【百人一首の物語】五十七番「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(紫式部)

五十七番「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(紫式部)

和泉式部を「けしからぬ方」と評した紫式部は、彰子後宮の同僚でした。いわずもがな、紫式部は「源氏物語」の作者でありますが、このような歴史的大著を生み出しえたのは、ひとつに彼女の家庭環境があります。父為時は当時屈指の学者であり詩人、また曽祖父は古今時代に和歌でならした二十七番の中納言兼輔でありました。ただそれを上まわって驚嘆は、彼女にはそもそも隠し切れない才能があったということです。紫式部には弟(式部丞)がいて、彼らが子供の時分、同じ書物を読んで姉はあっという間に聞き覚えたのに対し、弟はすぐに忘れてしまったとか。これに父親は「くちをしう、男子にて持たらぬこそ、幸ひなかりけれ」とたいへん残念がったそうです。

そんな大作家も、一般的に歌人としての評価はイマイチ。でもそうでしょうか? 源氏物語には八百首弱の歌が詠みこまれていますが、これらすべてが登場人物ごとに見事に詠みわけられていて、なみの歌人じゃこんなこと出来ないと思います。

さて百人一首歌ですが、これもいいですよね。儚い逢瀬を描いた素敵な恋歌だなぁと思っていたのですが、なんとこの歌、詞書によると女友達との再会の場面を詠んだものでした。それを知ったうえで、切ない恋の抒情あふれるいい歌だと思います。

実は紫式部、かなり奥手だったようで、その日記には男連中との交流を避け、限られた女友達とむつまじくしている様子が多く記されています。今でいう“陰キャ”の匂いがプンプンしますが、だからこそ漢籍の知識をキャーキャーひけらかしている清少納言なんかは小憎らしかったんでしょう、なにせ紫式部は漢字の「一」さえ、人前で書いたことがなかったというんですから。ようするに源氏物語という歴史的な色物語は、陰キャ女子の溜まりにたまったうっぷん、妄想が大爆発して生まれたものだったのですね。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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