歌塾 月次歌会「晩秋」(令和四年十月)※判者評付き
歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。 →和歌を詠むための「歌塾」 令和四年十月の歌会では以下の詠草が寄せられま...
歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。 →和歌を詠むための「歌塾」 令和四年十月の歌会では以下の詠草が寄せられま...
「士(をのこ)やも空しくあるべき万代に語りつぐべき名は立てずして」(山上憶良) 山上憶良は日本の古代歌人においてほとんど唯一無二の存在です。かつて中唐の詩人白居易は詩を分けて「諷諭、閑適、感傷、雑律」の四つに分類し、士大...
「形から入ってみた」は、“形から入ってみた”ら人は変わるのか? をテーマにしたかまいたちMCの人生激変実験バラエティ。この度は「おバカギャルが樋口一葉の形から入ってみたら?」という企画で、「歌塾」逗子教室におギャルこと凛...
樋口一葉は歌人の中島歌子が主宰する歌塾「萩の舎」で歌や書また源氏物語などの古典文学を学びました。一葉の作品に共通する「雅俗折衷体」という文体、底流する「叶わなぬ恋」といったテーマは、萩の舎で学んだ古典教養に礎があったので...
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」(在原業平) (書き手:歌僧 内田圓学) 和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう! 代表的な古典作品に学び、一人ひとりが伝統的「和歌」を詠めるようになることを目標...
歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。 →和歌を詠むための「歌塾」 令和四年九月の歌会では以下の詠草が寄せられま...
「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」(柿本人麻呂) 柿本人麻呂はいわゆる「歌聖」と称えられる人物です。持統天皇の御代に宮廷歌人として活躍し、草壁皇子や川島皇子への挽歌をはじめ皇室の折々の儀礼に際しみ...
早いもので、前回の和歌祭から3年の歳月がたちました。コロナ禍以後はオンラインが主体となっておりましたが、満を持して対面での和歌祭を再開します。 今回は初の試みとなる「歌合」を開催します。 詠み人を左右に分け、番えた歌を講...
「月は隈なきをのみ見るものかは」とは言わずもがな、かの兼好法師が「徒然草」に残した名言です。ようするに「お月さまはくっきり見えるのだけがいいんじゃないよ」ということで、中世のわびの精神が端的にあらわれていると評価されてい...
「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子) 時は679年、天武天皇とその六皇子は吉野へ行幸し、次期天皇を「草壁皇子」にすることで結束しました、「吉野の盟約」です。天武天皇は「壬申の乱」という未曽...
歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。 →和歌を詠むための「歌塾」 令和四年八月の歌会では以下の詠草が寄せられま...
ともすると和歌なんて文芸は日本語でしか鑑賞できないと思いがちです。枕詞や掛詞などの日本語独特の修辞法に、なにより「あはれ」のような日本人が好んだ美意識などは、とても外国語で表現できるようなものではないと、わたしなども思っ...
「岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む」(有間皇子) 有間皇子は存在が確かな人物です。父は第三十六代天皇の孝徳天皇、叔母には皇極天皇がいて従兄弟にはなんと中大兄皇子(天智天皇)がいる。血統の由緒は抜群...