「初春令月、氣淑風和」。 新元号「令和」の出展元(万葉集巻五、梅花の宴「序」)は極めて漢詩的発想だった

新元号が「令和」に決まりました。
その出展が「万葉集 巻五」の梅花の宴にあるということで、古典和歌を愛し楽しむ「令和和歌所」としては無視できない関心事です。
→「令和和歌所とは

「令和」の由来となった梅花の宴は、当時の筑紫歌壇の重鎮「大伴旅人」宅で行われた新春の宴で詠まれました。旧暦の新春はちょうと梅が見ごろとなります。筑紫は大陸にも近く文化的にも、また暖かく気候的にも、梅は初春を飾る花として格別であったことでしょう。

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ちなみにこの旅人を中心とする「筑紫歌壇」の存在感は圧倒的で、万葉集のおよそ4500首のうち、筑紫で詠まれた歌がなんと約320首もあります。
この宴では32首の歌が詠まれ、その歌群を一見しただけでも筑紫歌壇の活発さを感じることができます。
例えば「貧窮問答歌」で知られる山上憶良は、こんな優雅な梅の情景を残しました。
詞書:大宰帥大伴卿の宅の宴の梅の花の歌
「春さればまづ咲く屋戸の梅の花 独り見つつや春日暮らさむ」(山上憶良)
→「百人一首に採られなかったすごい歌人! 男性編(山上憶良、花山天皇、源頼政)

さて、万葉集ではこれらの序文が記されているのですが、ここに新元号「令和」の語源となった言葉があります。

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
「万葉集 巻五」

天平二年(730年)の正月13日。「帥老」とは大伴旅人を指し、その自宅で行われた正月の梅見の宴。「初春令月、氣淑風和」とは「おめでたい新春の風がなごやかに吹いている」てな感じで、後付けで発表された英訳「Beautiful Harmony」に上手くまとまっているのではないでしょうか。
この晴れやかさと、宴そのものの睦まじい雰囲気が、新元号「令和」の由来になったのでしょうね。

さてそれはいいとして、気になるのは後半部分です。
梅は“鏡の前の白粉(おしろい)”のように白く、欄は“貴婦人の香り袋”のように匂っている。
いかがでしょう。序文自体が漢文であるのですが、これはきわめて漢詩的発想です。

古今集など八代集でも梅の色(白)を別に譬えることがありますが、それは決まって雪であり、「白粉」なんていうのは皆無。また「蘭」、これは中国の「四君子」(梅、竹、菊、蘭)のひとつに数えられますが、日本の八代集においてこれが春に、いや歌自体に見ることがありません。それに貴婦人の香り袋なんて譬えも聞かないですね。
※ちなみに「蘭」は現代人が想像する胡蝶蘭のたぐいではなくて、秋の七草で知られる「藤袴」を指します。ですから「香」というワードが出てくるのです。

で、そもそもなんですが、和歌で女性を花に譬えはすれどその逆、つまり花を女性に譬えて褒めるなんてことはしないのです。※女郎花は少しこの発想に近いですが
酒と色、漢詩はこれを全面肯定します。いわゆる男性的なんですね。一方の和歌、これらをしのび隠す姿は極めて女性的です。

万葉集という時代の風潮もあったのでしょう、しかし大宰府という大陸の玄関口にあった土地柄が、旅人をしてこのように見事な漢詩文を作らせたのです。。
政府は新元号を国書に求めたとしていますが、その内容は極めて漢籍に近いものだったのですね。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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