思ひそめき四つの時には花の春春のうちにもあけぼのの空(京極為兼)

京極為兼は言わずもがな、停滞が明らかであった中世和歌の局所的ではあったが最後の輝きを放った「京極派」の生みの親だ。宗家二条派に抗戦すべく、はやくも三十代で歌論「為兼卿和歌抄」を著したが、理想の歌風が成り、勅撰集に結実する...

新元号決定記念!「令和歌合せ」開催します。

本日4月1日、ついに平成に代わる新元号「令和」が発表されました。 そしてなんと、その出展は「万葉集 巻五」にある梅の宴の序文にあるとのこと。 →関連記事「初春令月、氣淑風和。新元号「令和」の出展元は極めて漢詩的発想だった...

「初春令月、氣淑風和」。 新元号「令和」の出展元(万葉集巻五、梅花の宴「序」)は極めて漢詩的発想だった

新元号が「令和」に決まりました。 その出展が「万葉集 巻五」の梅花の宴にあるということで、古典和歌を愛し楽しむ「令和和歌所」としては無視できない関心事です。 →「令和和歌所とは」 「令和」の由来となった梅花の宴は、当時の...

ML玉葉集 春中(弥生)

和歌所では、ML(メーリングリスト)で詠歌の交流を行なっています。 花鳥風月の題詠や日常の写実歌など、ジャンル不問で気の向くままに歌を詠んでいます。 参加・退会は自由です、どうぞお気軽にご参加ください。 →「歌詠みメーリ...

花よいかに春日うららに世はなりて山のかすみに鳥の声々(伏見院 )

『花が咲いて、今日は実に春らしくうららとしている。あぁ、山の霞の奥には鳥たちの囀りが聞こえる』。どうであろう? 私はこの歌を聴くとすご~く幸せな気分になる。昨日の業平とは正反対に、ただただ幸福感に満たされる。 詠み人の伏...

世中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)

咲くまでは、いつ咲くのだろうと気にかかり、咲いてはいつ見に行こうと気にかかり、散ってはいつ散り果ててしまうのかと気にかかる。桜というのはあってありがたいが、これのおかげで不要なストレスを抱かされ続ける、そんな罪深い存在で...

桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬいろかな(後鳥羽院)

『桜が咲いた。遠くの山鳥のしだり尾のように、なが~くなが~く何日も眺めても見飽きないなぁ』。詞書きには「釈阿、和歌所にて九十賀し侍りしをり」とあり、藤原俊成のいっそうの長寿を言祝んだ歌である。しかしこの大らかさは後鳥羽院...

【和歌マニア(第79回)】湘南ビーチFM「わいわい和歌ワンダーランド」第1回

今日は特別編! 逗子の和歌講座が縁で、なんと湘南ビーチFM(78.9MHz)で和歌のお話をさせて頂きました。和歌と短歌の違いや、私が和歌を数寄になった理由そして桜の和歌を少しご紹介しています。あらためて聞き直しましたが、...

ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ(山部赤人)

『宮中の人は暇なんだろうか? 桜を頭に挿してのんびり暮らしている』。なんともゆったりとして、嫌みなくらいに優雅を感じさせる歌だ。作者は山部赤人、赤人は「山柿の門」というように柿本人麻呂と並び称される万葉を代表する歌仙、そ...

山もとの鳥の声々あけそめて花もむらむら色ぞみえゆく(永福門院 )

今日の歌はなんだか新鮮! と感じられる人は和歌ファンであるが、それが百人一首歌に集中している人かもしれない。和歌史的に百人一首の功罪はいろいろあれど、とくに罪深いのが八代集以後の歌、歌人が知られなくなった点だ(百人一首は...