【百人一首の物語】四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人)
四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人) 唐詩では杜甫を「詩聖」と称えますが、和歌でも歌の聖(ひじり)といわれる方がいます。だれあろう三番柿本人麻呂と四番山部赤人のご両名で、大伴家持にし...
四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人) 唐詩では杜甫を「詩聖」と称えますが、和歌でも歌の聖(ひじり)といわれる方がいます。だれあろう三番柿本人麻呂と四番山部赤人のご両名で、大伴家持にし...
三番「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂) 平安王朝の物語といえる百人一首を章立てした場合、冒頭から十二番まではさしずめ「王朝の幕開けと伝説歌人」と呼べるでしょう。その伝説中の伝説、...
二番「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇) 持統天皇はご存知のとおり天智天皇の娘です。叔父である天武天皇の妃となり草壁皇子を生みました。 じつのところ天智・持統のように百人一首には親子がなんと十八...
一番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇) 一番歌に天智天皇を据えた、ここに百人一首という百首歌の編纂目的がおのずとみて取れます。それは端的に「平安王朝の歴史物語の再現」です。 歌集というも...