山里の春の夕暮れきてみれば入相の鐘に花ぞ散りける(能因法師)
能因といえば西行に先んじた旅の歌人、「古今著聞集」にある白河の関の逸話で有名だ。修行のため陸奥へ行った、と嘘をついて詠んだ歌※。それがバレないように色を黒く塗った(日焼けのつもり)というやつだ。なかなかチャーミングなお人...
能因といえば西行に先んじた旅の歌人、「古今著聞集」にある白河の関の逸話で有名だ。修行のため陸奥へ行った、と嘘をついて詠んだ歌※。それがバレないように色を黒く塗った(日焼けのつもり)というやつだ。なかなかチャーミングなお人...
これぞ京極派! というべき手本のような歌だ。『桜の花びら、そのうえにやわらかく夕日が差す。それは束の間、日は瞬く暮れてその影は消えてしまった』。微妙で繊細、京極派が歌わなければだれも気づかなかったような美。これを行き詰ま...
『泣き濡れた私の袖を、春風はやさしく愛撫する。桜の匂い、それは枕にも移って。まるで夢の中でも花が舞っていたよう』。 また野暮になった… 何度も言うが芳醇な新古今歌は適訳に向かない。しかしこの歌は「春下」に採られているが、...
順徳院は百人一首を最後を飾る※が、現代の存在感はいまいち薄い。やはり父が偉大すぎたのだろうか? 後鳥羽院とともに討幕を企てるがあえなく失敗、配流先の佐渡で無念の死を遂げた。ちなみ定家が編んだ「百人秀歌」にはこのふたりが採...
京極為兼は言わずもがな、停滞が明らかであった中世和歌の局所的ではあったが最後の輝きを放った「京極派」の生みの親だ。宗家二条派に抗戦すべく、はやくも三十代で歌論「為兼卿和歌抄」を著したが、理想の歌風が成り、勅撰集に結実する...
今日の歌人は俊恵法師。父は金葉集の選者「源俊頼」、方丈記などの執筆でも有名な「鴨長明」は歌の弟子であった。父とは17歳で死別しそのまま仏門に入ったというが、もし彼が堂上歌壇に留まっていたら御子左家が勃興する機会はなかった...
『花が咲いて、今日は実に春らしくうららとしている。あぁ、山の霞の奥には鳥たちの囀りが聞こえる』。どうであろう? 私はこの歌を聴くとすご~く幸せな気分になる。昨日の業平とは正反対に、ただただ幸福感に満たされる。 詠み人の伏...
咲くまでは、いつ咲くのだろうと気にかかり、咲いてはいつ見に行こうと気にかかり、散ってはいつ散り果ててしまうのかと気にかかる。桜というのはあってありがたいが、これのおかげで不要なストレスを抱かされ続ける、そんな罪深い存在で...
『桜が咲いた。遠くの山鳥のしだり尾のように、なが~くなが~く何日も眺めても見飽きないなぁ』。詞書きには「釈阿、和歌所にて九十賀し侍りしをり」とあり、藤原俊成のいっそうの長寿を言祝んだ歌である。しかしこの大らかさは後鳥羽院...
『宮中の人は暇なんだろうか? 桜を頭に挿してのんびり暮らしている』。なんともゆったりとして、嫌みなくらいに優雅を感じさせる歌だ。作者は山部赤人、赤人は「山柿の門」というように柿本人麻呂と並び称される万葉を代表する歌仙、そ...
温暖化の影響だろう、桜の開花は年々早まっているそうだ。1980年代までは東京でも4月の開花があったが、近年は3月下旬が通常となっている。これに伴い風景が一変した行事がある、入学式だ。かつては満開の花の下新たな一歩を踏み出...
今日の歌はなんだか新鮮! と感じられる人は和歌ファンであるが、それが百人一首歌に集中している人かもしれない。和歌史的に百人一首の功罪はいろいろあれど、とくに罪深いのが八代集以後の歌、歌人が知られなくなった点だ(百人一首は...
そのままだ。定家ら新古今歌人のいわゆる「達磨歌」とは違う意味で説明不要である。西行の秀歌の大半は力んだところがまったくない、ただ思うままを三十一文字にしただけだ。例えば定家の歌は言葉が重なるほどに美しさが乗じていくが、西...
いつの時代も、名が残る優れた歌人はチャレンジングである。貫之しかり定家しかりである。以前、この両名をつなぐ位置に今日の詠み人、源俊頼がいるとご紹介した。彼は勅撰和歌集の変遷が止んだ平安中後期いわば和歌の第二暗黒期を生きた...