浦人のひもゆふぐれになるみ潟かへる袖より千鳥なくなり(源通光)
『鳴海潟の漁師が紐を結ふ夕暮の時分になると、袖を翻す風の向うに帰る千鳥が鳴いている』。詠み人は源通光、兄に新古今撰者の一人通具がいる。しかし定家らを庇護した九条家の政敵、源通親の子であることがよほど恨まれたか、百人一首は...
『鳴海潟の漁師が紐を結ふ夕暮の時分になると、袖を翻す風の向うに帰る千鳥が鳴いている』。詠み人は源通光、兄に新古今撰者の一人通具がいる。しかし定家らを庇護した九条家の政敵、源通親の子であることがよほど恨まれたか、百人一首は...
これまで鑑賞してきたように、「千鳥」はその見た目や動作から儚く頼りないものという意味を二義的に持つ。春夏秋、他の渡り鳥たちのような季節の到来を知らしめる存在感は皆無だ。だからこそ、今日のような歌が沁みてくる。『浦松の葉ご...
藤原定頼※1に藤原顕輔※2、百人一首でも純風景歌の名手は存在感が薄い。今日の徳大寺実定もその一人だろう。百人一首歌※3では鳥の声の名残にぽつねんと浮かぶ有明の月を捉えた。今日の歌も趣向は似て夕凪の時分、浪間の千鳥が小島の...
「千鳥」と聞いてその姿を想起できるだろうか? 難儀する場合ネット検索してみよう、もれなく某お笑い芸人が一面にヒットする。閑話休題、千鳥は主に浜辺に生息する小型の渡り鳥であるが、実のところその名が示すとおり「千」つまり沢山...
このような「雪」の歌もあるのかと感動を強くする、和泉式部である。これまでの歌で雪の基本的詠みぶりがお分かりいただけたと思う。それは全てが閉ざされた孤独の世界、凍てつく吹雪のみが吹きすさぶ冷徹の世界だ。それが今日の歌をみよ...
ひたすら待つしか手段がない女に対し、男は少なくとも求め彷徨うことができる。いつの時代も男の気楽さは罪だ。『恋しさに耐え兼ねて彼女のもとへ行く途中、冬の夜の川風が寒いので千鳥が鳴いている』。風景は寒々としているが、こころは...
昨日と同じで今日も待ち人の歌。しかし和歌で待つといえばほとんど叶わぬ虚しき夢だが、これが雪で冷たく閉じられた里である、もう絶望的だ。『雪が降って誰一人通わない道だから、私の思いなど跡形もなく消えてしまうだろう』。詠み人は...
今日の歌は雪中を行く人ではなく、待つ人が描かれている。『空一面が曇って雪が降る古里を、積もる前に訪れる人があればなぁ』。「かき曇る」と「天ぎる」はともに空一面の闇を意味する、もちろんそれだけの雪空を強調しているのだが、待...
『馬をとめて袖に積もった雪を払う物陰もない。雪が降り続く佐野の渡し場の夕暮よ』。馬を引き連れた雪中の旅、一幅の水墨画のように静かなるモノトーンが描かれている。しかし惜しむらくは結句、「夕暮れ」である。この旅愁が特に夕暮れ...
『ゆく先の道は雪の吹雪に遮られてしまって、まるで雲の中を手探りで進むようだ、滋賀の山越えは』。今日の為兼も旅路の雪だが、降雪の量ではなく吹雪の厳しさが歌われている。しかし随分柔らかいのは風雅集の個性だろう、「雲に分けいる...
雪はその暴力を休めない、今日の歌にも豪雪の風景が描かれている。『雪が降って谷を渡す架け橋が埋もれてしまった。木々の梢が辛くも冬の山路を示す』。昨日は計り兼ねたが、今日の積雪は確実に枝の高さまで到達している。こうなっては谷...
今日の歌にも吉野の雪が詠まれている。しかし先日の初雪の風景とは随分様子が変わってしまった。『見渡してみると松の葉まで白く埋もれている。いったい幾夜、吉野山に雪は降り続けたのだろう』。松葉に雪がこんもり乗っかっている風景に...
昨日、一昨日で分かるように和歌で「折れ伏す竹」とは降雪の甚だしさを象徴する。実はこの発想、比較的新しく玉葉集のころ盛んになった。実のところ「竹」自体が和歌の当たり前の風景となったのが玉葉集といえよう。加えて今日の歌、なん...
『雪折れの竹に覆われた野のはずれ、人が通ったような足跡もない場所から煙が上がっている。ああ、あのような辺鄙なところにも人が住んでいるのだ』。定家には珍しく隠遁風雅を詠んだ歌、しかし本人はあくまでも都人で隠者の生活を好奇の...