花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしに影きえにけり(永福門院)

これぞ京極派! というべき手本のような歌だ。『桜の花びら、そのうえにやわらかく夕日が差す。それは束の間、日は瞬く暮れてその影は消えてしまった』。微妙で繊細、京極派が歌わなければだれも気づかなかったような美。これを行き詰ま...

思ひそめき四つの時には花の春春のうちにもあけぼのの空(京極為兼)

京極為兼は言わずもがな、停滞が明らかであった中世和歌の局所的ではあったが最後の輝きを放った「京極派」の生みの親だ。宗家二条派に抗戦すべく、はやくも三十代で歌論「為兼卿和歌抄」を著したが、理想の歌風が成り、勅撰集に結実する...

花よいかに春日うららに世はなりて山のかすみに鳥の声々(伏見院 )

『花が咲いて、今日は実に春らしくうららとしている。あぁ、山の霞の奥には鳥たちの囀りが聞こえる』。どうであろう? 私はこの歌を聴くとすご~く幸せな気分になる。昨日の業平とは正反対に、ただただ幸福感に満たされる。 詠み人の伏...

世中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)

咲くまでは、いつ咲くのだろうと気にかかり、咲いてはいつ見に行こうと気にかかり、散ってはいつ散り果ててしまうのかと気にかかる。桜というのはあってありがたいが、これのおかげで不要なストレスを抱かされ続ける、そんな罪深い存在で...

桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬいろかな(後鳥羽院)

『桜が咲いた。遠くの山鳥のしだり尾のように、なが~くなが~く何日も眺めても見飽きないなぁ』。詞書きには「釈阿、和歌所にて九十賀し侍りしをり」とあり、藤原俊成のいっそうの長寿を言祝んだ歌である。しかしこの大らかさは後鳥羽院...

ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ(山部赤人)

『宮中の人は暇なんだろうか? 桜を頭に挿してのんびり暮らしている』。なんともゆったりとして、嫌みなくらいに優雅を感じさせる歌だ。作者は山部赤人、赤人は「山柿の門」というように柿本人麻呂と並び称される万葉を代表する歌仙、そ...

山もとの鳥の声々あけそめて花もむらむら色ぞみえゆく(永福門院 )

今日の歌はなんだか新鮮! と感じられる人は和歌ファンであるが、それが百人一首歌に集中している人かもしれない。和歌史的に百人一首の功罪はいろいろあれど、とくに罪深いのが八代集以後の歌、歌人が知られなくなった点だ(百人一首は...