忘れめや葵を草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの(式子内親王)

昨日までの葵歌でこれが「逢う日」に掛かり、また御神紋である「賀茂神社」と縁が深いことがお分かり頂けただろう。ところで賀茂神社といえば、和歌ファンであれば彼女を思い起こさずにいられない、式子内親王だ。

式子は十代の多感な時期をまるっと10年間、賀茂斎院として神に仕えた。退下の後は婚姻しても構わないが、彼女は生涯独身であった。ゆえに式子内親王といえば何やら沈鬱で影の漂う女性のように理解されていて、彼女の百人一首歌などがさらにそれを強化しているように思える。しかしはたしてそうであったか?

今日の歌を見よ。葵を引き結び野宿した野辺の露がまぶしい! この朝の美しさよ。歌のみでは漂泊の旅人に仮託した印象を受けるがそうではない、詞書には『斎院に侍りける時、神館にて』とあり、これは賀茂祭(葵祭)の朝における式子の実直なる心の表明であった(「神館」は斎院が潔斎のため籠る殿舎である)。そしてその「朝」は、少女時代の決して忘れることのない思い出、初句五文字だけをもっても彼女の幸福感が伝わってくる。

式子内親王は沈鬱な歌人などではまったくない、むしろそのまったく対極に位置する、光の歌人だ。次の歌なども、それを抜群に表しているだろう。

「山ふかみ春ともしらぬ松の戸に 絶え絶えかかる雪の玉水」(式子内親王)

(日めくりめく一首)

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