もののふの八十宇治川をゆく水の流れて早き年の暮れかな(源実朝)

源実朝による歳暮の念。『宇治川を流れる水のように、時は流れて早くも年の暮れとなったものだ』と、極めてシンプルな感想だ。ところで「もののふ(物部)」とは「朝廷に仕える文武の官人」という意味であるから、「もののふの八十うじ(氏)」とは「文武百官」のことで、あくまで掛詞として「宇治川」の序となる。このレトリックは愛好されて名歌※も残した。しかしこれが時代が下ると意味合いが変わってくる、「もののふ」はっきりと「武士」となり、源平の相次ぐ合戦によって宇治川は血の匂いのする川となった。しかし今日の歌、武家の棟梁たる実朝は「もののふの八十宇治川」に「武士の血」を微塵も持ち込んでいない。俗世を離れ、あくまでも人麻呂に寄り添うがごとく万葉の優雅な大河をたたえている。実朝が万葉歌人と評されるゆえんがこの一首にみえるだろう。

※「もののふの八十宇治川の網代木にいざよふ波の行く方知らずも」(柿本人麻呂)

(日めくりめく一首)

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