待ちかねて訪ねざりせばホトトギスだれとか山のかひになかまし(源俊頼)
この度やむなくホトトギスを片仮名表記にしている。古今集最古の写本とされる高野切れなどは全て平仮名(変体仮名含む)で和歌を書写しているが、私は可読性を優先して要所で漢字を用いている。ホトトギスもそうしたかったのだが、これを...
この度やむなくホトトギスを片仮名表記にしている。古今集最古の写本とされる高野切れなどは全て平仮名(変体仮名含む)で和歌を書写しているが、私は可読性を優先して要所で漢字を用いている。ホトトギスもそうしたかったのだが、これを...
『私のためと聞いてもいいだろうか? まだ主が定まらないホトトギスの初音を』。初音といえばミクではなくて「鶯(うぐいす)」であるとご紹介したが、まあこのようにホトトギスに使っても構わない。鳥であれ花であれ風であれ! 時節の...
これまた才気に富んだおもしろい歌だ。『梢が夏になると山が見えなくなる』とは、葉が繁って風景を遮っているためで、趣旨としてはそれだけ夏らしくなってきたということだ。ところで「生駒」と「夏になる」だが、「駒」と「成る」は縁語...
「松」は四季歌において、「待つ」の掛詞として二次的に用いられるか、寂寥感をかき立てる「松風」として詠まれることがほとんどた。なぜ単独で詠まれないかといえばそれが常緑樹という、絶えず緑を讃える永遠の存在だからだ。移ろわぬも...
昨日に続いて良経の菖蒲である。そしてこれこそ後京極摂政良経、渾身の一首である。 まず詞(ことば)、二句で切れて三句目で場面を転換、間髪入れずに四句目を倒置している。かつ結句を上下両方の情景に関係させ一首を統合、巧みな構成...
いやーやっぱり良経はカッコいい。もちろん貫之や定家もいいけど、彼らは歌の専門家。良経はなんたって従一位で摂政の大貴族だってのにこんな素敵な歌を詠む(そう考えると、後鳥羽院なんて人はなおさらすごい)。 歌の菖蒲は「あやめ」...
『爽やかな風吹きわたり青い早苗がなびく田んぼ、その色は少しずつ落ちていって、夕日が僅かに残る丘の松林』。まるで写真を見るかのような情景繊細な初夏の田園。一目で玉葉・風雅の撰と分かる、見事な写生歌である。 早苗などの田園の...
昨日までの葵歌でこれが「逢う日」に掛かり、また御神紋である「賀茂神社」と縁が深いことがお分かり頂けただろう。ところで賀茂神社といえば、和歌ファンであれば彼女を思い起こさずにいられない、式子内親王だ。 式子は十代の多感な時...
昨日ご紹介したように「葵」は大抵「逢う日」と掛けられる、ゆえにその歌は恋になる傾向が高い。今日も恋の部から、出展は新古今和歌集である。『前に関係した女どもは怒るかもしれんなぁ、でも昔の祭りで出会った女、あいつはまじで別格...
「葵」は数ある歌語のなかでも含みが多い。今日から数首をかけて、その秘密を解き明かそう。 今日の初句「名にし負わば」は葵に係り、「葵」は「あふひ」と「逢う日」の掛詞になっている。また「そのかみ」には「其神山」と「その昔(か...
昨日までは純白の美しい卯の花をご紹介したが、今日は一転して「夏草」の歌である。特に限定したものではないので、ようするに雑草のたぐいである。夏と言えばこれらが繁りに繁り、甚大な繁殖力をもって辺りを制する。この季節に花の歌が...
今日の詠み人は紀貫之、十八番の見立てであるが少し分かりづらい。それは卯の花に見立てた「御手座」にある。御手座は「みてぐら」と読み神前に供える布・切地を指す、「幣(ぬさ)」と言い換えた方がイメージしやすいかもしれない。この...
昨日の卯の花は夕月夜、ほのかな明かりが残っていた。それが新月であったらどうであろう? 今日の詠み人は西行法師、旅の詩人は夜さへ構わず風雅を求め野山を巡る。もとより人工的な灯りなどない射干玉の闇、月がなければ足取りも止む。...
和歌では白さを讃える場合、同じく白きものと合わせて相乗効果を得るか、夜の闇にあって際立つ様を詠むことが多い。前者は「白菊に置く霜」などが知られるだろう、今日の歌は後者に近い場面でその美しさが詠まれている。 光と闇が交代す...