辞世の歌 その20「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」(石田三成)

石田三成は戦国時代末期の武将、豊臣秀吉に仕えて五奉行の一角をなし、九州征伐や文禄・慶長の役などに出陣したほか太閤検地など行政面で実績をあげました。秀吉の死後は徳川家康と対立、関ヶ原の戦で敗れ最後は京都の六条河原で斬首されました。

「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」(石田三成)

三成の辞世ですが、とても思慮深い歌です。筑摩江は近江国の歌枕とされますが、ここでは暗に琵琶湖を指しているのでしょう。「芦の間」というのは、著名な「みじかき芦の節の間も~(伊勢)」という序があるようにとても短いものの喩えです。すなわち「芦の間のような、とても短い人生のうちに燃やした情熱の炎は、かがり火がそうであるように、消えてゆくさだめであるのだ」という内容です。
秀吉に見出されついには五奉行の一人となった三成ですが、辞世の歌からは無念や後悔は感じられません。むしろ無常の世を受け入れた、積極的な諦めがここには見えます。

ところで「芦」といえば先の伊勢がそうであるように、「難波潟」を歌枕として詠むのが和歌の通例です。しかし三成は「筑摩江(琵琶湖)」を歌った、それは近江国こそが三成の故郷であったからです。最後の最後に彼は難波ではなく近江を思った… これは三成という人を理解するのに重要なキーワードとなるかもしれません。

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(書き手:歌僧 内田圓学)

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