辞世の歌 その15「埋れ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ哀れなりける」(源頼政)

和歌ファンであればその名を知らぬ人は少ないでしょう、源頼政です。彼は勅撰集に59首も採られた名うての歌人であり、もし百人一首に採られていたら抜群の人気を獲得したであろう、文武を備えた魅力的な人物でした。

頼政は保元として平治の乱を勝者として乗り越え、平氏の世を源氏でありながら三位という高位に昇りました。これは「鵺退治」に伝わるような武勇の誉れもあったでしょうが、歌による“おねだり”も功を奏したのかもしれません。

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「昇るべきたよりなき身は木のもとにしいを拾ひて世を渡るかな」(源頼政)

この歌は自身の不遇を訴えたもので、歌中の「しい」には「椎」と「四位」が掛けられています。武家政権でも回りくどい直訴は変わっていませんね。これらの歌が功を奏し、頼政は従三位に昇り、公卿に列することができました。

しかし頼政、平家政権の下で安穏と人生を終えることを良しとしませんでした。後白河天皇皇子である宮(以仁王)を担ぎ出し、平家打倒の詔を頂いて謀反を企てたのです。
ところが計画は露見、僅かな勢力での挙兵となりあっという間に窮地に立たされます。場所は宇治平等院、頼政は宮を逃すのがやっとのこと、自身は痛手を負いそのまま自害して果てたのでした。

「埋木の花さく事もなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」(源頼政)

自信を埋れ木に譬え、その花の咲がないように、虚しく果てゆく我が身を憂う… 世にも名高い頼政辞世の一首です。頼政は従三位にまで昇ったのですから、大きな花が咲いた人生だったと言えるでしょう。しかし頼政にとっては、源氏の本分が果たせなかった口惜しさの方が何倍も勝っていたのです。彼の遺恨の念が痛いほど伝わってきます。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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