辞世の歌 その9「夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき」(藤原定子)

藤原定子の人生は浮き沈みの激しいものでした。中関白家道隆の娘として生まれ、14歳の春に一条天皇に入内しました。しかし、定子の兄である伊周が花山法皇を脅迫して射撃する事件を起こしたため、思い悩んだ末に出家。しかし、定子への...

辞世の歌 その8「手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ」(紀貫之)

「手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ」(紀貫之) 『先づ「古今集」といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。(再び歌よみ...

辞世の歌 その7「九重の花の都に住みはせてはかなやわれは三重にかくるる」(小野小町)

「九重の花の都に住みはせてはかなやわれは三重にかくるる」(小野小町) 小野小町は先の在原業平と同じく六歌仙に数えられ、古今東西に広く知られる歌人のひとりです。しかしその出自は謎めいていて、それゆえに日本の各地にいわゆる「...

辞世の歌 その6「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(在原業平)

「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(在原業平) いわずと知れた在原業平、古典ファンのみなさまにあえて人物を語ることはしませんが、その歌風について貫之に伺うと『その心あまりてことばたらず。しぼめる...

辞世の歌 その5「士やも空しくあるべき万代に語りつぐべき名は立てずして」(山上憶良)

「士(をのこ)やも空しくあるべき万代に語りつぐべき名は立てずして」(山上憶良) 山上憶良は日本の古代歌人においてほとんど唯一無二の存在です。かつて中唐の詩人白居易は詩を分けて「諷諭、閑適、感傷、雑律」の四つに分類し、士大...

辞世の歌 その4「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」(柿本人麻呂)

「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」(柿本人麻呂) 柿本人麻呂はいわゆる「歌聖」と称えられる人物です。持統天皇の御代に宮廷歌人として活躍し、草壁皇子や川島皇子への挽歌をはじめ皇室の折々の儀礼に際しみ...

辞世の歌 その3「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子)

「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子) 時は679年、天武天皇とその六皇子は吉野へ行幸し、次期天皇を「草壁皇子」にすることで結束しました、「吉野の盟約」です。天武天皇は「壬申の乱」という未曽...

辞世の歌 その2「岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む」(有間皇子)

「岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む」(有間皇子) 有間皇子は存在が確かな人物です。父は第三十六代天皇の孝徳天皇、叔母には皇極天皇がいて従兄弟にはなんと中大兄皇子(天智天皇)がいる。血統の由緒は抜群...

辞世の歌 その1「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」(倭建命)

「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」(倭建命) おそらくこの歌が、「辞世の歌」として一般的に知られる最も古いものでしょう。詠み人は倭建命(やまとたけるのみこと)、古事記に載る神話が出典となっています。...

辞世の歌「序」

「辞世の歌」と言っても、現代の人間はあまりピンとこないかもしれませんね。これは文字どおり人がこの世を辞する、つまり死を前にして残した歌のことで、一般的には、例えば豊臣秀吉や吉田松陰のそれが広く知られています。 「露と落ち...