歌塾 月次歌会「初秋」(令和四年八月)※判者評付き

歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和四年八月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。

題「初秋」

「夕立ちの露置く庭の夏草をかすかに揺らす秋の初風」

判者評:立秋の美しい風景を切り取った歌。「夕立」「露」「夏草」「初風」と総じて登場する景物が多いが、散漫にならないのは「立秋」でまとまっているから。ただ秋の歌に「夏草」を詠むのは好ましくない。例えば…「夕立にしほるる野辺の下草をかすかに揺らす秋の初風」

「たまづさの妹がみだれし黒髪をかきやるあさに秋風ぞ吹く」

判者評:「たまづさ」はここでは「手紙」ではなく「妹」に掛かる枕詞。別れの際の男女の妖艶な場面に、秋風を合わせた理由が不明瞭。和歌的に勘繰ると、「秋」に「飽き」が掛かり、じつは男の方の「別れの意志」を暗示させているのではないか。

「ひさかたの天の河原に波立ちてわが待つ君の舟ぞ近づく」

判者評:七夕伝説の世界を素直に詠んだ歌、申し分ない。ただこの風景にある「波立つ」はなくても成立する。 あえて入れるのなら「不安な心」などの暗示にするか、「立秋」を踏まえて秋の縁語的に構成した方がよい。例えば…「秋くれば天の河原に波立ちてわか待つ君の舟も近づく」

「なほさかる雲居を惑ふはつあきにぶだうの玉を刈れる豊けさ」

判者評:「なほ・さかる」=「依然として離れていく」ということか? その雲居に思い乱れる初秋? 下の句の明瞭さに比べて、上の句がイメージしづらい。上の句の「豊かさ」に対する上の句の「悩み」がすっと理解されない。

「咲きて散り咲きては散りぬ朝顔にあはれを添えて秋風ぞ吹く」

判者評:次々に咲いては散る朝顔と秋風の取り合わせが美しい。「添えて」は「添へて」となる。上の句だが「咲きて散り、散りては咲きぬ」とした方が馴染みやすいのではないか。また秋風を擬人化するのであれば、推量表現にした方が歌が豊かになる。例えば…「あはれそふらむ秋の初風」など

「紙漉きの雲のはたてに見えそむる雁のゆくへは何処ともなし」

判者評:「紙漉きの雲」とは秋の「すじ雲(巻雲)」の見立てだろう。おそらくここに「たまずさ(手紙)」の想起を狙っている。それを携えた雁は何処へゆくのだろう、わたしのところへ来てほしいな。という古典的な和歌世界が詠まれている。悪くないが、「たまずさ」と言わずに「手紙」を想起させることが出来るかがポイントになる。

「白きなる風わたる日の花野へとゆけばはるけき空にありたり」

判者評:「白きなる」は五行説の白秋が由来、花野、空高き秋へど動きがあっておもしろい。「白きなる」は形容動詞的用法だと思うが聞きなれない(おほきなり…)、結句は「あひたり」となる。直すとすれば「白き風吹きぞ渡れる花野へとゆけばはるけき空にあひたり」

「空の色に秋ぞ見えけるおく山はあつさもしげき木陰なりとも」

判者評:「しげき」様が暑さと木陰に掛かっている、また二句で倒置され、シンプルながらも技巧に工夫がある歌。

「秋風は入りつ日とあひ交らひて野辺を茜に染めわたりけむ」

判者評:秋風と夕日が交わって野辺を染め渡るという、素敵な着想。結句であえて過去「けむ」にするより詠嘆の「けり」が適当ではないか。まあ秋風は「白」(白秋)という伝統的発想を考慮してしまうと、茜色が弱くなってしまう(あまり気にしていいが)。

「秋風も月を見たしと思ふやもうすき雲すらとく吹き退くれば」

判者評:秋風を擬人化し、秋の名月を見たいのかというユニークな歌。個人的には「やも」より「らむ」が好み。

「ひさかたの光にゆるる秋草とたはむれちぢのささめききかむ」

判者評:下の句を読みやすくすると「戯れ千々のささめき聞かむ」。「ひさかたの光」と「千々」で月を詠んでいると想像されるが、主題である「月」は明確に詠み込むべき。

「あきつ羽ころもの裾を吹きかえしうらがなしくも渡る秋風」

判者評:「あきつ」は「蜻蛉(とんぽ)」で衣の枕詞的用法となる。「裾」「うら」は衣の縁語であり、平安和歌ではあまり詠まれない「あきつ」と「秋風」の風景を技巧を交え上手く詠み込んだ。

「秋きぬと告げさる風の吹きゆけばしのぶ心の花もうつろふ」

判者評:「立秋」の歌であるはずが、あきらかに失恋の歌となっている。ただ秋の歌で「花」だけでは不親切で、たとえば「萩の花」として「まだきうつろふ」などとすれば風景と心情が違和感なく両立する。

「夕さればいりあひの鐘をつくづくと秋を告げつるせみぞなくなる」

判者評:「入あひの鐘」を突くからつくづく「法師」へと連想をつなげる、和歌的でありつつもたいへんユニークな歌。

「天離る向かふへ秋の風わたり稲穂ふくらむ金の海見む」

判者評:「天離る」は「向かふ」へかかる枕詞。豊かな秋の田園風景が詠まれ、脳内が一瞬で黄金色に染まる。あえて「稲穂」といわず、たとえば「稲田」として「金の海」で「稲穂」を連想させても面白かったかもしれない。

「朝まだき垣根に咲けるあさがほは夕べも待たずはかなかりけり」

判者評:朝顔のしごく当たり前の風景。結句が「はかなかりけり」となって言い足りていない、例えば「はかなくなりぬ」など。

「吹きむすぶすゑばの露のたまゆらにこぼしてかへす葛の裏風」

判者評:和歌的な美しい秋の野辺の風景。露の「たま」から「たまゆら」へと繋げたのが見どころの一つ。下の句の接続を「に」ではなく「を」にしたほうが自然。

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