月残る寝覚めの空のホトトギスさらに起き出でて名残ぞを聞く(京極為兼)
ここ数日、意味深のホトトギスが続いたせいだろうか、この歌には心地よい脱力感を覚える。『寝覚めると月が残る空にホトトギスが鳴いている。起き出でて、その名残の声を聞くとしよう』。この歌に見える有明月には恋の匂いなどまったくな...
ここ数日、意味深のホトトギスが続いたせいだろうか、この歌には心地よい脱力感を覚える。『寝覚めると月が残る空にホトトギスが鳴いている。起き出でて、その名残の声を聞くとしよう』。この歌に見える有明月には恋の匂いなどまったくな...
式子内親王の代表歌だ。「そのかみ山」は以前も説明したが「そのかみ(昔)」と「其神山」を掛ける、そしてこの山の下に鎮座するのが賀茂神社である。言うまでもなく式子が斎院として、多感な十代を駆け抜けた場所だ。詞書にも「 いつき...
『私には関係なく、ただホトトギスが鳴いている夕暮れ』。絶望感に打ちひしがれた歌であるが、歌中の「なほうとまれぬ」にある〝ぬ〟の解釈によって歌の真意が変わるので注意が必要だ。「打消」とみれば『嫌いになれない』、「完了」とみ...
ホトトギスはことに詩情を駆り立てる、まこと和歌において欠かせない存在だ。今日の歌を見よ! このような歌われ方もするのかと驚愕を覚える。『いつもよりも親しく感じられるよ、ああホトトギスよ。死出の山路の道案内をしてくれると思...
抒情歌である和歌は一見平明な風景のスケッチも、なんらかの心的象徴を含むと昨日説明した。では今日の歌はどうであろう? 『空にはホトトギスの声がして、卯の花の垣根に白い月が出てきた』。この歌について言えば、スケッチつまり純粋...
静かなる幻滅。『ホトトギスが鳴いている方を見ると、有明の月が残っていた』適訳するまでもない、単純な写生歌である。しかしこの単純な写生歌が和歌には極めて少ないのだ。和歌とは基本的に抒情歌であり、たいていの歌には悲しい恋しい...
これも五月雨との取合せであるが、主人公はホトトギスそれ自身になって写生歌の風体をとる。何かあってホトトギスが咽び泣くのに、五月雨が涙を合わせたごとき景色。昨日のそれと違って、柔らかく寄り添う雨が印象に残る。詠み人は式子内...
さて、今回も五月雨とホトトギスだ。和歌ではホトトギスの声を聞くと「恋心が助長される」と説明したが、この歌などはそこに五月雨の叙景を重ねて、悶々と空を眺めやるヒロインを描き出している。五月雨はもちろん留まらぬ涙の暗喩となる...
今回は優雅でありながら、ちょっと面白いホトトギスをご紹介しよう。その前に、耳慣れない古語が多いので先に説明をしておく。まず「をちかえり」とは繰り返しの意、「うなゐ子がうち垂れ髪」は辞書を引くと「幼い子供の結い上げないで垂...
『ホトトギスの鳴き声は聞こえるけど、我が家の花の枝にはまったく来てくれない。どうしたもんだろう…』。なんとなく伝わったかもしれないが、この歌も昨日と同じく恋の抒情歌だ。であるから歌中の「ふみ」には「踏み」と「文」が掛けら...
さて、ようやく和歌らしいホトトギスの声調が聞けた。『ホトトギスが松の山で鳴き始めると、愛しい人を待つ、私の恋心はむしょうに掻き立てられる』。歌中に「恋」の文字が見えるように、実のところこれは初夏の叙景に寄せた恋の歌だ。よ...
三代集のあと、千載集までの「後拾遺」「金葉」「詞花」の評価は比較的に総じて低い。例えば俊成などに言わせるとこうである「ひとへにをかしき風体なりけん」。撰者には長高い歌を理想とした源俊頼や博識で通じた藤原顕輔が務めたにもか...
「五月闇」は五月雨(さみだれ)が降るころの夜まれに昼の暗さを言う。歌中の「倉橋山(くらはしやま)」は奈良県桜井市倉橋付近の山だろう、耳慣れないが古歌では時おり詠まれて記紀歌謡にも名が残る※。しかしここでは山の場所など意に...
ホトトギスといえば、松浦清の「甲子夜話」に載る川柳三句が特に知られるだろう。こう言って分からなければ鳴かぬホトトギスを信長、秀吉、家康の天下人がいかにするか、三者三様が歌われたアレだ。それでいくと今日の歌は家康の趣向に最...