必読! 和歌とは道である

歌とはなにか、短歌を詠むとはいかなる行為か。この問いに近現代の詠み人の大半はこう答えるでしょう。「私の内なる感情の表白」であると。

そうした瞬間、歌の良し悪しは「個性」に定められます。自分の心情を赤裸々に告白し、だれでもなく自分にしか詠めない歌、これにこそ価値があるのだと信じるようになります。ですから「個性的」とか「オリジナリティがある」なんて言葉が達者への賛辞となり、ともすればこれに「新しさ」までも求めて、かつて詠まれたことがないような歌、自分による自分にしか詠めない歌を求めて奔走する、これが近代以降の詠み人なのです。

わたしの考えは違います。
歌を詠むことは「道を歩む」ことです。わたしが信じている和歌とはすなわち「歌道」なのです。

前を向けば偉大なる先達が遺した足跡、歴々の勅撰集を代表とする歌の数々があります。わたしたちはこの真砂の歌を絶対的な手本とし、歩みを合わせるように「心」と「詞」を合わせて歌を詠む。仏道や茶道などおおむね「道」とつくものには「型」がありますが、これは先人との対話の手段であるのです。

近代以降、「個性」なる概念を知った日本人は没個性の極みたる「型」を「つまらぬもの」と一蹴してしまいました。「型破り」こそ目指すべき姿であり、「型」などといった真似事は軽んじられるようになったのです。わたしは歌に個性を求めることを否定はしませんが、こんなものは文芸にすぎず決して「歌道」ではありません。

定家に実朝そして西行… 現代でも個性的として称えられる中世歌人をご覧になってください。彼らこそがなにより数多の陳腐な類型歌を詠み残したつまらぬ歌人たちではありませんか。しかし彼にとってはその類型歌の方が、現代人が秀句とする個性的な歌よりもはるかに重要な意味を持っていたのです、ようするに彼らも歌道をひた歩む歌人であったのです。
憧憬するいにしへの歌人に心を重ね初代の勅撰集たる「古今和歌集」に詞をあわせる、これこそが「歌道」を歩む歌人の真髄です。

「道」はまた後ろへと続きます、後世の歌人にとっては現代の私たちも歌道を歩む先輩であるのです。和歌を詠むことは風雅な遊びでもありますが、重要なのは先の歌人への敬愛と後世の歌人への責任を忘れないことです。

さて、わたしが指南する「歌塾」は歌の道を明らかにするものです。歌に「自分らしさ」や「今らしさ」を求めて汲々とする、このような虚しく傲慢な態度をできるだけ排除し、かつての先達が残した道、歴史と自然の大河に無我となって心を重ね合わせる、これを第一の目的としています。そして願わくば、その歩みによって人間としての安寧や幸福を得ていただければ幸いです。

→「和歌を学び、書いて詠むための歌塾

「歌塾」歌道の心得

一、歴々の勅撰和歌集を手本とします

一、古の歌人に憧憬を寄せ歌の師匠とします

一、後世に恥じない歌を残します

(書き手:歌僧 内田圓学)

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