【百人一首の物語】五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母)

五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母)

また恋の歌、そしてまた誰かの母ちゃんの歌です。儀同三司とは准大臣の唐名、その人は「藤原伊周」なのですが、どうでしょう「伊周」って読めました? 正解は「これちか」です。ちなみに謙徳公は「伊尹(これただ)」でしたよね、思い出しました?

ということで儀同三司母は藤原伊周の母ちゃんということですが、彼女には「高階貴子」という名があります。道綱母に名がなくて儀同三司母になぜあるのかというと、これはやはり“父親の偉さ”に関係があるのでしょう。道綱母の父藤原倫寧は正四位下だったようですが、儀同三司母の父高階成忠は公卿たる従二位でした。ちなみに儀同三司母の夫道隆は、道綱母の夫藤原兼家の嫡男です。だいぶややこしくなってきたので、いったんこれくらいにしましょう。

ということで儀同三司母は本来、安泰の生活が約束されていたはずですが、そうはなりませんでした。道隆は偉大な父兼家が亡くなるとその権勢を継いで関白となります。ここまでは順当ですがそのわずか五年後、なんと病に倒れてしまいました。しからばと息子伊周、隆家兄弟が頭角を現そうという時、したたかな叔父さんに政争に敗れてしまい、道隆の家系「中関白家」はそのまま没落してしまうのです。ちなみにこの“したたかな叔父”こそがキングオブ平安、藤原道長その人です。

というと儀同三司母の歌にはなにやら運命めいたものを感じてしまいますね。詞書には「中関白(道隆)通ひそめはべりけること」とあり、本来ならひしひしと幸福感を味わう時期に、彼女はお先真っ暗の不安しか感じていません。

実は儀同三司母の「高階氏」は、罪を抱えた家系だという話があります。「伊勢物語」の第六十九段をご存じでしょうか、ここで業平こと昔男は「恬子内親王」と密通します。じつは高階氏の時の有力者、峯緒は恬子内親王に仕えていて、業平と恬子内親王との落胤を引き取って自分の跡を継がせたという伝承があるのです。先ほどの道長などはこの昔話を引き合いに出して、道隆と儀同三司母の娘である定子と一条天皇の子、敦康親王の即位を妨害したなんていわれますが、儀同三司母こと高階貴子の根底にある不安は、この物語を発端にしているのかもしれませんね。にしても業平の火遊びは、後世に恐ろしい火種を残したものです。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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