が付いた川の波に月が写っている』。作者は源俊頼、「湖辺月」という題で詠んだ一首が千載集に採られた。昨日の家隆と趣向が似ているが、あちらは「湖辺月」という題で詠まれたものだった。どうだろう、俊頼は家隆よりも二世代程度の先輩にあたるのだが、初句「来む」という主観表現がなければ新古今のハイクラスでも十分に通用する詠みぶりである。ともすれば我々は新古今時代に突如天才的歌人たちが現れたように思いがちだが、それは歴々の歌人の試行錯誤の結実なのだ。

(日めくりめく一首)

世捨ての道ゆき、「半俗半雅(はんぞくはんが)」の宣言

お金、モノそして人間関係から離れて「自由」に生きたいと考える人は少なくありません。例えば芭蕉そして西行、彼らのように世を捨てて花鳥風月を友とし、美に生きる人生は理想のひとつです。

しかし発展途上の半ばにあった70年代の日本でさえ、車寅次郎は珍奇に見られていました。金・モノが当たり前にあって理想的社会像が固定化された現代、世を捨てフーテン暮らしをすることが、はたして私たちに出来るでしょうか?
率直なところ私は無理だと思います。ことSNSなどが当たり前のインフラになった令和の時代、先に挙げた彼らのように家族や社会を捨てて生きるなんて、もはや古典文学の絵空事です。

しかし、です。一度でも春夏秋冬の美しさに魅了されてしまえば、やはりどうしても彼らの人生を憧れてしまい、その姿を追ってみたいという衝動に駆られます。
そこで提唱するのが「半俗半雅(はんぞくはんが)」です。社会との関りを保ちつつ、折々の花鳥風月に心酔するバランスの隠遁です。

「半俗半雅」だなんて、いかにも中途半端だとお思いでしょう、しかし甘く見てもらっては困ります。最終的な目的地は芭蕉、西行と何ら変わりません。「世を捨てる」という最終地点は、誰にも訪れる「死」という永久不変の真理なのですから。

「半俗半雅」は「死」という避けられぬ人生の隠遁を強く覚悟し、その反作用による日常の「美」的開放です。折々の風の匂い、道野辺の草そして中空を行く月。コンクリートを離れた千変万化の造化に寄り添うことで、人生の心の満足感は圧倒的に豊かになるでしょう。

しかし言うは易し、具体的にどのように実践するのか? 実のところ私自身も目下道半ばであり、まだまだお話しする術がありません。でも何か気づきを得られたら、その都度共有させて頂きます。

(書き手:和歌DJうっちー)

鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり(藤原家隆)

月の美しさはこのようにも表現できるのか、藤原家隆である。月の光が色づく、これだけでも耳をくすぐる描写であるが、それが浪の花つまり白浪に映り、その色に秋を見つける。風景を鮮やかに移しながら、その残像を重ねて描く幽玄の世界。これまで典型的な新古今歌を「絵画的」と評してきたが、今日の歌はとてもキャンバスに収まるものではない、また言葉ですらその姿を捉えきれないだろう。なにせ動いているのだ!  家隆、俊成女そして定家クラスになると、よほどの動体視力がないと歌のイメージは捉えきれない。

(日めくりめく一首)

池水に今宵の月を映しもて心のままに我がものと見る(白河院)

平安時代、その時々に帝王というのは存在したが真に傑出した人物は稀にしかいない。仮に右の横綱を「藤原道長」とすれば、左は今日の詠み人「白河院」であろう。道長は万感極まって例の望月の歌※を詠んだが、今日の歌はそれを凌駕する。『池の水を今宵の月を映してみれば手に入れたも同然、(この世のすべて)俺のもんだと思う』、まさに天上天下唯我独尊、信じられない自惚れであるが、まあ驚くこともない。「賀茂河の水、双六の賽、山法師」それ以外は思いのまま、こう言ってのけたのが白河院であった。

※「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」(藤原道長)

→令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、長月)9/22(日)9:50~11:50