あらたしき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(大伴家持)
「あらたしき」「年の初め」「初春」と、これでもかと元日が打ち出さているが、古来、正月に降る雪は豊作の吉兆であったという。これが四句におよぶ序詞となり、そのように「佳いことが積もりますように」と結ぶ、まことにおめでたい歌で...
「あらたしき」「年の初め」「初春」と、これでもかと元日が打ち出さているが、古来、正月に降る雪は豊作の吉兆であったという。これが四句におよぶ序詞となり、そのように「佳いことが積もりますように」と結ぶ、まことにおめでたい歌で...
花は咲いた。軒端の梅は香りを揺らし道端には名も知らぬ草花がほほ笑んでいる。ゆかしき心にまかせ彷徨い歩けば、やがて立ち昇る朧月に足が止まる。どうしたことだろう、目に入る花鳥風月のすべてが変わって見える。『月はそして春は昔と...
老いの、いや人生の境地とはこういうことかもしれない。『来る日も来る日も今日が最後かもしれない、なんて惜しみながら過ごしてきたけれど、どうにかまた新しい年に会うことができた』。いつでも今日が最後であるかのように、毎日をただ...
かつて憧れた春。しかしいざ目の前にすると尻込んでしまう、平安歌人たちが歳暮に寄せる心の揺らぎを数首鑑賞してきた。表層に違いはあれど通底するのは畏怖の念、止めどなく行き過ぎる時間への諦めや抵抗の爪痕だ。平安、とくにその末期...
これまで鑑賞したどれよりも、俊恵の歳暮は退廃的だ。命を置いたそばから消えゆく朝露に譬える、和歌の常套句であるが、今日の歌には譬喩が譬喩でない実感を伴う。それは生とは瞬間の連続でしかないという無常の本質に達しているからだ。...
詞書きには「歳暮のこころ」とある。ところで私たちはどのような心持ちでこの歳暮を迎えているだろうか? 歌合戦に除夜の鐘しまいにはカウントダウンと顔を朱に染めて興奮に励んでやしないだろうか。『一年なんてひと時の夢のよう、年が...
年の暮れを包み込む暗黒、頭をもたげる憂鬱の正体それは「老い」だ。『過ぎてしまえば、またひとつ老いを重ねることになるものを、何が嬉しくて明日の春を待つのだろうか』。春、清々しき花々の世界。年という頂きを越え行けば、その懐か...
いよいよ年が明ける、待ち望んだ春は目の前だ。しかしである、人間の思考はそう単純でないらしい。綻ばんばかりの花を目の前にして、一度伸ばした手を引っ込めてしまう。『この夜よどうか明けないでくれ! 僅かでもいい、永遠の別れとな...
源実朝による歳暮の念。『宇治川を流れる水のように、時は流れて早くも年の暮れとなったものだ』と、極めてシンプルな感想だ。ところで「もののふ(物部)」とは「朝廷に仕える文武の官人」という意味であるから、「もののふの八十うじ(...
『木々の葉はすべて散り果ててしまった。しかし案ずるな、年の瀬を迎え新たなる芽吹きの春はもう目の前にある』。一年を惜しみつつも春への期待感はいよいよ醸成され、だれもがはやる気持ちを抑えられない。しかしこの一月(睦月)に“年...
写実に徹底していた京極派の名手も、ついに耐え切れず声にしてしまった。『いつのまにか垣根の草も青みが掛かって、こんな霜の下にも春は近づいてきたんだなぁ』。「春や来ぬ!」このような素直すぎる感情は、三代集こそ数多あれ時代が下...
昨日の為家は「軒の玉水」であった、ではあなたは何に春を感じるのか? 暫し考えてみてほしい。雪の間に覗く蕗の薹、光を映す雪解け水… 百人百色の春の予感がそこにあるはずだ。ここで暖かさ、なんて言う野暮は決して歌人にはなれない...
一転して今日の歌は素晴らしい、藤原定家の嫡男為家である。『降る雪が雨に変わってゆく。屋根の雪も下から溶けはじめて、軒の雨だれの音がほの強くなってきた』。雪は次第に姿を移しつつある、雨となり屋根からも落ちはじめた。むろん春...
その名が期待感を煽るが今日も無念、凡作に沈んでしまった… 藤原公任である。「雪」を「花」とする見立ては悪くない、いや確かに平凡の極みなのだが、このルーチンこそが和歌であることはもうご承知だろう。問題のひとつは歌の「調子」...