【百人一首の物語】四十九番「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」(大中臣能宣朝臣)

四十九番「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」(大中臣能宣朝臣)

よみ人は大中臣能宣、梨壺の五人の一人であった人物です。と、ここで解説を、まず「大中臣」ですが、なんか見覚えありますよね? 藤原氏の祖、鎌足は「乙巳の変」にはじまり「大化の改新」まで中大兄皇子(天智天皇)を側近として支え、その功績として「藤原姓」を賜りました。それまでは「中臣」を名乗っていました、ご存じですよね。この「藤原」は中臣一門すべてが名乗れたのではなく、鎌足の嫡男である不比等とその子孫のみに許され、それ以外はそのまま「中臣」に据え置かれました。中臣氏は以後、祭祀をつかさどる家として世を渡っていくのですが、これがプチリニューアルして「大中臣」となり、能宣はこの嫡流であったのです。

そして「梨壺の五人」、これまで何度か言及してきましたが、ざっくり説明すると十世紀の中ごろ、村上天皇の命によって、「後撰和歌集」の編纂ならびに「万葉集」訓読の任をなすために集められた精鋭五人組のことです。彼らの仕事場が宮中の昭陽舎(梨壺)であったので、「梨壺の五人」と呼ばれました。ちなみにメンバーには三十一番の坂上是則の子望城や、三十五番の紀貫之の子時文なんてのもいるのですが、見てのとおり百人一首には採られていません。先代の古今集選者は揃って採られているのになぜ? どうやら梨壺の五人は、みんなして“歌が得意”というわけではなかったようです。

と、前置きが長くなってしまいました。というより、前置きに逃げてしまいました。それは歌についてあまり語ることがないからです。
「御垣守(みかきもり=宮中を警護する兵士)がたく“かがり火”が、夜は燃えて、昼は消えているように… あなたに思い悩んでます!!」。時代のせいでしょうか、それとも私が貴族じゃないせいでしょうか? どうしてもこの序詞にときめくことができません、むしろ(スベッてるという意味で)寒さを感じてしまいます。これに比べれば、重之の“大浪ざっぱ~ん”の方が見どころあると思います。あなたはどうですか? ぜひ率直なご感想を聞いてみたいです。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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