和歌とカレンダー(旧暦)の楽しみ方


「日本は四季が素晴らしい!」なんてセリフをよく聞きます。
ただその絶賛している四季、みなさん本当に楽しんでいますか?

春の「お花見」、秋の「紅葉狩り」だけでは楽しんでいるうちに入りません。
やはり平安歌人のように…

21「君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪はふりつつ」(孝明天皇)
46「梅が香を 袖にうつして とどめては 春はすぐとも 形見ならまし」(よみ人しらず)
191「白雲に 羽うちかはし 飛ぶ雁の 数さへ見ゆる 秋の夜の月」(よみ人しらず)

花鳥風月、四季折々の移ろいに触れた感動を歌にする、これぞ最高に贅沢な楽しみ方♪
みなさんもぜひやってみましょう!

なんて、安易に言おうものなら…
「コンクリートジャングル」なんて揶揄される無機質な都会に住む私たちに、できっこないじゃん!
と秒速でカウンターパンチを喰らうことでしょう。

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やはり私たち現代人は、平安歌人と同じような四季の楽しみ方は出来ないのでしょうか?

いいえ、実は簡単に出来るのです!
ただしそれは「カレンダー」の中の四季ですが…

おっと、期待して損した、なんて嘆かないでくださいね。

カレンダーは平安歌人と繋がる豊かな四季の情報でいっぱいなんです。
それに当の平安歌人だって、実のところカレンダーつまり「暦」に頼って四季を感じ取っていたのですから…

ということで、お手元にカレンダーをご用意ください。
これから、平安時代と同じように四季を楽しむ方法をご案内します。

まずはカレンダーの月(Month)にご注目、睦月、如月、弥生といった文字があると思います。
これはお馴染みですね、そう「旧暦」の月(Month)表記です。

旧暦はご存知の通り、「月の満ち欠け(朔望)」を基準にした暦です。
ちなみに「新月」が「朔」で「満月」が「望」の状態で、この変化を「朔望月」といいます。

ではここで問題です、朔望月(新月→満月→新月)の期間は何日になるでしょうか?

正解は約29.5日です。
ということはですよ、朔望月を12回繰り返しても約354日にしかなりませんよね?
これは太陽暦と比べると3年で約1ヶ月、10年で約3ヶ月の差が生じることになり、夏に桜が咲くといった事態に陥ってしまいます。

しかし、昔の人は愚かではありません。
これを回避するために三年に一度、閏年ならぬ「閏月」を入れ暦を調整していたのです。
旧暦を正しくは「太陰太陽暦」というのはこのためです。
→関連記事「日本美の幕開け! 年内立春の歌に紀貫之の本気をみた

平安歌人は月(Month)の変わり目で歌を沢山の詠んでいます。
一部を鑑賞してみましょう。

[詞書]卯月に咲ける桜を見てよめる
136「あはれてふ 事を数多に やらじとや 春に遅れて ひとりさくらむ」(紀利貞)

[詞書]水無月のつごもりの日よめる
168「夏と秋と 行きかふ空の 通い路は かたへ涼しき 風や吹くらむ」(凡河内躬恒)

ちなみに「卯月」は4月、「水無月」は6月、「つごもり」とは「月隠り」つまり月末という意味です。

さて、次は日(Date)に目をやってみます。
月にふたつくらい、立春、雨水、啓蟄、春分といった文字が見つかるはずです。

これらは「二十四節気」と呼ばれるもので、テレビの天気予報などでもよく聞きますよね。
その際に「立春になりましたが、まだまだ寒いですねー」などと、節気と実際の気候とのズレが強調されたりしますが、
このズレを旧暦のせいにしていたあなた! 間違いです。

二十四節気とは「太陽の運行」(黄道上の位置)をきっちり24等分してそれぞれに名称をつけたものです。
ですから上で説明した「月の朔望」を基準とする旧暦(太陰太陽暦)とはまったく関係がありません。

節季が実際の気候とズレて感じるのは、節季が古代中国の黄河流域(およそ北緯37.5くらい)で誕生したことに起因します。
日本に置き換えると新潟県付近に位置しますから、東京を基準した場合ちょっと寒い表現となって当然ですよね。

この「節季」による季節の変わり目、特に「立春」、「立秋」を平安歌人は非常に大切にしました。

[詞書] 春立ちける日よめる
2「袖ひぢて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」(紀貫之)

[詞書] 秋立つ日、上のをの子供賀茂の河原にかはせうえうしけるともにまかりてよめる
170「河風の 涼しくもあるか うち寄する 浪とともにや 秋は立つらむ」(紀貫之)

春の足音が聞こえる… なんて素敵なレトリックも
春が立つと書いて「立春」、からきているんでしょうね。

最後にこれを見つけましょう。
月(Month)と日(Date)の奇数のゾロ目に、端午、七夕、重陽といった文字があるはずです。
これらは「節句」といい、今でも伝統的な行事が行われたりしてお馴染みですね。

この節句の由来は太陽でもなく月でもありません。
ではなにか?

なんと、中国の「陰陽説」が由来なのです。
陰陽説によると奇数の重なる日は陽の気が強すぎるため、それを弱めるための儀式として節句が行なわれてたようなのです。

ちなみに平安時代は節句ではなく「節会」といって、
元日、白馬(正月7日、踏歌(正月16日、端午(5月5日)、豊明(11月新嘗祭の次の辰の日)に、宮廷で盛大なイベントが開かれていました。

[詞書] 五節の舞姫を見てよめる
872「『天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」(僧正遍昭)

「五節」は五番目の節である「豊明節会」を指し、そこで舞う舞姫を詠んだ歌です。
節会のクライマックスを飾る、それは優美で可憐な舞だったようです。

このように、身近なカレンダーだけでも、四季を十分楽しめることがお分かり頂けたことでしょう。
ちなみに大安や仏滅といった現代人に一番身近な暦注「六曜」は、古今和歌集に一切登場しません。
六曜が中国から日本に伝わったのが15世紀前後みたいですから当然ですね。

さて、よくよく考えてみると、平安貴族だって平安京という大都会で暮らしてたわけです。
四季の楽しみ方なんて、現代の我々とそう変わらなかったかもしれませんね。
コンクリートの中だって、四季を楽しめる! ってことです。

(書き手:和歌DJうっちー)

柿本人麻呂 ~みんなの憧れ、聖☆歌人~


和歌を語る時、決して欠かすことができない絶対的な存在がいます。いや(襟を正して…)、いらっしゃいます。
そのお方こそ誰あろう「柿本人麻呂」様です!

人麻呂は名だたる歌人をして、こう言わしめています。

「かの御時に、正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける」
紀貫之 古今和歌集(仮名序)

「柿本の人麿なむ殊に歌の聖にはありける。これはいと常の人にはあらざりけるにや。」
藤原俊成 古来風躰抄

貫之、俊成ともに歌の聖(ひじり)、つまり「神」というべき存在であると評しています。
さらに実朝以外の歌人を断固認めない? あの正岡子規もこうです。

「人丸の 後の歌よみは 誰かあらん 征夷大将軍 みなもとの実朝」
正岡子規

人麻呂を第一の歌人として、その後は唯一敬愛する源実朝のみ、と言っています。
ちなみにこの「人麻呂=聖」ですが、なんと万葉集の後期にはすでに確立されていたようで、大伴家持は万葉集の中でこう歌に残しています。

「幼年未逕山柿之門」
大伴家持 万葉集巻十七

「山柿之門」の山が「山部赤人(山上憶良とも)」、柿が「柿本人麻呂」を指し、歌を学ぶものがまず叩くべき門であると言っています。
まさに「歌の聖」という名が相応しい、歴々の歌人たちに崇拝の念をもって称えられてきれた存在が、この柿本人麻呂なのです。

しかしこの人麻呂、その多くが謎に包まれたままです。当時の史書を探してもその名はなく、頼るのは「万葉集」に残る歌のみ。それによると、主に天武、持統天皇の御代で歌人として活躍、後に国司となり石見に赴任、その地で没したといいます。このベールに包まれた感じが、“聖オーラ”をよけいに演出しているのかもしれませんね。

さて、人麻呂の歌の特長はもっぱらその「格調」にあるとされます。なるほど、何気ない日常を一瞬にして高貴で雅やかな非日常に変貌させてしまう、そんな力を私も人麻呂の歌に感じます。この歌力こそが「歌の聖」と呼ばれる所以であり、歌道の到達点として多くの歌人が憧れ尊んできたのですね。

今回はそんな聖☆歌人、柿本人麻呂の歌を鑑賞してみましょう。

柿本人麻呂の十首

一「もののふの 八十宇治川の 網代木に いざよふ波の 行くへ知らずも」(柿本人麻呂)
行方の知れない人生を、波に漂う網代木に例えた歌です。人麻呂は七世紀後半の歌人ですが、すでに当時これほど洗練された歌を詠んでいたことに感銘を受けます。

二「淡海の海 夕浪千鳥 なが鳴けば 心もしのに 古思ほゆ」(柿本人麻呂)
淡海の海とは琵琶湖のことです。昔、この近江の地に都がありました、天智天皇の御代です。その時代を偲んで詠まれた歌です。

三「ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」(柿本人麻呂)
東の空に昇る朝日を、西の空に沈む月を見る。まさに万葉風の雄大な歌です。
実はこの歌、登る太陽に軽皇子を、沈む月に亡くなった皇子の父である草壁皇子を喩えていると言われます。草壁皇子は天武天皇の息子でありながら、即位することなく28歳の若さで早世してしまいました。人麻呂は若々しい軽皇子に次時代を感じながらも、無念の草壁皇子に心を寄せています。

四「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」(柿本人麻呂)
天の海すなわち天の川を月の船が渡るという、現代にも通じるロマンチックな歌です。

五「天雲の たなびく山に 隠りたる 我が下心 木の葉知るらむ」(柿本人麻呂)
人麻呂ともなると、忍ぶ恋の例え方もかなり雄大です。こういう平安歌人にはない“男らしさ”を、正岡子規は評価したんですね。

六「石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさなとり 海辺を指して 和田津の 荒磯の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共 か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに よろづたび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山」(柿本人麻呂)

人麻呂は国司(地方官)となって石見(島根県西部)に赴任しました。この歌は石見から上京の折、残してきた妻へ詠んだ歌です。
石見の海、そんなにいい所ではないと人は言うだろう。でもよく見ると美しい情景が広がる、そんな石見に愛しい妻を置いてきた。遠く山を越え、もはや何度振り返っても、愛しい妻はもう見えない。邪魔だどけっ、この山!! これは長歌といって、五七を複数回繰り返す形式の歌です。人麻呂はこの長歌を得意とした歌人でした。
心地よいリズムと言葉の調べはまさに「歌(SONG)」というべきもの。人麻呂の歌はぜひ声に出して読んでみましょう。

七「石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか」(柿本人麻呂)
八「小竹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば」(柿本人麻呂)
これらは六の長歌に付けられた反歌です。万葉の恋歌はストレートな愛情表現で溢れていて、心から清々しい気持ちになりますね。

九「秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる 妹が求めむ 山道しらずも」(柿本人麻呂)
十「黄葉の 散りぬるなへに 玉づさの 使を見れば 逢ひし日思ほゆ」(柿本人麻呂)
先ほどの恋歌から一転、最愛の妻が亡くなった際に詠んだ歌です。妻が行ってしまった道が分からない。ああ、昔が思い出される… 詞書には、血の涙を流して作ったとされています。かける言葉が見つからないくらい、悲愴に暮れる人麻呂の姿が伝わってきます。

紀貫之は言いました。

「人麿なくなりにたれど 歌のこととどまれるかな(中略)歌の様をも知り この心を得たらむ人は 大空の月を見るがごとくにいにしへを仰ぎて 今をこひざらめかも」
紀貫之 古今和歌集(仮名序)

柿本人麻呂は遠い時代に亡くなってしまいましたが、和歌を知りその心が共感できたならば、いつでも会うことができる。

人麻呂の歌を見てお分かり頂けたように、「歌の聖」は遠い雲上の存在ではなく、私たちと同じ悩める人間だったのです。この当たり前の事実。気づけば人麻呂だけでなく、和歌のことがもっともっと好きになると思います。

→関連記事「万葉集の引力! 柿本人麻呂の挽歌と六皇子

(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第三回)】和歌のグレイテスト・ヒッツ!

ろっこ(rocco)の仕事「ジャパニーズカルチャー講師」ってなに? 前衛芸術家「藤原定家」、伝説の歌人「西行」のエピソード。和歌のデビュー曲「スサオノミコト」の歌。和歌とは日本文化の源泉であり、退屈な暗記科目では決してない! うっちーの推察(妄想)も入れ混ぜつつ楽しくお送りします。「ジャパカル講師」ろっこ(rocco)の鋭い突っ込みと素敵な声も必聴です。

秋の虫 ~悲哀を歌うソプラニスタ~


189「いつはとは 時はわかねど 秋の夜ぞ 物思ふ事の 限りなりける」(よみ人しらず)
いつからかは分からないが、秋の夜は思いわずらいの極みなのだ!

何かにつけて物思いに耽る平安歌人ですが、なかでも秋の夜は特別なようです。

そうさせるのは彼らのしわざかもしれませんね、秋の虫です。
「松虫」、「鈴虫」、「こおろぎ」。童謡「虫のこえ」でもおなじみの虫たち。
松虫が「チンチロ チンチロ チンチロリン」ときたら、鈴虫も「リンリン リンリン リーンリン」。

秋の夜長に響くソプラニスタのメロディに、訳もなく物思いしてしまうのは私たちも同じです。

ここでワンポイント豆知識。
和歌で詠まれる「きりぎりす」は、現在の「こおろぎ」を指します。

196「きりぎりす いたくななきそ 秋の夜の 長き思ひは 我ぞまされる」(藤原忠房)
こおろぎよひどく鳴くな、秋の夜の長い思いわずらい私が勝っているのだ!

ちなみに昔は鈴虫を「松虫」、松虫を「鈴虫」と呼んでいた、なんて話もあるのですが、まあ正直そんな細かいことはどうでもいいんです。
平安歌人にとっては「泣けるか泣けないか、それが問題だ!」なのですから。

197「秋の夜の 明くるも知らず なく虫は 我がこと物や 悲しかるらむ」(藤原敏行)
202「秋の野に 人まつ虫の 声すなり 我かとゆきて いざ問ふらはむ」(よみ人しらず)
203「紅葉ばの 散りてつもれる 我が宿に 誰をまつ虫 ここらなくらむ」(よみ人しらず)

「まつ虫」という名も相まって、つまり「待つ」を掛けることで、愛しい人を恋慕する情景がおのずと出来上がります。
さらにはあの小さな虫を「我がこと」と捉え、自分の姿を投影するのです。
秋という一つの季節に、恋を求めて命の限り泣き続ける姿を。

和歌という、届かぬ恋の物語になくてはならない存在、それが秋の虫です。

(書き手:和歌DJうっちー)

アメコミも真っ青!? 秋の雁の特殊能力


X-MENやスパイダーマンなど、アメコミには様々な特殊能力をもったヒーローが登場しますが、実は古今和歌集にも驚きの特殊能力を複数併せ持つ凄腕が存在します。

それは誰あろう、秋を代表する鳥「雁」です!
※ちなみに「雁」は「がん」ではなく、和歌においては「かり」と発します。

「雁」は、春の「うぐいす」、夏の「ほととぎす」と並ぶ古今和歌集を代表する鳥のひとつ。
ただうぐいすが「春を待ち望む姿」、ほととぎすが「鳴き声に懐かしい人を思い出す」といった定型的な詠み方をされるのに対し、雁は様々な趣向を凝らして詠まれます。で、その趣向がアメコミヒーローばりの特殊能力に溢れているのです。
今回はそんな「雁」の特殊能力を、歌と共にご紹介しましょう。

■能力1「目からインクビーム」
258「秋の夜の 露をば露と おきながら 雁の涙や 野辺を染むらむ」(壬生忠岑)
なんと! 雁の涙は野原を染めるのです、それも秋の色に。
(平安歌人は秋の夜露が、野原を秋色に染めると表現しました)

■能力2「巨大化」
212「秋風に 声を帆にあげて くる舟は 天の戸渡る 雁にぞありける」(藤原菅根)
なんと! 雁は空を渡る巨大な船に変化します。
(これは群れをなして飛ぶ姿を見立てたものです)

■能力3「時空ワープ」
30「春くれば 雁帰るなり 白雲の 道ゆきふりに ことやつてまし」(凡河内躬恒)
31「春霞 立つを見すてて ゆく雁は 花なき里に 住みやならへる」(伊勢)
鳥であれ花であれ、和歌の景物は基本的に詠まれる季節というものが決まっています。
ただ上の歌で分かるように、雁は「秋」だけでなく「春」でも詠まれています。
これは時空を超えたワープだ!
(これは「帰雁」といって、花も咲かぬ早春、北へ帰る雁の姿が詠まれます)

■能力4「脱力ボイス」
481「初雁の はつかに声を 聞きしより 中空にのみ 物を思ふかな」(凡河内躬恒)
雁の声を聞いただけで、脱力して心は上の空になってしまうのです! なんて恐ろしい。
(初雁の声を、初めて僅かに聞こえた愛しい人の声に例えた恋歌です。中空にもの思ふとは? まぁ要するに恋わずらいですね)

■能力5「ラブ・メッセンジャー」
207「秋風に 初雁がねぞ きこゆなる たがたまづさを かけてきつらむ」(紀友則)
雁はたまづさ(玉章)つまり「手紙」を運ぶ使者でもありました。
そう、雁は愛する二人をつなぐラブ・メッセンジャーでもあったのです。
(雁はたまづさの由来は中国の故事にあったようです)

いかがでしたか?
雁の特殊能力にアメコミヒーローきっと度肝を抜かれたことでしょう。
実は和歌における歌語(この場合「雁」)で、これほど多くの設定がなされいるものはありません。

森鷗外の小説「雁」には不忍の池(上野)を往来する雁が描かれているように、ちょっと前までは身近な渡り鳥であった雁。
この特殊能力を知って、ぜひ秋の歌に詠んでみましょう。

(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第二回)】和歌と短歌の違い ~歌の心編~

同じ三十一文字で何が違う? 今回は和歌と短歌における「歌の心」の違いを話します。短歌は和歌のカウンターカルチャー! 正岡子規と紀貫之の対決。和歌と短歌を実際の歌で比較してみました。あなたも違いが分かりますか? 和歌とは日本文化の源泉であり、退屈な暗記科目では決してない!うっちーの推察(妄想)も入れ混ぜつつ楽しくお送りします。「ジャパカル講師」ろっこ(rocco)の鋭い突っ込みと素敵な声も必聴です。

とばっちりだよ女郎花


秋の草花といえば、やはり「秋の七草」ですよね。
萩、尾花(すすき)、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗。
→関連記事「秋の七草

その中でも代表格といえば?
一般的には萩や尾花の声が上がりそうですが…
→関連記事「秋の大混乱、荻と萩と薄(尾花)

なんと、古今和歌集的秋の七草の代表は
「女郎花(おみなえし)」なんです!

秋上部に「萩」の歌は11首ありますが、「女郎花」はそれ以上の13首も詠まれています。
もちろん七草の中でも最多ですし、秋部上全80首中の13首を占めるんですから、女郎花への関心は相当高かったといえます。

この記事をPodcastで聞く!「第九回 秋の七草を覚えよう♪」

そしてこの女郎花、歌中での扱われ方が少し異様なんです。
例えば…

226「名に愛でて 折れるばかりぞ 女郎花 我落ちにきと 人に語るな」(僧正遍昭)
その名前に惹かれて手折っただけだ。間違っても俺が堕落したなんて絶対人に言うなよ!!

227「女郎花 憂しと見つつぞ 行きすぐる 男山にし 立てりと思へば」(布留今道)
うわ、女郎花だ! 最悪だぜ…と思いながら行く。なぜって女が男山に立ってんだぜ!

229「女郎花 多かる野辺に 宿りせば あやなくあだの 名をや立ちなむ」(小野美材)
女郎花が沢山咲いている野辺で寝てでもしたら、つまんねぇ噂が立っちまうぜ

230「女郎花 秋の野風に うちなひき 心ひとつを 誰によすらむ」(藤原時平)
女郎花さんよぉ、秋の風にフラフラとなびいているようだが、いったい本命は誰なんでしょうねぇ~?

どうですか。
いつもは草花に優しく触れていた歌人達が、女郎花となると目の色が変わったようにぞんざいに扱っているように思えませんか?

ちなみにいつもの調子で詠むとこんな感じです。
232「たが秋に あらぬものゆゑ 女郎花 なぞ色に出でて まだき移ろふ」(紀貫之)
飽きられたわけでもないのに、なぜこんなにも早く色褪せてしまうのか?

236「一人のみ 眺めむよりは 女郎花 我が住む宿に 植えて見ましを」(壬生忠峯)
一人で物思いしているよりは、女郎花をうちの家に植えてみたいなぁ

確かに「女郎花」です。
言葉遊びを楽しむ和歌では、その花を「女」に例えて当然でしょう。

しかし! この女郎花に対する感情の変化には驚きます。
まるで忍び偲んでいた日頃の鬱憤を八つ当たりしているよう…

その名のせいで、思わぬとばっちりを受けている女郎花なのでした。

(書き手:和歌DJうっちー)

俊成卿女 ~溢れ出るムンムン女子力~


俊成卿女はその名のとおり藤原俊成の娘です。俊成の女といったって彼女ではありません、念のため。
ただ娘は娘でも実の父は藤原盛頼、母は俊成の娘八条院三条なので養女ということになります。父盛頼がある事件(鹿ヶ谷の変)で罰せられ失脚、母三条と離婚したため、祖父である俊成に預けられたのです。ちなみに藤原定家は叔父であり兄であります。ややこしいですね。

祖父であり父である俊成御大に鍛えられたのか、俊成卿女の和歌の腕前はメキメキと上がります。
それは鴨長明の歌論「無明抄」で、「今の御代には、俊成卿女と聞こゆる人、宮内卿、この二人ぞ昔にも恥じぬ上手共成りける…」と称えられるほどです。

ところでこの俊成卿女と宮内卿の二人、和歌界隈では昔からしばしば比較されてきました。オジサン世界に突如咲いたうら若き花二輪といったかんじで、当時から目立つ存在だったのでしょう。
ちなみに新古今和歌集には宮内卿の歌は15首、俊成卿女の歌が29首採られていますから、歌数だけでは俊成卿女の方に軍配があがります。
話の脱線次いでにもう一つ、俊成卿女と宮内卿は和歌のオールタイムベスト「百人一首」に入っていません。当時の評価も高く、俊成卿女に至っては選者である定家の身内にもかかわらず、です。色々と勘ぐってしまいますね。
→関連記事「百人一首はなぜつまらないか

さて、俊成卿女の歌の特徴は一言、
「女子力」です。

恋歌はもちろん、四季歌を詠んでも恋の色香がムンムン漂っているのです。
俊成卿女の歌を聞いて、振り返らない男がいたら野暮ってもんですよ。

ただ実生活ではそのムンムン女子力も通用しなかったのか?
俊成卿女は源通親の息子、通具と結婚するのですが、通具が後に新妻を迎えてからは寵愛を失い半ば追い出されてしまうのです。

いや、むしろ彼女のムンムンの源泉は両親や自らの離婚の経験にあるのかもしれません。
それは俊成卿女の歌を鑑賞すればおのずと感じられます。

俊成卿女の十首

一「風かよふ 寝覚めの袖の 花の香に 香る枕の 春の夜の夢」(俊成卿女)
爽やかな春の目覚めが、「香る枕」で一気に妖艶なシーンに変わります。その匂いは…どう考えたって愛しい男の匂いでしょう。

二「恨みずや うき世を花の 厭いひつつ 誘ふ風あらばと 思ひけるをば」(俊成卿女)
恨まずにいられるか! と俊成卿女に言われると、単なる落花の話には思えません。

三「あくがれて 寝ぬ夜の塵の 積もるまで 月に払はぬ 床のさむしろ」(俊成卿女)
寝床の塵が積もるまで、月を待っている。この月は訪れを待ち望む愛しい男の暗示ですね。

四「あだに散る 露の枕に ふしわびて 鶉鳴くなり とこの山風」(俊成卿女)
「鶉鳴くなり」は祖父であり父である、いや歌の師匠である俊成を彷彿とさせます。御子左家らしい難解な歌です。
→関連記事「藤原俊成 ~和歌界のゴッドファーザー~

五「とふ人も あらじ吹きそふ 秋は来て 木の葉に埋む 宿の道しは」(俊成卿女)
愛しい男の訪れはなく、我が家への道は落ち葉に埋もれてしまった! 秋部の歌ですが、完全に恋歌ですね。

六「下萌えに 思い消えなむ 煙りだに 跡なき雲の 果てぞ悲しき」(俊成卿女)
ひたすら忍んだ末に跡形もなく消えてしまう恋。こんな空しい恋、私はごめんです。

七「面影の かすめる月ぞ 宿りける 春やむかしの 袖の涙に」(俊成卿女)
愛しい彼の面影がほのかに宿る月、昔と変わらぬ私の袖の涙に…って、定家も驚きのぶっとんだ歌です。
実はこの歌、本歌があるのです。
「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」
これを知らないと、なんのこっちゃ分かりません。
→関連記事「在原業平 ~愛され続けるダメ男~

八「ふりにけり 時雨は袖に 秋かけて いひしばかりを 待つとせしまに」(俊成卿女)
季節を春に時雨を春雨にしたら完全に小野小町ですね。
恋歌におけるこの徹底的な「待つ女」スタイル。俊成卿女は小野小町の正当な伝承者といえます。
→関連記事「小野小町 ~日本女性の恋愛観のルーツ~

九「通ひこし 宿の道芝 枯れがれに 跡なき霜の むすぼほれつつ」(俊成卿女)
跡なき霜とは、男の訪れがないことの暗示。霜が結ぶように、気持ちも落ち込んでゆく。
恋歌の名手は分かりやすい恋心なんぞ決して歌いません。

十「夢かとよ 見し面影も 契りしも 忘れずながら うつつならねば」(俊成卿女)
結局は全て夢。なんとも儚く空しい恋歌なのでしょうか。

本来的に和歌の恋歌は一切の幸福を受け入れない残酷な物語。俊成卿女の歌はそれを徹底的に磨き上げたものです。
真の女子力とは孤独を受け入れてこそ得られるのでしょう。
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~

(書き手:和歌DJうっちー)

→「ろっこの和歌Bar(7月の夜会)」7/24(水)19:30~22:00