辞世の歌 その25「吹きと吹く風な恨みそ花の春もみぢの残る秋あればこそ」(北条氏政)

北条氏政は小田原の北条氏四代目、武田信玄や上杉謙信と同盟を結び北関東に勢力を拡大するも、豊臣秀吉に小田原城を攻囲され降伏、弟の氏照とともに自害し果てました。これにより北条氏は滅亡し、その領国はことごとく改易されてしまったのでした。

ちなみにこの戦国時代の「北条氏(後北条氏)」と、鎌倉時代の「北条氏」とは直接の血縁関係はありません。後北条氏の祖である北条早雲はもともと「伊勢氏」であり、「北条」の名は二代目の氏綱の時代から名乗るようになったのです。これは関東全域の支配を目指す氏綱が、「北条」の名が関東の武士たちに馴染や威光を示せると判断したからだと言われます。

ともかくその後北条としても、関東の地に百年にわたって繁栄を築いてきた家を滅ぼされたわけですから、氏政の恨みはさても深かろう… と思いきや! 予想に反して辞世の歌はきれいさっぱり、清々しいまでの諦念が詠まれています。

「吹きと吹く風な恨みそ花の春もみぢの残る秋あればこそ」(北条氏政)

なべて吹き散らす風を恨んではならぬ。花があり続ける春、もみじが残り続ける秋なんぞあろうはずもない。

氏政は、秀吉からの再三の上洛の命に従いませんでした。そして小田原攻めに対しても、20万の兵に囲まれてなお降伏をよしとしませんでした。この頑な態度はいかなるものか?

「義を守ての滅亡と義を捨てての栄花とは、天地格別にて候」(北条氏綱)

これは後北条二代目の氏綱の遺訓です。すなわち氏政は、祖父である氏綱の言葉に忠実であったのです。義を捨てて生き残るくらいなら、義を守り進んで滅亡を選ぼう… 氏政の辞世歌に見える不気味な清々しさの正体は、武士の高潔な理想が果たされんとする充足の気分であったのです。

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(書き手:歌僧 内田圓学)

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