【百人一首の物語】四十七番「八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師)

四十七番「八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師)

五番の猿丸太夫は「秋は悲し」とうたい、四十七番の恵慶法師は秋を「さびし」とうたった。私たちも秋といえばなんとなく物悲しい「愁い」の季節だと理解していますよね? 実はこれ、古人による刷り込みに過ぎません。なぜなら万葉集には「秋はさみしい」なんて歌はほとんどなく、古今集に至ってぞろぞろと詠むようになったんですから。

考えてみれば農耕民族である日本人にとって、本来秋は収穫という「喜ばし」い季節のはず。これを平安歌人が「さびし、悲し」とした理由、それは実のところ、白楽天はじめとする漢詩人の影響なのでした。調べてみると中国では紀元前五世紀の「楚辞」にあってすでに秋を悲しみの季節としてうたっていて、以来この伝統を受け継ぎ、先の白楽天も「就中腸断是秋天」なんて詩に賦すのです。

さて恵慶法師、彼は歌人として、この愁いの季節をいかに演出するかに腐心した。そしてたどり着いたのが「雑草の生い茂る、荒廃した宿」でした。実はここ、十四番の源融の邸宅「河原院」跡だったのですが、京随一の豪邸はどこへやら、今や荒れ果てて人っこひとり見えない。恵慶法師はこのバックグラウンドに目をつけ、わざわざ輩を率いて“元”河原院まで赴き、秋のさみしさをうたった※。そんな狙いすましたようないやらしさが、見えてしまう歌なのです。

※本歌の採られた拾遺集の詞書にはこうあります「河原院にて、荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りけるに」

(書き手:歌僧 内田圓学)

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