さくら花ぬしを忘れぬ物ならば吹きこむ風に言伝はせよ(菅原道真)

『桜の花よ主を忘れないのなら、吹き込んでくる風に伝言しておくれ』という歌、なんだか似たような趣向を思い出さないだろうか? 例えばこれ『東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな』。桜と梅の違いはあれ、どちらもそれを...

桜花けふよく見てむくれ竹のひとよのほどに散りもこそすれ(坂上是則)

今日の詠み人は坂上是則である、その氏名で分かるとおり征夷大将軍「坂上田村麻呂」を祖先に持つ。田村麻呂は大納言正三位まで昇ったが、是則は従五位下とかろうじて貴族の面目を保った。これは家持や貫之にも共通することだが、8~9世...

花さそふ名残を雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風(飛鳥井雅経)

飛鳥井雅経は百人一首では参議雅経の名で採られ歌道飛鳥井家の祖であるが、もしかしたら流蹴の達人としての方が知られているかもしれない。彼の妙技は後鳥羽院をも魅了し、「蹴鞠略記」という著書も残した。ちなみに蹴鞠だが、中大兄皇子...

木伝へばおのが羽風に散る花をたれにおほせてここら鳴くらむ(素性法師)

趣向に富んだ歌だ。『木から木へ伝う羽風によって散る花を、いったい誰のせいだと言ってあちこちで鳴いているのだろう?』。主語はうぐいす、花を散らすのは己自身、それを知らぬ鳥の哀れを詠んだ歌である。 詠み人は素性法師、彼は古今...

山ざくら千々に心の砕くるは散る花ごとにそふにやあるらん(大江匡房)

大江匡房は小倉百人一首で権中納言匡房の名で知られる。それに採られた桜歌※は、趣向が平凡でまったく記憶に残らない。比べて今日の歌は面白い。『桜が散る。心が千々に砕けるほどつらいのは、散る花に心が寄り添っているからだろうか』...

さくら花夢かうつつか白雲のたえてつれなき峰の春風(藤原家隆)

『桜の花が見えたのは夢か現実か。白雲の花は消えてしまった。峰には花を散らす春風が吹いている』。難解な新古今歌のなかでも特にそうであるような歌だ。詠み人の家隆は定家のライバルとして知られるが、どちらがより新古今歌的かと問わ...

さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に浪ぞたちける(紀貫之)

『桜の花が散った風の後には、水のない空に浪が立っているようだ』。適訳はこうだが少々説明を加える。まず花の色を見立てて「白浪」とする場合がある、これは桜の花が風に舞い散って白浪が立っているように見える、水なんてない空なのに...

花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで(後鳥羽院宮内卿)

宮内卿はわずか20歳にして亡くなったと言われる夭折の歌人、残る歌も少ないがそれでも勅撰集に四十三首採られた名手だ。彼女の歌風は唯一無二といった感じで、独特の感性が際立っている。表現多彩な現代短歌と比較してしまえばさほどで...

今日こずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや(在原業平)

『お前んちの桜、今日来なければきっと明日は雪のように散ってしまうだろうよ。そりゃ本物の雪じゃないから消えないと思うけど、そんなの花と言えるかい?』 唐突感があったと思う。それもそのはず、この歌はある女主人への詠みかけに応...

吉野山こぞの枝折りの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ(西行)

そろそろ桜も散り始めた。春夏秋冬四時を越えてようやく出会えた花の中の花、次に相見るのはいつであろうか? もちろん一年後、また苦しい年月を経ねばならない… と、普通の人間は安易に考えることだろう。だがこの人は違う、西行とい...

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)

昨日の友則に続き、百人一首にも採られた桜歌である。この歌で和歌の魅力に憑りつかれた人も多いかもしれない、なぜなら私がその一人なのだ。和歌は「詞」と「心」によって構成される、そしてこのふたつがバランスしてこそ歌は「いい歌」...