雲きえし秋の中ばの空よりも月は今宵ぞ名に負へりける(西行)

ちょうどひと月くらい前、私たちは西行による名月賛歌の数々を鑑賞した。伝説の歌人西行が寄せる、月への並々ならぬ愛情をひしと感じたことだろう。ところがである、その中秋の名月をも越えて彼が心酔するものが他あった! なんとそれは九月十三夜の月、いわゆる豆もしくは栗と呼ばれる月である。『雲のない中秋の空のやつなんかよりも、月という名前は今宵(九月十三夜)のことを言うのだなぁ~』、私たちは改めなければならない、月とは十三夜こそが格別なのだ! 西行が言っているのだ、間違いない。

(日めくりめく一首)

さまざまに心ぞとまる宮城の野の花のいろいろ虫のこゑこゑ(源俊頼)

さて、さまざまに秋の虫の鑑賞してきたが、いずれにも和歌らしい類型化された様式がはっきりと見て取れた。これは西行のように規定の枠を超えた歌人にとってはどうでもいい話だが、柵の宮廷歌人にはいかんともしがたい問題だったのである。今日の歌人、金葉集撰者である源俊頼にして「いかにしてかは、末の世の人の、めづらしき様にもとりなすべき…」と嘆きを隠し切れない。しかし俊頼は挑んだ、今日の歌はその爪痕のようなもの。『花のいろいろ、虫のこゑこゑ』。童謡ような拙さを感じるだろうか? そういう御仁はぜひ声に出して俊頼の歌を鑑賞してほしい、晴れやかな色と音に包まれた新しい宮城野を感じられるはずだ。

(日めくりめく一首)

なけやなけ蓬が杣のきりぎりす過ぎ行く秋はげにそ悲しき(曽禰好忠)

『鳴けや鳴け! 蓬が茂って荒れ果てた我が家のきりぎりすよ。過ぎ去って行く秋はこんなにも悲しいのだ』。「きりぎりす」という名はどうにも言葉遊びが出来なかったらしい、ほとんどの和歌では素直にその音色が詠まれている。ただ今日の歌、秋の夜長にしんみりと虫の音に聴き入るという感じではない、どうせ悲しくなるのなら、いっそのこと鳴いて鳴いて鳴きまくれ! と叫びにも似た激情が詠まれている。詠み人は曽禰好忠、おそらく自身も虫と重奏するように泣いて泣いて、行く秋に思いを寄せていたのだろう。

(日めくりめく一首)

【和歌マニア(第91回)】再び怪人「ワカマーニ」! 文屋朝康の歌の謎を解け!!

秋の野にまたも現れた怪人「ワカマーニ」! どうした? 今日はいつもと様子が違うぞ。和歌探偵とろっこはワカマーニに大切な何かを学ぶのであった…。今回は文屋朝康の「白露に…」からの出題、あなたはこの謎が解けるか!?

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すず虫の声振りたつる秋の夜はあはれにもののなりまさるかな(和泉式部)

今日ご紹介する秋の虫は「すず虫」だ。童謡「虫のこえ」にもある「リンリンリン」とまさに鈴のような美しい音色は並みいる虫の中でも随一だろう。ちなみにまつ虫は「チンチロリン」、こおろぎは「キリキリキリ」、「スイッチョン」は何だったろう? 気になった方は各自グーグル先生に聞いてほしい。
さて今日の詠み人は和泉式部、『すず虫が声を張り上げてなく秋の夜は、気持ちがいっそうしんみりしちゃうなぁ』といった内容でポイントは「振りたつ」にある、これは「鈴」からの「振る」という縁語なのだ。歌と気持ちよく一体化しているので気付きづらいが、ここでも虫の名前で言葉遊びをしていた。

(日めくりめく一首)

来むと言ひしほどや過ぎぬる秋の野に誰れまつ虫ぞ声の悲しき(紀貫之)

秋の虫、今日は「まつ虫」である。さて、よく古典文学では今の「まつ虫」は「すず虫」を指し、「まつ虫」こそが今の「すず虫」であると言われる。率直に言おう、どっちでもいい。では一緒くたにしても良いのかと問われればそれは困る、和歌で肝要なのは虫の見た目や鳴き声ではなく、その「名前」なのだ。まつ虫が歌に詠まれるとき、それはきまって「待つ」の掛詞として詠まれる、そこに虫の音に哀愁を寄せる孤独な人間を当てがえれば立派な秋の抒情歌の出来上がりだ。
昨日今日と貫之の歌をご紹介したがどうだろう? いくら平安の技巧派とはいえ、それは非常に素朴なものであった。しかし当意即妙を求められた宮廷歌人には、これくらいがちょうど良いのだ。

(日めくりめく一首)

秋くれば機織る虫のある辺に唐錦にも見ゆる野辺かな(紀貫之)

枕草子にこんな一文がある。『虫は、すず虫、ひぐらし、蝶、まつ虫、きりぎりす、はたおり、われから、ひお虫、ほたる』。清少納言が「グッとくる」虫の名を挙げたものだが、ここに見える大半は秋の夜、儚げに鳴く虫たちだ。
「すず虫」、「まつ虫」、「きりぎりす」、「はたおり」、今日からはこれら秋の夜長に情趣を添える「虫」をご紹介しよう、まず「はたおり」だ。『秋がくれば機織る虫がいるためか、唐錦のように美しい野原だなぁ』、歌中の「はたおり」とは「きりぎりす」の古名である。ところでこの歌、虫の「音」を詠んでいないし、「見ゆる」とあるので「夜」でもない。「はたおり(機織り)」という名の連想から「唐錦」を付けるという無理が祟った悪例だ。

(日めくりめく一首)

小山田の庵ちかく鳴く鹿の音に驚かされて驚かすかな(西行)

「鹿」を題材に、和歌の類型とそれを克服しようという試みを鑑賞した。しかしそのもがき苦しみはかえって和歌を袋小路に迷わせてしまったように思える。どうすれば岩盤のように存在する「伝統」を打破できるのだろう!?
『うちの小屋の近くで突然鹿が鳴いてめっちゃビビった~、で逆にビビらせてやった(笑)』。簡単だった、無視すればよかったのである。西行という規格外の人間にとって、和歌の伝統的規則なんぞ使いたいときに使う便利ツールに過ぎなかった。ここで誤ってはならないのは、西行はむしろ誰より和歌の伝統に精通していたという事実である。

(日めくりめく一首)

「新古今HAKA集」と後鳥羽院

ラグビーW杯で日本代表が獅子奮迅の活躍を続けています。
昨日(10/6)のサモア戦は38―19で勝利、なんと開幕から3連勝で史上初の8強入りも夢でなくなってきました。

ところでラグビーと言えば、ニュージーランド代表が試合前に披露する「ハカ」も話題の一つですよね。チーム一丸で迫りくる踊りと表情に圧倒されますが、なにも闇雲に威嚇しているわけではありません。一つひとつの踊りにはタイトルも歌詞もちゃんとあるのです! と、偉そうに言っておりますが、私も「ハカ」についてほとんど知りません。

そういう方に「ハカ」を知る最適な動画があります、その名も「新古今HAKA集」!
ニュージーランド代表が舞う「カ・マテ」「カパ・オ・パンゴ」など5種類のハカを見ることができます。

この動画を見たうえで、私には疑問が湧きました、、、
なぜ「古今HAKA集」ではなく、「新古今HAKA集」なのだろうかと!
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嵐ふく真葛が原に鳴く鹿はうらみてのみや妻を恋ふらむ(俊恵)

昨日は典型的な鹿の歌をご紹介した。その上で和歌の類型化に対して、古の歌人がいかに挑んだかをご覧に入れよう、俊恵である。『嵐吹く葛一面の野原で鳴く鹿は、葛の葉裏を見たかのように、恨みながらも妻を恋続けているのだろうか』。分かりづらいがルールは守っている、きっちりと鹿は孤独に妻を恋いて鳴いているのだから。難しさの要因は「葛の葉」。これは牡鹿の心情「恨み」を言いたいがために掛詞の「裏見」から逆算して用いられているのだが、本来「恨み」を言うのに「葛」なんてのは全く不要である。しかし! 秋の情景をより秋らしく飾るために俊恵は選んだ。和歌とは難儀な文芸であるが、この面白さに気づくと病みつきになる。

(日めくりめく一首)

→令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、神無月)10/27(日)9:50~11:50