【百人一首の物語】六十番「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(小式部内侍)
六十番「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(小式部内侍) いつの時代も、イヤミな男は嫌われますね。歌合せに招かれることになった小式部内侍、そこにある男が現れます。その名は藤原定頼、こいつはご丁寧にも「歌は...
六十番「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(小式部内侍) いつの時代も、イヤミな男は嫌われますね。歌合せに招かれることになった小式部内侍、そこにある男が現れます。その名は藤原定頼、こいつはご丁寧にも「歌は...
五十九番「やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」(赤染衛門) あなたが来ないことを知っていたら、ためらわず寝てしまったものを。ほれこのとおり、夜明けの月を見るまで待ってしまいました。和歌で夜明けに...
五十八番「有馬山猪名の篠原かぜ吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位) 大弐三位は紫式部の娘です。この後のラインナップをみると登場がちょっと早いんじゃないかと思いますが、定家は母の後につづいて娘を配置しました。実はこ...
五十七番「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(紫式部) 和泉式部を「けしからぬ方」と評した紫式部は、彰子後宮の同僚でした。いわずもがな、紫式部は「源氏物語」の作者でありますが、このような歴史的...
五十六番「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」(和泉式部) 博識の誉れをほしいままにした公任が絶賛した当代歌人がいます、だれあろう和泉式部です。五十九番の赤染衛門と並び評されることもありますが、後...
五十五番「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなを聞こえけれ」(大納言公任) とっくの昔になくなった滝とその水音、でもその名声は流れ伝わって今も聞こえてくることだ。千載集の詞書でこの滝が「嵯峨大覚寺」の旧跡であった...
五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母) また恋の歌、そしてまた誰かの母ちゃんの歌です。儀同三司とは准大臣の唐名、その人は「藤原伊周」なのですが、どうでしょう「伊周」って読めました...
五十三番「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」(右大将道綱母) 恋の歌が続きます、詠み人は「右大将道綱母」あるいは「藤原道綱母」です。と、ここで気になるのが彼女の名前、かの「蜻蛉日記」の作者であり...
五十二番「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」(藤原道信朝臣) 「夜が明ければ、やがてまた日は暮れる」。これは二番歌の「春が過ぎて、夏が来る」と同じで、しごくあたりまのことを述べただけにすぎません...
五十一番「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣) 五十番の藤原義孝は若くして亡くなりましたが、立派な子息を残しています。長子行成は三蹟の一人として知られ、この家系は世尊寺流といって書...
五十番「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」(藤原義孝) 恋の歌が続きます、よみ人は藤原義孝。この歌で百人一首も前半終了ですが、後半は藤原氏以外の氏族はほとんど出てきません、ようするに駆逐、埋没しちゃっ...
四十九番「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」(大中臣能宣朝臣) よみ人は大中臣能宣、梨壺の五人の一人であった人物です。と、ここで解説を、まず「大中臣」ですが、なんか見覚えありますよね? 藤原氏の...
四十八番「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな」(源重之) 源重之は風景歌の達者です。その詠みぶりは平安の山部赤人といって過言でなく、この時代にはめずらしく大らかで親しみやすい景色を歌に多く残しました。...
四十七番「八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師) 五番の猿丸太夫は「秋は悲し」とうたい、四十七番の恵慶法師は秋を「さびし」とうたった。私たちも秋といえばなんとなく物悲しい「愁い」の季節だと理解...