壊すべき古典を、あなたは持っているか?
古典そして伝統とは何か? それは古人によって築かれた原則である。 人間はこれを壊しては創り直してきたが、この爪痕を文化という。 こと日本において、文化がドラスティックに刷新され続けたのが「詩歌」である。 プリミティブな「...
古典そして伝統とは何か? それは古人によって築かれた原則である。 人間はこれを壊しては創り直してきたが、この爪痕を文化という。 こと日本において、文化がドラスティックに刷新され続けたのが「詩歌」である。 プリミティブな「...
いつの時代も、名が残る優れた歌人はチャレンジングである。貫之しかり定家しかりである。以前、この両名をつなぐ位置に今日の詠み人、源俊頼がいるとご紹介した。彼は勅撰和歌集の変遷が止んだ平安中後期いわば和歌の第二暗黒期を生きた...
その時は来た! 花はついに咲き初める。待ちに待った思ひとはうらはらに、和歌ではその美しさを直接称えることはしない。多くは霞に隠して影ばかり匂う様を歌うとか、清らなる白さを類似のものに見立てて詠む。今日の歌ではそれが山の峡...
『ああ、気になる、気になる…。愛しい桜よ、お前はどこの山から咲き始めるのか。近くに見えるこちらの山かもしれない、行ってみようか?? いや、行ったとたんに裏のあちらの山から咲くかもしれないぞ、、。去年はどうだったけかな? ...
詠み人の堀河はその名のとおり、待賢門院璋子に仕えた女房歌人である。待賢門院と言えばいわくつきの人だ。養父は白河院、鳥羽院の中宮となり崇徳院そして後白河院の母。あの西行の出家にも関係しているとかいないとか…。さてもそのよう...
もしも願いが叶うなら春の桜の下で死にたい、二月の満月のころに。二月(旧暦)の十五日は釈迦入滅の日であり、花と月は西行が生涯追い求めた数寄の象徴でもある。すなわち歌と仏という、ある種の二律背反する道を一途に歩んだ、歌僧西行...
今も昔も大盛り上がり! 今回は歌合戦ならぬ「歌合せ」の有名なエピソードをご紹介します。寛平后宮歌合はインディーズバンド、壬生忠見はおっちょこちょい!? 今回もろっこワールド満載でお送りします。 和歌の型(基礎)を学び、詠...
崇徳院というと、まず「瀬をはやみ」※の歌が先に浮かぶであろう。これは式子内親王や源実朝にも言えることだが、現代では和歌=百人一首になっており、これに採られた歌が歌人の印象をほとんど決めてしまう。現代人に和歌に親しむきっか...
今日も「帰雁」である、が! ついにこの言葉が表れた、「桜」だ。『羽を交わしながら空の旅路を行く雁、あの白雲は桜の花道なんだ』。白雲と桜、これらは清らなる白さを互いに称え見立て合う。詠み人は藤原為家、言わずと知れた定家の子...
いちいち説明を加えると野暮になるというのが新古今の名歌であるが、仕方なく解説をさせていただこう。歌は帰雁のワンシーンである。ここで雁はすでに故郷へ向け飛び立っている。空は凍てつき、さながら雲に霜が置いたように行く先は見え...
花と違って、雁の帰郷へ寄せる情趣を私たちはほとんど持ち合わせていない。対して平安歌人は、これに心からの思いを寄せた。『春霞が立つやいなや、そそくさ立ち去ってゆく雁。お前はこれから咲く花の美しさを知らないんだろう』。呼び止...
昨日の流れで今日は金葉集の選者、源俊頼の一首をご紹介しよう。『春になったので、たのも(田の面)の雁が今まさに帰らんと、雲の旅路に飛び立ってゆく』。雁は秋の鳥だが、春に詠まれる場合「帰雁」、つまり故郷である北国へ帰る姿が詠...
万葉集では、例えば梅やうぐいすなどと取り合わせるなど、多様な詠まれ方がされた柳だが、貫之がそれを糸に見立てて以降、柳は必ずそう詠まれるものとなった。今日の歌もその一つである。詠み人はなんと白河院。「賀茂河の水、双六の賽、...
およそ勅撰和歌集では怒涛の梅の歌群が過ぎたあと、次の桜まで小休止が入る。そこでさらりと詠まれるひとつが、今日の「柳」だ。柳といえば雲竜柳や猫柳もあるが、和歌に詠まれるのは枝垂柳である。これを「糸」に見立て、「よる(撚る)...