見わたせば山もとかすむ水無瀬川ゆふべは秋となに思ひけむ(後鳥羽院)

「秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに…」とはだれもが暗唱させられた枕草子第一段の一文であるが、新古今でも「三夕の歌」が賞美されるように、『夕暮れといえば秋!』というのが当時の詩情的には常識化していた。このよ...

春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるるよこぐもの空(藤原定家)

さて、昨日の式子内親王に続き定家の「霞」である。といっても、この歌には霞の文字は見えない。しかし、これが採られた新古今集では霞の歌群に配されており、たしかに受ける印象は霞のように朦朧としている。春の夜、そのはかない夢は途...

あと絶えていくへもかすめふかくわが世をうぢやまの奥のふもとに(式子内親王)

強烈な歌である。春の「霞(かすみ)」はその奥に隠れる花を見たいから、といった理由で、そうそうに薄くなるのを期待するのが和歌の常套であるが、この歌では「幾重(いくへ)もかすめ」、つまりもっと濃くなってほしいと命じている。し...

うすくこき野辺のみどりのわか草にあとまでみゆる雪のむら消え(後鳥羽院宮内卿)

春の雪解けのみずみずしさ、はつらつとして気持ちのいい空気感。ねちっこいのが大半の和歌において、このように清々しい歌は珍しい。なぜか? それはこの歌が純粋な写生歌だからだ。半面、作者の抒情はいっさい入っていないということに...

うぐひすの谷よりいづるこゑなくは春くることをたれかしらまし(大江千里)

レノンといえばマッカートニーであるが、梅といえば「うぐいす」なのである。この抜群の取り合わせははやくも万葉集にみえる。このような景物の定型化は漢詩に由来することが多い。漢詩でも梅にうぐいすは常套であり、とくに杜牧の七言絶...

松の葉の白きをみれは春日山こもめもはるの雪ぞふりける(源実朝)

松の葉にかかる白いものを見ると、あぁ春日山に春の雪が降っているなあ。木の芽も張って。という歌である。芽が「張る(つぼみが膨らむ)」と「春」の掛詞が見えるが、ほとんど凡庸な歌である。ところでこれには本歌がある。「霞たちこの...

さはに生ふる若菜ならねどいたづらにとしをつむにも袖はぬれけり(藤原俊成)

沢に生える若菜ではないが、むだに年をつむ(摘む、積む)ほどにこの袖は濡れちまったよ。どこのジイさんの歌だろうか? 実はだれあろう、定家の父、藤原俊成である。新古今に採られた歌だが、息子の耽美な歌と比べるとどうにも野暮った...

はるの野にすみれつみにと来しわれぞ野をなつかしみひと夜ねにける(山部赤人)

古今集と新古今集には300年の間隔があるが、そこに文化違いはほとんど見られない。しかし古今集と150年の間隔しかない万葉集との間には、人間が違うんじゃないかと思うほどの隔たりが見られる場合がある。その主な現象が言葉であっ...

やまざくら霞のまより ほのかにも見てしひとこそ恋しかりけれ(紀貫之)

似ている。。「山桜」を「若菜」に、「霞」を「雪間」に置き換えてみてほしい。昨日紹介した忠岑の歌と全く同じ構成ではないか。しかしそれでいて、歌から受ける印象は異なる。それが効いているのは「山桜」であろう。この貫之の垣間見の...

かすがのの雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えしきみはも(壬生忠岑)

恋がはじまる季節といえばいつだろう。情熱燃え盛る夏、感傷深まる秋、ゲレンデのアバンチュール冬。どれも違う。どう考えたって春じゃないか。この歌は春、運命的な女性との出会いのシーンをとらえた歌だ。雪の間から生えくるあの若草の...

ひき別れとしはふれどもうぐひすの巣たちしまつのねを忘れめや(明石の姫君)

昨日ご紹介した歌は母(明石の君)からの贈答歌であったが、これはその娘(明石の姫君)からの返歌である。ちなみに両歌とも主題は「まつ(松と待つ)」である。よって縁語として「引く」が得られるのだが、これは当時の貴族が年始の初子...

年月をまつにひかれてふる人にけふうくひすの初音きかせよ(明石の君)

初音といえばミクだろう、まったく同意する。しかし、こと古典に至っては違うものを連想しなければならない。それが源氏物語で詠まれたこの「うぐいすの初音」歌である。春を心待ちにする歌の裏に、出自の貧しさゆえに実の娘に合うことが...

いづる日のおなじひかりによもの海のなみにもけふや春はたつらむ(藤原定家)

なるほど、凡作である。波と春が「立つ」という、“立春歌あるある”で構成された、ほとんど見どころがない歌である。しかしこの歌の作者はだれあろう、かの藤原定家卿なのだ。所収は初学百首、御大二十歳の作とはいえ、後の巧みな狂言綺...

ふる雪のみのしろころもうちきつつ春きにけりとおどろかれぬる(藤原敏行)

後撰和歌集の一番歌である。まず思うのが、華の一番歌をなぜに敏行が? である。私のつたない古典知識では、彼の歌人としての実績がさほど思いあたらない。だいたい「おどろかれぬる」なんていう、便利な言葉をを安易につかいまくってる...

あたらしき年のはじめにかくしこそ千歳をかねてたのしきをつめ(よみ人知らず)

お正月の歌である。なんで今の時期にといえば、今日が旧暦の元日であるからである。古今集の大歌所御歌であるが、「千歳」なんて気の利いたことばさえ知っていれば小学生でも詠めそうな歌である。ちなみに「たのしき」には(楽しき)と(...

年のうちに春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ(在原元方)

春のはじまりを歌うとしたらどんなモチーフを選ぶだろう。私なんぞはつい、雪解けの野やうぐいすの初音などありがちな花鳥風月を思い浮かべしまうのだが、だがしかし! 貫之パイセンは違う。初代勅撰集である古今和歌集では「年内立春」...