【和歌マニア(第64回)】「絶句(漢詩)」と「絶句連歌」を楽しもう!


絶句とは起・承・転・結の4句からなる漢詩体。これをアレンジした平成和歌所オリジナルの連歌、その名も「絶句連歌」をご紹介します。ろっこは漢詩も大好き! 「春眠暁を覚えず」でお馴染み「春暁」にシビれまくりです。
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見えるか? 天の川

去る6月29日、関東地方では早くも梅雨明けとなりましたが、これは平年より22日も早かったそうです。
しばらく猛暑日が続きましたが、一転今日は叩きつけるような激しい雨、
不安定な天気が続いているなか、明日7月7日はみなさまお待ちかねの「七夕」です!

173「秋風の 吹きにし日より 久方の 天の河原に たたぬ日はなし」(よみ人しらず)

これは古今和歌集で読まれた七夕(天の河原)の歌ですが、少し違和感がありませんか?
7月7日は「夏」のはずなのに、なぜか「秋風」が合わせて読まれています!

まあお分かりだとは思いますが、これは現在と使ってる暦が違うからですね。
和歌はもちろん旧暦(太陰太陽暦)で、その1~3月を春、4~6月を夏、7~9月を秋、10~12月を冬に分類します。
ですので7月7日は初秋、本来七夕とは涼しい風が吹き始めた頃に催されるイベントだったのです。
ちなみに今年(2018年)の旧暦7月7日は新暦の8月17日にあたります。
同じ行事でもおよそ一ヶ月半も違うのですから、合わせ詠まれる叙景が違って当然ですね。

このように古典文学を鑑賞していると、現在とは異なる慣行に違和感を覚えることは沢山あります。
かといってこれが、古人との交流の妨げにはなりません。
なぜって持ち合わせている「心」は変わっていないのですから。

古今和歌集には7月6日に詠まれたこんな歌があります。

■詞書:七月六日七夕の心をよみける
1014「いつしかと またく心を 脛(はき)にあけて 天の河原を 今日や渡らむ」(藤原兼輔)

待ちわびちゃって、裾をまくって今日にも天の川を渡りたい!
牽牛の気持ちを代弁したユニークな歌ですが、
年に一度のイベントを前にしてウキウキしちゃうのは今も昔も変わらないのです。
さて明日、みなさまに素敵な夜空が見えることを祈っております。

(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第63回)】天の川だけじゃない、和歌で詠まれた「恋の川」特集♪


もうすぐ七夕! 今回は「天の川」ならぬ和歌に詠まれる「川」特集をお送りします。実は和歌なかでも恋の歌では川が合わせて詠まれることが多いのです。ろっこ節炸裂! 男はもっと恋をしろ。デートで星見に行きた~い♪
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【歌会・和歌教室】(銀座)「はじめての古今伝授と連歌会」文月の会

■概要

和歌の基本を学び、それを連歌遊びで披露するワークショップ形式のカジュアルな歌会、それが「はじめての古今伝授と連歌会」。
日本文化ツウも初心者も、和歌や古典文化が好きであれば誰でも楽しめます♪
今月のテーマは「七夕」。
文月にも掛けて、今回は「短冊」に自作句をしたためてみましょう。
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水無月の歌集(歌会ご参加者様の詠歌)


短歌ではなく、伝統的な「和歌」を詠むことを目指す平成和歌所の歌会、
そのご参加者様の詠歌をご披露させていただきます。
※2018年6月はおよそ二百五十首の歌が詠まれました

ご参加者様のほとんどが、平成和歌所の歌会で初めて歌詠みとなられています。
それでも素晴らしい歌が詠めるのは、無意識にも私たち日本人に「日本美のあるべき姿」が宿っているからです。歴史に培われた日本文化とは本当に偉大です。
私たちと一緒に和歌の詠歌、贈答、唱和をしてみたい方、ぜひ歌会にご参加ください。
歌会・和歌教室

言の葉は天より漏れるものなれや 五月雨尽きて笑みの溢れる
雲間より漏れ来るごとに詠み連れば 五月雨尽きて明陽射すらん
さみだれて寝る夜久しや黒潮の 鯨の吐息遠き夢のごと
夜汽車にて絵文字で交はす情あり いずれを言の葉とこそみん
夢のごと故国をおもひてゆく春を 惜しむ亜州の別れなるかな
南海の濱のいさごに打ち寄する 白波おほく数勝るまで
いさやはやつきじとみえしものなれど 江都よひらのけふの五月雨
まかりきてほどなくなればとはやれども みえぬひがきのこいじをとざす
御垣内倭の百菓集むれば 嘉び溢れ祥い満る
五月雨の降りにし夜の時鳥 声なつかしく闇に聴くらむ
鹿ヶ谷蛍の光舞ふ路の 命の灯す景色はかなし
雨過ぎて風を乗せ揺れる鞦韆と 白雲写す水鏡かな
闇になほ静かにすたく雨の音に 匂ひ残せる梔子の花
五月雨の落つる雲さへ越え行かば 玻璃の散らせる射干玉の海
紫陽花の色のうつろふ四ひらにも 乗せる露には同じ空かな
時じくに心を浮かぶ空鏡 丸く包むや憂しも愛しも
七色の光を宿す天の珠 いかに染めるや紫陽花を
紫陽花は いかに染まらる 七色の 光は落つる 天の珠水
あぢさゐの夜露にうつるほたるひは 四ひらの花の夢のまたたき
いづかたに雲はゆくらん水無の空 思いばかりが雨とのみふる
たつぷりと雨水ふくみしのち烈し 日輪の矢に抗たるあぢさゐ
夜の虹を午に匂はすあぢさゐの かをり濃かればくるほしからめ
紫陽花や書架にのびたる司書の腕
わたつみの深き願ひと知りながら なほたちさふか沖つ白波
通り雨のシャツをきゅうっと引っ張って なんにも言わないあじさい娘
風吹けど転ぶ玉なき蓮の葉の 緑渇くや今日も旱か
この暑さ斜めならずや頻く頻くと 昼の明さも過ぎて耐へざる
あからしま如何に如何にと念じつつ あなかしがまし五月晴れとも
嗚呼皐月火の色積もる日すがらに 早苗の心知らざっしかば
陽炎の燃ゆる夏日の透き影に つゆも知らじな鯉や泳げる
あらまほし空や直青袂返ず 露も永瀬風も一向になし
朝羽振る蜉蝣影や儚きて 眺め侘しも雨音聞かばや
暮れかかる夕べの雲の佇まひ もし降りたればこそ可笑しけれ
何れの年に植えて仙壇上に向かう 早晩移し栽えて梵家に到る 人間に在りと雖も人識らず 君に名を与えて紫陽花と作す
水無月の照る陽に枯れる花あれど 絶えぬ紫常にもがもな
暮れ掛けに待ち嘆げかるる夏雲よ 寄せて久しき青時雨落つ
安治佐為や君泣き濡れし五月雨に 嬉しからまし暮れに色染む
朝比奈の待ちとる方の山葉より 顔映ゆしくも雨そ添ひゆく
時や夏音して来たるヲタクサの 空に知られぬ雨の喜び
待ちつけて時雨の触れる嬉しさに 光り余りし狐の嫁入り
曇りなく目に見ゑねとも玉光る 露けき風に天は泣くなり
朝雨や来たれ夏との声為鳴り 物言はずとも真藍そぐらむ
集真藍や花の四片に梅雨疾る 玉の音する好きな此の夏
うらうらと長閑けき夏に玉鳴りて 草木土の香気配芳し
仙人の持ち帰りしは八仙花 香りも無くに匂ひたつ花
花白き柏の下葉移りしは 赤青緑七変化なり
風雲の気色は頓に夏立ちぬ 折ふし寒き外待雨かな
薄く濃く降るを間々に染め分けて 中空にのみ見えし阿豆佐為
今皐月近劣りみる安知佐井は 嫋やかならぬ間の色か
待ちきれぬ月の隙間の止毛久佐は 一夜限りと花や群ら咲く
雨晴るる意は尽きぬ水無月の なほ色劣る庭の味狭藍
晴れぞ憂き皐月と思へど水無月に 曇り掛かればせめて影染め
夕立ちて遠ひ雷の音頭鳴り 肌の潤ふる風に花笑む
梅雨走る雲の架け橋渡り越す 先は水無月急がれにけり
梅雨然れば濡れたる風そ墨薫る 海魚変じて黄雀となりや
旱梅雨曇り近して甘く落つ 寄るましじきに色も喜ぶ
集真藍昼のこち痛し空梅雨に ゐ及けゐ及けよ戻りし喜雨や
然らぬだに薄き色なる夏の花 今は大言海括り染め梅雨
五月雨や青衣重ぬ紫陽花の 葉も衣勝ちて花もたわわに
水乃月の珠に滴る味狭藍や 清け涼しき夏に酔ふかな
青多磨やしとどに水漬く前栽乃 咲き遊びたるまたぶり草よ
目先の綉球花にある露に触れ ぬるく緩ぶも可笑しく感ず
雨を愛で蔭を好みし半ばかり 梅雨側む実に面白き花
鎌倉や四葩咲く咲く雨篭り 今の夏こそ咲耶此乃花
杜鵑草鳴く夏乃寺一重垣 暇見へぬまで手鞠花咲く
茜さす四片に依せる赤玉の 儚く揺るる涼し夏影
ゐま茲に来たる夕影紅を差す 阿豆佐為まかむ彼は誰時
暮れ染めに鳥居に帰る宮鳩の 翼の色も赭括りけり
雨暮れや涼みがてらに笛吹けば 軽ぶともなく音もしほほに
珍しく調の宜しき時こそは 吹きけらしとも長く思はば
風の音に常忘らへて練ずれば 何しか笛は吹けど飽かなく
唯なりぬ折あらざりし微か音の 吹き変わるかな尚試みむ
さっきまで何とはなくて吹き譜の つい定まりぬ音の一つに
鶺鴒の鳴く声偲び練ずれば 雨星光る空に音聴く
夏の夜に降るとし聞かば水な月の 声に意を慰めよとや
星残るとまりし雲を豐に見ゆ 天降りましけり多磨光りらむ
皆月乃棚雲裂けて雨そそく 望に消ぬれば其の夜降りけり
射干玉の照れる濡れ羽根明くる夜を 名乗る鴉の声も夏なる
真やな朝なこの頃聞くにつけ 烏丸の声に驚かれぬる
春に聴く華やか軽ろぶ声ならぬ 重き恨めし夏に苛れる
雨催ひ友鳥何処鳴く鴉 戯れ事か甍蹴散らす
恨めしや晴れの日に聞く彼の声も 雨に聴くなり気色覚ゆる
嵩もなく一声も無き濡れ烏 夏の哀れと思ひそめしか
朝羽振る露切る音の晴明さよ 身に沁むまでに降るる夏なれ
黴雨に映う呂色に優る濡烏 艶に思はぬ限り知らずも
鴉羽根色は八千種紫の 青赤緑妖し黒ぐむ
朝影や愈ますます玉光る 烏纏ふし霓裳羽衣
朝の末夢覚めやらで聴く聲の 濡羽ね色に黒き虹立つ
東雲に朝陽一条赤ら引く 乾めき青空夏越を祓ふ
溯る水脈に揺蕩ふ朝日子の 御影賢き水有月よ
雨間なく衣片敷き狭莚の 時しも分かず待つは哀しき
狭筵の砌の飛泉雨に打つ 降ち行く夜を誰が惜しまぬ
仮初めの我が家後にし陸奥へ あじなき事と致さふものとも
別れ越し北は晴れたか此処は雨 行くも帰るも雲の隨
朝霧の夏山息吹く水無月に 争ひ霞む卯月曇りよ
むくつけき風走らかす雲有らば 猶予ふ雲よ何そ何ぞ迷ふ
深山路に卯の花曇る青時の 穀雨を下す影となりけれ
雲問ひし風は答へぬ雨落ゆる 早苗色付く夏の此の頃
降れば降れ水無月こその五月雨に 雲煙為す夏に手合わす
白煙何ぞと人の問ひしきは 露と答へて消なましものを
明かず見る卯の花腐し始水の 白雨に嘆く夏の暮れかな
潮どけし漂ひながら終わり待つ 眺め詫びしき腐し卯の花
五月雨や積もるも見へず霞行く 遠を見さけて夏の川舟
篠突きし雨や肘笠意做し 在るか無きかの遠き花の香
雲の咲く水菜月に見ゆ夏乃空 色を移して散るる雨花
千歳降る五月雨る儘に夏よ行く 雨を翠に重ねてぞ見る
不如帰声ぞ霞に漏れ来るは 人目羨しき深山に咽ぶ
若夏乃有為の奥山翠濃く 靜な闇間もなほ暗き在り
谷間抜く月に五月雨る音頭鳴り 轟に疾る今の夏知れ
叢雨のさざれ激しく降り果てば 東風に肖ゑまし雨弓よ張る
雨あがるただ見て仰ぐ虹乃橋 始めも知らぬ何処をはかと
まちまちに降る雨照る日仰ぎしは 様々変わる数多の恵み
天に坐す崩れて幾つ雲の峰 夏星濡るる宵の玉響れ
水張りの月見て涼む夏の夜に 早苗田薫る夜は懐かし
曇る中陽朝射し貫く六月に 峰越し山越し夏よ来るらむ
皆月に年の半ばの大祓 茅乃輪くゞりて三度八ノ字
五月雨に堪へに堪へてそ三十日経ち 後も清らな夏は来るなり
去年秋に歌詠始む抑も抑もは 恩に報ずと弓と笛執る
不覚にも恩に急ぎて吹き譜は 事を為しても嬉しからずや
強ちに如何せむかと其の意 持てわけたるは浅ましき業
粗粗し技云へぬほど作法無く 音を損ひ失礼為すとは
然りとても心顧さふ憂き夜に 猶し嬉しき泣き笑勝ちかな
冬乃月返り申して師の笛の 伊呂波の濤に音姿見ゆ
教え請ひ我の持たざる聴くを知る 聴かざることに音沙汰なしと
然か覚ゆ奏者に非ず本為るは 春唄ふ君梅の目白そ
根本の意を知らず業為すは 根無しの花か実りも虚し
敷島の萬源辿りせば 四じを巡りて天地歌ふ
見得る物見得ざる物と聴きし事 聴かざる事も謌ふ心は
古の物の憐れは巡り事 憂ひ慰む吾も知る事
歌詠も横笛とても同じ事 種は心の感ずる儘に
心無く弓し刀帯如何に責む 花に迷はずまこと花知る
合気とは負ける業なる其は受け身 無様を晒す稽古其の物
正鵠は的に無き事外すとも 当たるとも無く礼結ぶもの
術為すは強きに向けし闇を観る 外に非ずに内に在るもの
挫く時先生偲び倣ふとす 無駄の稽古の有り難き哉
善し悪しも言無く重ぬ身の丈の 稽古身を置く一つ大事を
文藝武数多花実の種其れは 心を映す謌に在りけり
謌そ何字形無き音に聴く 変化変幻す花の心は
種在らば唄は生まれる大和歌 色も形も香り芳し
花を置き実を置き求む槌の下 闇の根にこそ種の始まり
良き種も拙なき槌に根はつかぬ 耕す稽古それは道草
瀬戸に立ち風に試む歌詠も 笛吹く事も鳥の空音と
吹きたくは雨音風音言葉なく 槌石転ぶ物の可笑しさ
草の香や花の愛しさ笑ふ蟲 生の喜び影の淋しさ
四じにあるかたち色々豐けさは 暑さ寒さの変はる様なり
闇に在る星月の事見へざるは 忘れ淸水常なりし影
先達の残せし歌謡は星に在り 心に眠る歌詠よ流るゝ
歌ひたき恋歌ならず人事なし 野哥空謌神代の謡ひ
浮き世とも人を嘲笑ず愉しませ 仮名序に在りし歌を詠む哉
吾妻にて歌詠ならば秀真とし 雅ならずと夷振る儘に
金塊や裂けて散りしも鎌倉の 目には見へねど藤谷に鳴く
実にや実にまこと然にこそ嬉しかる 想ひ寄せるは深き草の根
何事も初の習ひとその道で 誼と交わす話樂き
恵比寿にて思ひ掛けずに有難き 稽古頂く其れは始まり
驚きぬ鳥の空音を奏つ人 吾や吹きたくは笛の風唄
鶺鴒の声や清しく吹き渡る 美しふ美しふそ風と行くもの
笛吹きは心出で来る物の具の 何と直ゝあから様為る
身を辿る案の外にも迷ひつゝ 此れも倣いと笛を手に執る
春は来ぬ天神報ず咲く梅の 梢に謌ふ目白に逢わむ
錫鳴りに飛梅と遊ふ愛し翆 目白押しとは笑みの眉開く
仮初めに春に逢ふこと無かりせば 斯く歌を詠む日々や在りきと
程無くに銀座へ参り初を聴く ともに習ふやをかし徒
歌人に書に作るゝ人有らば 謡ひ菓子喰む実に面白き
ひちちかに紅染むる月乃秋 紅葉の橋に花衣舞ふ
四季島の深き歌詠む時を知る 忝なくは和先生よ
愛しきやし翁乃謡よ欝悒しき 片生ひなる吾感けて居らむ
否も諾も欲しき隨赦すべき 言を尽くさば歌を詠まむと
吹きに打ち弾いて叩いて唄に舞ひ 凌ぎを削り弓を引く年
和す事の愉快や愉快然為るなら 扇を執りて舞ってみましか
未だ寒き枝を交わすと歌詠の 友は異国の便り楽しむ
年新た吾と心す野辺に出で 草木花歌練じ過ぐすと
目を閉じて先ずは耳為る音を聴く 観ずる儘に四じを謌ふか
畏れずに恥をも出して事もなく 音に酔ふまで六つの花なれ
春埴槌の柔し馨りに春を知り 冬の名残りを福良雀に
朝陽射す踏ノ蒼草野辺遊び 寒き春日も歩くは楽し
巡り来る見目麗しき淡野原 彼岸に咲く花影揺れる
春闌けて山吹に立つ風聴けば 藍を植う頃夏を迎へる
神代より星月夜座す冬星は 天鳩船然れば空蜜
濡羽ねの井守露めき夏も来ぬ 守宮うち鳴く五月雨る様に
六月経ち変わらぬ音の風の中 今一返り新た試さむ
土踏めぬ底の無き闇音世界 屋根も無く見ゆ空や果てなる
見る夢は音の波立つ雨と風 沖つ闇間に溺れぬものぞと
足りずとも憂きに泣かぬと吹き綴れ 足すを為す事春鳥倣う
歌詠て笛音に応ふ音無くば 今此の刻をせめて返さむ
然もあらず水無月こそは試みる 音には音を巴の息吹
百語る音の姿は千乃絵巻 辿る怖さも吹きてし止まむ
鶺鴒の歌聲に泣く水無月の 星の巡りの麗しき歌
意知る厳しみ深き教え鳥 美しき翠衣西風よ吹く
有り難き習ひ進めと穂含月 吾や学ぶらむは数えと運び
古の今の此の先吹き芽ぐる 萬言ノ音真その人
顧みよ迷ふ時こそ友鳥の 計も算無き倣ふ姿を
形無き文字に非る唄を詠む 吹きて無くなる悲歌る音風
叶ふなら物の哀れを物語る 左様な笛を吹きて遊ばむ
大事とは為すか為さぬか言問わず 定めし意に行為すのみ
ささやかに樂しく吹きしその後は 梅本帰り目白と歌を
結句なる吾妻に育む蘖の 百年畑つ一助足らんと
仮初めの浮き世の沫と知りつゝも 遊んで謌ふ鳥の空音を
梢には残る色なき音枯れの 影にのみ聴く時の風かな
とんとんとんからりと夏となり さあさあ朝よそろそろ起きよ
とんとんとんからりと夏となり やあやあ晴れたなになにしよう
とんとんとんからりと夏となり さんさん降るなひりひりするぞ
とんとんとんからりと夏となり てかてか照よみちみち行くよ
とんとんとんからりと夏となり あらあら如何なになにどした
とんとんとんからりと夏となり おいおい泣くよきみきみ話そ
とんとんとんからりと夏となり おやおや友よよいよい遊ぼ
とんとんとんからりと夏となり あははは可笑しあれあれ夕け
とんとんとんからりと夏となり ぼちぼち帰ろばいばいまたね
とんとんとんからりと夏となり もぐもぐ美味しうんうん良い日
とんとんとんからりと夏となり もうもう眠いそろそろ寝るよ
とんとんとんからりと夏となり ゆめゆめ見るよまたまた話そ
大磯の虎が雨降る水無月よ 心噎せつゝ箱根路に泣く
日隠の露に潮垂る朝けかな 空路分けまし今日より栗花落
堕栗花して切り立つ山に海なして 降る水無月を幾重分くらむ
梅つはる岩根の蔦の玉煌り 雨を導に照らしてぞ行く
足踏みの漬ゆ崩れする赭槌に 歩き疲れむ梅雨のみ中に
夏衣音も遣ららに打ちならす わゝくばかりに雨包みせり
雨なのか汗か涙か世に経しと 一人出でては汗衫費ゆし
勤めては憂き世暗きと宵雨を 帰さ見るかな泪ぐましも
男から女梅雨へと移りけり 気暗に弱く暮るゝ空かな
行き道は夏日汗あゆ水無月の 帰りは寒き那須の山風
止まぬ間の中々霞む峰々も 入り日幽かに山ぞ色目く
五よ水垂る有り達つ川の浪早し 越えて濁るゝ夏の沫雪
久方の眺めも涼し夏河の 掬び且つ消ゆ荒ぶに驚く
卯の花の咲き散る雨の瀬と汀 夏や白波岸を越ゆらむ
道々に由なに在りや蔭光 為む方無しと帰るほかなし
迎へ黴雨数多に響む雨音は 掻ひ弾く珠のときを打つ聲
寝てや聞く覚めても聞きし夏の日の 止むこともなき雨の栄を
春譲る雨も光も影すらも 夏に齎し稔り秋へと
日昳晴る夏の姿は現れて 光ばかりぞ雲に待たるる
日名残りに夢幻の憐れの橋掛かる 露を慕ふに照れる虹色
雲細く棚引きたるゝ夕暮れに 銀鮫泳ぎ遠ざかりゆく
雨あがりをゐらかなるゝひと時は 鞦韆風にゆたりと揺れる
揺るきたる風に鞦韆足を空 晴れの日遊ふ虹を越さぬと
定めずに夏空映す潦 行きつ戻りつ大し揺はり
風起しゆらゆら揺れて夏消せば 残るは実青の花色
夏の日に日向と影を行き交へば 涼しく揺れる青葉なりけり
真やね彼の地の友は如何んとす 健こ過ぐすや彼の地も夏か
秋千の儘に居掛かる酉の刻 肌寄す風の気配変はれり
そろそろに鞦韆曳ゐて足をつく 空を染め来る烏丸や帰ろ

絶句連歌「身を知る雨」


去る6月24日に催した「古今伝授と連歌(水無月の会)」において仕上がった、絶句連歌をご紹介します。
※「絶句連歌」とは、漢詩の絶句さながらに「起」「承」「転」「結」の四句からなる、平成和歌所オリジナルの連歌形式です。基本的な付け方、転じ方は連歌の心そのままに、気軽に楽しめるのが特徴です。
→「絶句連歌の作品一覧

題「身を知る雨」

■例
発(起): 五月雨は 問わねど聞ゆ 声のやう
脇(承): 落ちる涙は つゆぞ止まらぬ 
第三(転):待ちわびて はやぞ食いける 冷やし蕎麦 
結(結): 音は立てまじ 密かなる恋

■一の折
五月雨の 空に問ひける 恋心
うすくヒカルは 星か蛍か
夕闇の 深くなりせば 目に見ゆる
袖重なりて 有明の月 

■二の折
五月雨に 鳩の声する 朝寝かな
虹のかかりて 恋の渡らん
かたつむり あじさいの葉に やすむれば
雨もやみなば まへまへつぶり

■三の折
五月空 雨の名残も 消えぬころ
泣けとばかりに 鳴くほととぎす
ひと時を 珠のの型にて とどむるや
何をか映じ 挙ぐ久遠まで

■四の折
あじさいの たまにそいたる かたつぶり
君の来るのを 待ちわびるかな
雲絶えて 夕立過ぎぬ 乾くそで
二度とひじまじ わが薄衣

■五の折
夏の夜に 舞うは天より ふる珠か
闇に流るる 一筋の光
庭にいて 篝火似たる 恋心
七夕の日を 待つ星々

平成和歌所の「歌会、和歌教室」

日本文化の最重要ワード「わぶ(わび)」を知る!


“古語辞典”もしくは“テストに出る古文単語300”なんてのでもいいのですが、
パラパラとめくってみると、あることに驚かされます。

「あいなし」(形)
「あじきなし」(形)
「いたづらなり」(形動)
「うし」(形)
「うたてし」(形)
「かきくらす」(動)
「からし」(形)
「くちおし」(形)
「くるし」(形)
「くんず」(動)
「さびし」(形)
「つれづれなり」(形動)
「ながむ」(動)
「なげく」(動)
「むすぼほる」(動)
「むなし」(形)
「はかなし」(形)
「わびし」(形)
「わぶ」(動)

悲観的な心情を表す単語がやたら多い!

文化とは言葉に表れるといいますが、この豊かさを見るに、古き日本人の悲観主義は筋金入りのようです。
ちなみに現代では同じ心情でも「悲しい」「苦しい」「辛い」程度で足りますから、ずいぶんと前向きな国民に変わったものです。

さて、この豊富な“悲観語”のなかでも、最重要ワードが「わぶ」です。
「わぶ(わび)」は茶道(わび茶)の美意識を表わす言葉としてよく耳にしますよね。
わび茶の「わぶ(わび)」はざっくり「不足の美」といった解釈がなされていますが、元を辿れば古語の悲観表現のひとつだったのです。

ちなみに「わぶ」は他にも多様なニュアンスを持った派生版があります、たぶん“悲観語”の基準だったのでしょう。
下に列挙しましたので、微妙な「わぶ」の違いを味わってみてください。

打ちわぶ
539「打ちわびて よははむ声に 山びこの こたへぬ山は あらじとぞ思ふ」(よみ人知らず)

恋ひわぶ
558「恋ひわびて 打ちぬる中に 行きかよふ 夢のたたちは うつつならなむ」(藤原敏行)

泣きわぶ
798「我のみや 世をうぐひすと 泣きわびむ 人の心の 花とちりなは」(よみ人知らず)

わび果つ
813「わび果はつる 時さへ物の 悲しきは いづこをしのぶ 涙なるらむ」(よみ人知らず)

わび痴る
1068「わひ痴らに まじらな泣きそ あしひきの 山のかひある 今日にやはあらぬ」(凡河内躬恒)

このように微妙に表現を違えて「わぶ」を使い分けていたことが分かります。
一方でこちらの方が重要なのですが、「わぶ」に共通する言意も感じとっていただけたでしょうか?
例えば百人一首にも採られた恋歌に特徴的なのですが、

「わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても あはむとぞ思ふ」(元良親王)
「思ひわび さてもいのちは ある物を うきにたへぬは なみだなりけり」(道因法師)

これらには決して叶わない恋の嘆きが歌われています。
男女の仲をして「世の中」と言っていたこの時代、恋の破滅はそのまま人生の破滅。
「身を尽くす」や「いのち」なんて言葉が詠まれるのは、それほどの切迫感の表れなのです。
つまり「わぶ」とは人生そのものを憂う、最大級の悲観表現だったのです。

そんな言葉が多用されるのが和歌、
平安歌人にとって世を憂う「嘆きの姿」こそが歌の本意であり美の核心であったのです。

この複雑な心情、現代日本人まして外国人にはきっと理解し難いでしょうね。
「日本文化の特徴は?」と聞かれ、
「わび・さびです!」なんて安易に口にしない方がいいです。

(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第62回)】★和歌で星よみ★ 第2回「牡牛座」


ろっこが十二星座にピッタリの歌(歌人)を月イチで紹介する和歌で星よみ! 今回は牡牛座です。牡牛座の特長は“安定を好む慎重派”いわゆる保守的な性格。こんなイメージの歌人ってだれ? 先日開催した「ろっこの和歌バー」の感想も話しています。

♪放送で紹介した和歌
「秋風に たなびく雲の 絶えまより もれ出づる月の 影のさやけさ」(藤原顕輔)

天の川だけじゃない、恋歌に詠まれる「川」特集!


今回のテーマは「恋」と「川」です。
一見つながりを感じにくいこの二つですが、実は和歌では非常に関連が深いのです。

恋にまつわる川と言うと、七夕伝説で有名な「天の川」がまず浮かぶかもしれませんね。
愛し合っていた夫婦、牽牛と織女は仕事もそっちのけで遊びまくっていたため、天帝により天の川を隔てて引き離されてしまいました。
これじゃあんまりだということで7月7日の夜にだけ天の川を渡って会うことが許された、という誰もが知っているお話です。

ところでこの七夕、和歌では「秋」のものとして詠まれること、ご存知でしょうか。
それはもちろん和歌の四季が旧(陰)暦で分類されているからです(旧暦の1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬になります)。
ちなみに今年(2018年)の旧暦7月7日は新暦の8月17日にあたります。
おなじイベントでも実施日が1ヶ月半も違うのですから、周りの叙景から受ける印象は結構変わります。
現代人が和歌になじめないのは、暦が変わってしまったことも大きな要因の一つでしょうね。

というわけで現代の七夕は梅雨の真っ只中に行われますが、これはある意味大問題です。
なぜって梅雨雲に隠れて天の川が見えない!! じゃないですか。
牽牛と織女のロマンチックな物語も、天の川なくしては片手落ち(まあ都会では別の問題(光害)で見えないのですが…)。
ましてあのラブラブ夫婦、長雨で水かさが増して会いに行けないかもしれませんよ! 年に一度の逢瀬なのに、、

なんて妄想も膨らむのですが、閑話休題。
平安歌人は天の川に限らず、ほんとうにいろんな「川」を恋歌に詠んでいます。
今回は平安歌人が詠んだ川にまつわる恋の歌をご紹介しましょう。

まず「言葉の響き」でこんな川が恋歌に登場します。

竜田川

629「あやなくて まだきなき名の 竜田川 渡らでやまむ 物ならなくに」(御春有助)
秋の紅葉で有名な「竜田川」は、「たつ」の響きから「名が立つ(うわさになる)」という意をもって恋歌に詠まれます。

名取川

628「陸奥に ありと言ふなる 名取川 なき名とりては くるしかりけり」(壬生忠岑)
こちらは陸奥仙台の歌枕「名取川」、「名取」からの連想で「なき名」つまり事実無根の恋を詠んでいます。

白川

666「白川の 知らずとも言はじ 底きよみ 流れて世世に すまむと思へば」(平貞文)
「白川」からの「知らず」です。「底」「流れて」と「澄む」は川の縁語ですね。

淀川

721「淀川の 淀むと人は 見るらめと 流れて深き 心あるものを」(よみ人知らず)
「淀川」からの「淀む」ですが少し安易ですね。こちらは「流れて」と「深き」が川の縁語になっています。

音羽川

749「よそにのみ 聞かましものを 音羽川 渡るとなしに 見なれそめけむ」(藤原兼輔)
「音(うわさ)」からの「聞く」の連想ですが、ちょっと分かりづらい歌です。

次に「川の特長」からこんな恋の川があります。
個人的には、上でご紹介した「言葉の響き」よりもこちらのほうが好きです。

飛鳥川

687「飛鳥川 淵は瀬になる 世なりとも 思ひそめてむ 人は忘れじ」(よみ人しらず)
「飛鳥川」は川の「深い場所(淵)」と「浅い場所(瀬)」の変化が激しかったのか、人の心の移ろいやすさを例えて恋に詠まれます。

吉野川

471「吉野川 いは浪たかく 行く水の はやくそ人を 思ひそめてし」(紀貫之)
「吉野川」はその「流れの早さ」が例えられ、この歌では「早くも恋してしまった」の意で詠まれています。

水無瀬川

793「水無瀬川 ありて行く水 なくはこそ つひにわが身を 絶えぬと思はめ」(よみ人知らず)
「水無瀬」とはその名のとおり「水のない川」です。でもその下には水が流れているという設定のもと、人知れぬ「しのぶ恋」なんてのに詠まれます。

最後はこれ「涙川」です。

涙川

617「つれづれの ながめにまさる 涙川 袖のみぬれて あふよしもなし」(藤原敏行)
「涙川」は他の川と違って実在する川ではなく、単純明快「涙の象徴」です。
オーバーな表現が多い恋歌ですが、これはその代表格ですね。

ところで冒頭の「天の川」ですが、実は古今和歌集の「恋」では全く詠まれていません。
牽牛・織女なんてうってつけの題材もあるのになんで?? という感じですが、事実そうなのです。
私の考えとしては、平安も中期にはすでに「七夕伝説」なんてのは陳腐化していて、ハイソな平安歌人たちの恋には詠むべき対象ではなくなっていたのだと思います。
それは「秋」で詠まれたシニカルな天の川を鑑賞すればお分かり頂けるでしょう。

→関連記事「七夕の歌で知る、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集の違い

(書き手:和歌DJうっちー)

冷泉為相を訪ねて

突然ですがみなさん、「冷泉為相(れいぜいためすけ)」をご存知でしょうか?
父は藤原為家、ということは祖父はかの藤原定家。御子左家の血を継ぎ、今にも残る冷泉家の祖になった人物です。
今回その為相のお墓が鎌倉の「浄光明寺」にあるということで訪ねてきました。

ここでふと疑問が、、
為相は正二位権中納言まで昇った貴族中の貴族です、時は武士の時代とはいえなぜ京ではなく鎌倉にその墓があるのか?
※ちなみに祖父定家の墓は京都の相国寺にあります。

実は為相、京より下向し鎌倉を活動の中心とし、この地で没した稀有な貴族歌人だったのです。
それには母の影響が強くありました。
母の名は「阿仏尼」、為家の側室であった人ですが夫の死後、正妻の子為氏(二条家の祖)と争い、直訴するために鎌倉(幕府)に下向しました。その際に記された紀行文『十六夜日記』は有名ですよね。
その縁あって為相は度々鎌倉に下り、東武士たちに和歌や連歌を教えました。つまり為相とは冷泉家はもちろん、鎌倉歌壇の祖というべきお方なのです。

歌枕に乏しいここ関東地方、歴史的な和歌・歌人の痕跡に触れる機会はめったにありません。
和歌DJとしては、偉大なる歌人為相のお墓を訪ねない訳には行かないでしょう!


場所はここ、鎌倉は扇ガ谷の「浄光明寺」。
鎌倉駅から徒歩15分なので歩いても行けます。


為相のお墓は一見わかりずらい、境内の裏山にありました。


こずえの隙から鎌倉の街、そして海が見えます。
為相は今も鎌倉の歌を見守っている、いや待っているようでした!

僭越ながら、一首たてまつります。
「為相を 訪ね来たりて 鎌倉や 違ふものかは 見ゆる景色は」(うっちー)

鎌倉の歴史的歌人というとまず源実朝の名が浮かびますが、
今回の墓参りで冷泉為相がぐっと身近に感じられるようになりました。
→関連記事「源実朝 ~甘えん坊将軍、鎌倉の海に吠える~
→関連記事「北鎌倉の桜散策 ~実朝を探して~

未熟ながら関東の歌活動をさらに盛り上げられるよう、私たちも精進を続けます!

(書き手:和歌DJうっちー)

ワンフレーズ原文で知る「源氏物語」~第三帖「空蝉」~

「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」
六百番歌合(藤原俊成判詞)

俊成のこの言葉に代表されるように、歌詠みにとって「源氏物語」は必須の教養です。
それは現代の私たちも同じ! ですが、そのタイトルはまだしも内容まで知っている人は一部の古典ファンに限られるかも知れません。

源氏物語は日本古典の権威であり、その長大さと文語体によって現代人を冷たくあしらいます。
しかしその実、内容はドラマ「大奥」を彷彿とさせる男女の愛憎エンタテインメント、それが平安の優雅な舞台で繰り広げられるのですから、面白くないはずがない! といってやはり、容易には近づけない…

そこで始めました「ワンフレーズ原文で知る源氏物語」。

各帖ごとに物語の核となるシーンやセリフの原文をワンフレーズでピックアップ!
文語体も苦にならず、かつ物語のエッセンスを堪能しようという試みです。
さあ! 紫式部の手による、源氏物語の世界を気軽に楽しみましょう♪

→「ワンフレーズ原文で知る 源氏物語」一覧

主要登場人物

  • 光る源氏
  • 伊予介(空蝉の老齢の夫)
  • 空蝉(伊予介の後妻)
  • 軒端荻(空蝉の義理の娘、伊予介の先妻の子)
  • 小君(空蝉の弟)
ダイジェスト

  • 源氏の後光は早くも曇りぎみ。狙いを定めた中流の女「空蝉」は全く靡かない。
    女の弟を使ってあの手この手で口説いてみるも、かかったのは女の義理の娘「軒端荻」。
    でもまっいっか〜と、ちゃっかり寝ちゃうのはご愛顧。それでも源氏は進むのだ。

■源氏の卑劣アタック

「やがてつれなくてやみたまひなしかばうからまし」
空蝉

「(源氏の猛アピールに困ってはいるが)そのままつれなくされるのは悲しい、、」
空蝉の本音が垣間見える一言だが、女心とは本当に複雑だ。

「さりぬべきをりをみて対面すべくたばかれ」
源氏

何とか上手くやれ! 源氏は小君(弟)を使って何とか空蝉(姉)に近づこうとする。
かっこ悪い? いやいや仕方あるまい源氏も必死なのだ。

「胸あらわにばうぞくなるもてなしなり」

軒端荻は空蝉の義理の娘ではあるが、年齢差はほとんどない。
つまりそれほど空蝉の夫、伊予介が老齢だということ。
にしても軒端荻初登場シーンはなんとも大胆! 作者紫式部はキャラクターの際立たせ方が本当に上手い。

「まめならぬ御心」

作者にして源氏のこの言われよう、、
桐壺で語られた「世になく清らなる玉の男御子」は今やいずこ。

「やおら起き出でて、すずしなる単衣をひとつ着てすべり出でけり」

源氏の夜這いをいち早く察知した空蝉は、なんとか単衣を一枚着て逃げ出すのだった。
ここで脱ぎ捨てた薄衣を蝉の抜け殻に喩え、女は空蝉と呼ばれるに至る。

「伊予介に劣りける身こそ」
源氏

俺様はあのジジイにも劣るのか!! 聞きたくなかった、絶世の貴公子源氏の一言。

空蝉の 身をかへてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな」
源氏

源氏物語随一の名歌!
空蝉の落とし物を源氏は大切にクンクン嗅いで慰めるのであった。

「空蝉の 羽に置く露の 木がくれて しのびしのびに ぬるる袖かな」
空蝉

対する女の返歌。袖の涙の真意やいかに?

(書き手:和歌DJうっちー)
→「ワンフレーズ原文で知る 源氏物語」一覧

ワンフレーズ原文で知る「源氏物語」~第二帖「帚木」~

「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」
六百番歌合(藤原俊成判詞)

俊成のこの言葉に代表されるように、歌詠みにとって「源氏物語」は必須の教養です。
それは現代の私たちも同じ! ですが、そのタイトルはまだしも内容まで知っている人は一部の古典ファンに限られるかも知れません。

源氏物語は日本古典の権威であり、その長大さと文語体によって現代人を冷たくあしらいます。
しかしその実、内容はドラマ「大奥」を彷彿とさせる男女の愛憎エンタテインメント、それが平安の優雅な舞台で繰り広げられるのですから、面白くないはずがない! といってやはり、容易には近づけない…

そこで始めました「ワンフレーズ原文で知る源氏物語」。

各帖ごとに物語の核となるシーンやセリフの原文をワンフレーズでピックアップ!
文語体も苦にならず、かつ物語のエッセンスを堪能しようという試みです。
さあ! 紫式部の手による、源氏物語の世界を気軽に楽しみましょう♪

→「ワンフレーズ原文で知る 源氏物語」一覧

主要登場人物

  • 光る源氏
  • 頭中将(源氏の正妻「葵の上」の兄、源氏の友人)
  • 左馬頭(源氏の同僚)
  • 伊予介(空蝉の老齢の夫)
  • 空蝉(伊予介の後妻)
  • 小君(空蝉の弟)
ダイジェスト

  • 光る源氏覚醒す!
    前巻(桐壺)で藤壺への純愛が語られた源氏であったが、世に聞く「雨夜の品定め」で語られる同僚たちの恋愛遍歴を聞いて、源氏のプレイボーイ魂は火が付ついた。
    ハンティング初戦の相手は中流の女「空蝉」。源氏は強引に迫るも、しかし女は靡かない。伝説の貴公子のデビュー戦はほろ苦いものであった。
    ちなみに「帚木」とは遠くから見えるが近づくと見えなくなるというホウキに似た伝説の木である。

源氏の評判

「光る源氏、名のみことごしう」

「光る君」と称えられ閉じた前巻から一転、「光る源氏」なんて名前ばかり仰々しいやつと貶められて帚木巻はスタートする。前巻、ちょっと褒めすぎたと作者は反省したのか? 確かに「雨夜の品定め」前の源氏はウブだ。

「女にて見たてまつらまほし」

絶世のイケメンだと言われる源氏。それがどれくらかいというと「女にしたいくらい」なのだ。
平安時代、筋骨隆々の勇ましい男はモテなかったことであろう。

雨夜の品定め

「長雨晴れ間なきころ」

外は雨、退屈な宿直の夜に若い男が集まれば、話題は自然と女の話に及ぶのであった。

「中の品にぞおくべき」
左馬頭

「女は中流が最高だ!」これは源氏の同僚であり、女遊びの師と言える左馬頭のお言葉。
ウブな源氏は経験豊かな先輩によって、数び心に火を付けられた!

「さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひのほかにらうたげならむ人の」
左馬頭

ボロ家に住む美女、このギャップが貴公子達にはたまらないらしい。

「ただひとえに、ものまめやかに静かなる心おもむきならむ」
左馬頭

「女は誠実でおっとりしたのが素晴らしい!」左馬頭のありがたいお言葉である。

「見そめしこころざしいとほしく思はば」
左馬頭

「嫌になったら初心を思い出せ!」これも左馬頭のありがたいお言葉である。

「すべて男も女も、わろ者は、わづかに知れる方のことを残りなく見せ尽くさむと思へる」
左馬頭

左馬頭の熱弁は延々と続く「男も女も控えめなのが美しいのだ!」

「やまがつの 垣ほ荒るとも をりをりに あはれはかけよ 撫子の露」(頭中将)

「咲きまじる 色はいづれと 分かねども なほとこなつに しくものぞなき」(夕顔)

雨夜の品定めで忘れてならぬのが頭中将の独白、痴者の物語。
彼が語った情を移しながら行方不明となった女とその娘は、この後源氏と運命的な出会いをする。
そう、これが後の夕顔と玉鬘であったのだ!
ちなみに「玉鬘」は第22帖、その伏線がはやくも第2巻で張られている。

方違え、空蝉との契り

「おほかたの気色、人のけはひも、けざやかに気高く」

源氏の正妻「葵の上」は相変わらずツーンとして近寄り難い。

「牛ながら引き入れつべからむところを」
源氏

貴公子の方違えはなんとも強引で適当、「牛車で入れるとこ行っちゃおう♪」なのだから。

「『や』とおびゆれど」
空蝉

方違えで立ち寄ったのは紀伊守邸、そこには中流の女「空蝉」がいた。
左馬頭に触発された源氏は空蝉と強引に契ろうとする、女はかろうじて「や」と発するばかり。

「思ふことすこし聞こゆべきぞ」
源氏

「ちょっ、ちょっ聞いてよ、遊びじゃないって」。だれだって初対面の男のこんな言葉を真に受けないでしょう。それが源氏だって。

「いとかやうなる際は際とこそはべなれ」
空蝉

「どうせわたしが中流だと思って舐めてんでしょ」とは空蝉の嘆き。

「その際々をまだ知らぬ初事ぞや」
源氏

「いやいや、俺まだそんな経験ないから」とは口説き方を知らない源氏精一杯の一言。

「覚えなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ」
源氏

「俺のこと知らないかもしれないけど、これは運命ってやつ!」今でもこんなセリフを吐くんでしょうかねぇ、名うてのナンパ師は。

「すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中の品かな」
源氏

やっぱよかったな、中流の上品な女は。
自分のツンツン妻と比べて、よけいにそう思う源氏なのであった…

「帚木の 心を知らで その原の 道にあやなく まどひぬるかな」
源氏

近寄っても真意を語らないあなたに心は惑うばかり。巻名の帚木はこの歌に由来します。

「いで、およすけたることは言はぬぞよき」
空蝉

「大人びたことするんじゃありません!」
靡かない空蝉にその弟(小君)を利用して近づくという、小賢しい源氏であった。

「よし、あこだにな捨てそ」
源氏

それでも女は靡かない。
「せめてお前だけは私を捨てないでね」と、源氏は小君をそばに寝かせるのであった。
源氏の恋愛対象は広い、、

(書き手:和歌DJうっちー)
→「ワンフレーズ原文で知る 源氏物語」一覧

【歌会・和歌教室】(銀座)「はじめての古今伝授と連歌会」水無月の会


「古今伝授と茶寄せ連歌会」は和歌の基本を学び、それを連歌遊びで披露するワークショップ形式のカジュアルな歌会です。
日本文化ツウも初心者も、和歌や古典文化が好きであれば誰でも楽しめます♪

■前半「はじめての古今伝授」

会の前半では、和歌に関するルールを学びます。いわば現代の「古今伝授」です!
古今和歌集をテキストに、四季折々の代表歌や歌ことば、さらには修辞法や文法の要点をしっかり身につけていただき、歌づくりに役立ててもらいます。

(年間予定)

→「和歌の春夏秋冬コラム
→「和歌の入門教室

■後半「連歌に挑戦!」

会の後半では、いよいよ詠歌にチャレンジします。
ただいきなり「和歌一首(三十一文字)」を詠むのは難易度が高い…
とうことで、本会では参加のみなさまで「連歌」を楽しみます。

連歌とは和歌の上句と下句を多人数で付け合う遊び。
連歌には古来、細かく定められた式目(ルール)がありますが、本連歌会ではダイナミックにアレンジを加えました。
その名も「絶句連歌(ぜっくれんが)」!

連歌は歌仙式(36句)が一般的ですが、これを巻き終わるにはだいたい半日は掛かります。本会の所要2時間程度ではとても間に合いません。そこで絶句連歌です。
絶句とは漢詩の形式で「起」「承」「転」「結」の四句からなる詩形ですが、
これは連歌が「発句」から起こり「脇」が添い「第三」で転じるという型に見事に通じます。
そして四句目で「結」つまり連歌で「挙句」をもって四句完結するという大胆かつ新しい形式が「絶句連歌」なのです。
基本的な付け方、転じ方は連歌の心そのままに、気軽に楽しめるのが絶句連歌です。

さあみなさん、数寄者の歌遊びを存分に楽しみましょう。

ご参加者様の詠歌

歌会ご参加者様の詠歌
絶句連歌
講師(和歌DJうっちー)の詠歌WEB歌会あさぎいろ

歌会の様子

舞踊、能、茶、香、短歌、古武術、菓子…
多様な日本文化の手練れにお集まり頂いているのが「茶飲み連歌会」の魅力です。
→「平成29年 大文化祭☆開催レポート

■開催日、参加費

〇開催日:6/24(日)10:00~12:10 ※毎月第3or4日曜に開催
 ※申込締切:6/20
〇初回体験費:2,000円(税込)
〇参加費(1回):3,000円(税込)
〇開催場所:東京メトロ銀座駅徒歩5分 ※お申込み頂き次第、会場の詳細を返信いたします

●古今伝授「雨)」(秀歌鑑賞、和歌の修辞法・文法を学ぶ)
●古典ミニ鑑賞「伊勢物語」「源氏物語」(予定)

■お申込み、ご質問はコチラ

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ご希望の歌会 (必須)
「古典であそぼう」和歌と古典文学を語らう会(10月)「和歌をつくろう」オリジナル和歌の制作と鑑賞会(10月)

ご質問等

皐月の歌集(歌会ご参加者様の詠歌)


短歌ではなく、伝統的な「和歌」を詠むことを目指す平成和歌所の歌会、
そのご参加者様の詠歌をご披露させていただきます。
※2018年5月はおよそ百五十首の歌が詠まれました

ご参加者様のほとんどが、平成和歌所の歌会で初めて歌詠みとなられています。
それでも素晴らしい歌が詠めるのは、無意識にも私たち日本人に「日本美のあるべき姿」が宿っているからです。歴史に培われた日本文化とは本当に偉大です。
私たちと一緒に和歌の詠歌、贈答、唱和をしてみたい方、ぜひ歌会にご参加ください。
歌会・和歌教室

駘蕩と山風わたる差羽二羽 胸ひろげつつ夢を瞠れよ
テキサスに孔子の巨躯の影は彳ち 星待ち乍ら鉄弦響らす
闌く春や夏の山くちなぎ藤の 虚しき空に春雨ぞ降る
儚くて過ぎにし花を訪ぬれば 哀れ五月雨八十八夜
五月雨に所縁の深き紫は 浪散る跡の手毬花かな
降る雨に昔植え置き杜若 薄紫に滲む花色
青葉も見る目に美しき午後しばらく 音沙汰もなき人を おもひて
鈍色の雲湧き起こる暗き午後 若木そよぎて又三郎が咲ふ
白鳥の羽根うちかはす大空はのどけき春の風の香に満つ
爾の御国海へだつとも爾を濡らす 雨今し我が肩に掛かれる
山鳩の聲求めつつ尾根来れば 金時山は蒼穹の中 
便りある風もや吹けば藤浪の 寄せて久しき友の歌声
紫乃浪に溢れる春美禄 南風誘ふことの宜しさ
春月夜一杯衡み影を呑む つきて仕舞いの思ひ分かれり
花宴春の極めし後ことの さゝき藤浪安眠し寝さね
盃を空けて花唄夢逢へば 天に朝する夏の薄明け
遥々と君が見ゑにし藤浪の 得難き風の便りすぐすな
闌く春や夏の山くちなぎの藤 虚しき空に春雨ぞ降る
辛くして過ぎにし花を訪ぬれば 哀れ五月雨八十八夜
沙月雨面影近し紫は 引き波に問ふ花菖蒲かな
ふり染めに色やあせなむ藤の花 未だ涼しき夏の初風
野辺に或る盛り降ち逝く事絵巻 光と影にいはば心無し
誰そなき事にす野辺の歌を詠む 止む無き時のい継きい継きを
寺井守青根た走る深緋は 妖し照らむや腹の毒なり
目狩る頃皐月の闇ま這う苔の 柔毛を撫づる井守艶しき
朱聖神鳴る様の影ノ紋 さしも傷無き赤腹蠑螈
射干玉の濡羽擬きの平躯 労痛し匂ふもし奇やある
ずぶずぶと入りてかつ消ゑ音無くに 空に浮ぶか池に沈むか
水底にゆらゆら沈透き忍びよる 蝌蚪を狙ふ弥真瓊の蠑螈
黒蝌蚪かり追放たる窟の閒に 事断割くる術も術なし
得ずなりぬ過ちにてか蝌蚪文字 命窮めむ夏の疾りに
応へぬに呼ぶ子虚しき初声は 五月の雨に河鹿泣く泣く
浮き草の溢る涙を水茎に 鯉魚曳きなむ日の一線を
一念に龜ども誦んじ巌なる 雨も問わずに池に飛び込む
強雨打つ足掻き呼び水音を失して 草間縫ひくる巳ずち蛇
赤口に畦を舐るか口縄の 油仕掛けの腹巻なめれ
春の鳩雨に醒めるか鷹の目の 草間の大曲蛇影を的す
雨水漬く占文刻む蜘蛛の綱に 玉星光る咒ひ眩ゆし
池に映う五色鱗鯉のぼる 端午の節に雨に翔けるか
六の六変じて九九の甲美為れば 花の鱗昇り竜かみ
ゆうるりと子髭靡きて平遊び 辺りの青葉今こそ菖蒲
日の綴り移れば変へつ濤の音 誰に見せまし鯉の一跳ね
打ち付けに山端に駆かる曇天の 競べ響もし鳴るに腹がふ
日隠の井戸や滴る衛府の督 赤や装束く弥真瓊のゐ護
霹靂神轟轟に山を割る 姿きらぎらし衛士凄気なり
ゐさら井に十文字に秘する秦の素 瑞き衛士の府毒ふくむ者
折りしくも岩間に爆ぜる白浪の 水隠り侍る磐井の石竜子
厳厳し久米の子井守水国乃 ゐ這ひ廻り撃ちてし止まむ
黑さやに碇をすへし固ノ紋 末の葦牙園生に報ず
か黒きは蜷の腑居守なる 泥土と志り立つ憂くぞ自ら
諸人のこぞりて唱ふ理の 実にも過ぐたる事は目見えず
流されず留まりもせず隈に秘む 護りし者の行方知らずも
己がじし風の飛礫と為りにけり なぐさめがたき玉霰かな
借り軒に五月雨る様を見遣りつつ 友鳥偲びて言ひ掛けたらむ
徒然や雨の宿りの手すさびに 掬びて零す糸水涼し
晴れ曇り五月雨る数や知らねども 懲りても猶の梅雨はこれから
忽ちに空の春道立ち消へて 風塵塞き上げ曇りもぞする
空鈍て重く厚肥ふ暗雲の 沼田打ち巡り大蛇なるかな
八丘八谷這ひ出で渡る雲鱗 斑濃に剥ぎて里に打ち敷く
音鳴りの矢継ぐ光り矢雲間から 蜘蛛手放てし由奏せんとす
惠むべく遠呂智化生なふ産土よ 皐月にかけて落つる涙に
五月女の菖蒲吹く頃早苗きく 産霊雷根こそ泣かるれ
口縄や蛇蟒蛇大蛇丸なり 海千山千然れば龍神と化す
水神の雨風降らす高霎神 八千よ河守闇霎神なり
企てむ千年の矢壺七重八重 曲かり區ねるや八岐大蛇
根ノ国に痴れ者狂ひ道交わす 追ひつ追はれつ笑はば笑ゑ
為を果せん十拳剣捧る 優曇華兆す草那藝之大刀
八雲立つ流人素戔嗚且つ且つに あいだてなして高日知らしぬ
足るを得て足らずを失すととつをいつ 爭ひかねて問ひし君はも
「おさら おみんな おさら おてしゃに おてしゃに おとして おさら おみんな おさら」
「ひよどり ひよどり だるまのめ なかよし つまよし さらいっとん ちょいすけ おさら おみんな おさら」
散らぬより青み益々もみち葉の 時雨や時雨都誇りや
蝉声にくはやきよきよ驚きぬ 珍しけれとややと根目付く
かかと鳴きがはと羽根斬り謡終ふは 心遊びの鴉笑ゑる
ごろごろと掛かる徴に集ひ出で 守宮くふ敷く雷鳴りの陣
空五倍子の喪ひ着為す守宮かな ふためく雨を具し参上る
淡雪か綠翅もつ白膠木の木 蟲瘤つくる空五倍子色よ
久米謳ふこはゐのごふそ嘲りぞ ええしやこしやああしやこしや
土雲の八十梟帥ども今撃たば 臍を固めし歌に覚悟す
厳厳し久米の子守宮秀真の子 這ひ廻るふ撃ちてし止まむ
一頻り五月雨る中につっとして 守宮幽かに搔ひ密みゐる
五月雨や今にし過ぎし陽の戻り 草葉に照らす喪家の衣
落ち人や古り果つ城を衛りせば 御伽婢子の日本守宮か
み守宮よ果てて護ると動かずに 蟻の思ひも天に昇るか
水取りの蝶の愛しき透き衣 暫し休らひ西に向かわむ
君し待つ露を祓いて糸を縒る まんまと綾す細蟹の罠
鷄や蚯蚓と遊び明けゆけば 仏拝み思ふ事なし
ときはなる西陽に染めむし出の山 己が衣衣越え逝きつらむ
斯ふ斯ふと事のあらまし平曲に 誦文爪弾く蝦蟇法師かな
小牡鹿のかいよかいよと恋ふ歌に 蛙に変じ捩り捩るよ
しれじれに石亀据ゑ並む代官は 何か可笑しきかゝの殿様
夢覚めて心無す業の繰り事に 眺め侘びしき雲の通ひ路
かきかくに夜な夜な常に夢に見ゆ 我が家恋しき八十八夜
陸奥を時雨と供に立ちしかど 今日白河の関は越えぬと      
追い風を送り迎へて五月雨 慣れにし雲に家忘れしな
みくまりに鳴けよ五月の不如帰 曇り閉ざした空の東路
村雲の絶へ間絶へ間に風光る 時雨を祓ふ沢の空影
さのみかく聴く風笛のゆかしさに 何処へ吹きて折に仄めく
音に聴き吹きて音出し玉響れば 心楽しも巴の息吹き
愉しみは鳥の空音と練じては 稽古誼と道草を聴く
暮れ時の影は急ぎて我先に 帰りし我が家戻りし我が家
寝驚き向ひ偶はしし殿家守 喜びあれど楽にあたはず
驚きつを澄ますほど笑み曲ぐる いさ添ひ居よか家守好らしな
将や将将や壁虎足手影 神代余浪の竜の落とし子 
吾子家守五十日の祝ひに泣き合えば 家庭も栄ゆ国秀も栄ゆ
さねさし相模小余綾濱見れば 早月色かな近し淡藤
さねさしや相模に掛ける祈り哉 碧み深き海原に在る
さねさし相模に寄する浦風の 余りに激し濱笛を聴く
避り難き廻向のうちに歌を詠む 計も算なき物の憐れに
鎌倉や戻り迎へるこ紫 見頃此れから雨も楽しも
百川(ひやくせん)の行きゆくはてを鳰のうみ 花びら留めてあふみなりぬる
おくじようにやすざけかざしゆれつつ もじかくはありてあどばるんぷか
銀漢や遺伝子の宴遍かり
蛞蝓の艦隊渡る鉄路かな
青頸や前世誰と川下り
八百屋かと思ふ訛声金魚掬ひ
ソプラノと思ふ強面葱坊主
書を捨ててスマホを捨てて町で茫々
三浪を越ゆる魚らを追い越しつ 天を目指さむ杜の燕は
春暮れて緋色に燃ゆる花躑躅 霧島山の焔に似たり
酢漿草(かたばみ)に残せし露の玉も消え 眩き春も去りて行くなり
先ずは今藍植う手にも込めたるは 醸して永き色の深さよ
偲ぶれど覚ゆることのほのかにて 手に採らむかな橘の花
橘の花かぐはしき夕風に 行くすゑまでも袖を追うかな
願はくば橘の香ぞ留めまし なつかしき風野にわたるらむ
暁に絡める闇を解き放つ 煌めく独り明けの星かな
やどの香の花橘をおぼえてか 同じ声きく時鳥かな
橘の香りのこせる五月雨に 声泣き濡れし山不如帰
憂きことは空に浮かべて流すかな ふるにまかせむ夜半の五月雨
卯の花の垣根濡らせし五月雨の 明けたる朝も告ぐ時鳥
路ゆけば小さき鷺の風に舞い 清水に濡れる雪の下かな
四方山もはなし咲かせる色々に 霞はいまだながめなくにも

身を知る雨 〜和歌で知る平安のジンクス〜


今も昔もつい気になっちゃう、今回は和歌と「ジンクス」の話をご紹介しましょう。

ジンクスとは、例えば「茶柱が立つと良いことが起こる」とか「黒猫が横切ると悪いことが起こる」といった縁起を担ぐ事象もろもろを言います。
みなさまにもこのようなジンクス、一つや二つはあるのではないでしょうか?
ちなみに「シューズの紐が切れると悪いことが起こる(仲間が死ぬ)」というのはテリーマンでおなじみです。

さて、平安時代にも独特のジンクスがありました。例えば古今和歌集のこの歌、
730「めづらしき 人を見むとや しかもせぬ わが下紐の とけわたるらむ」(よみ人知らず)

お分かりいただけたでしょうか。
これは「着物の紐が解けたら、愛しい人に逢える」というジンクスです。
平安時代、着物は現在のような「帯」ではなく細い「紐」で締めていました。※現在のような太い帯の形になったのは江戸時代のころのようです
その紐が解けると、愛しいあの人が訪れてくれる前兆というわけです。
私だけでしょうか? このジンクスにはちょっとエロティックさを感じます。

次いでこんなのもあります。
773「今しはと わびにしものを ささがにの 衣にかかり 我を頼むる」(よみ人知らず)

「ささがに」とは蜘蛛の古名です。蜘蛛またはその糸が衣服に着くとこれまた愛しい人に逢える前兆と捉えていたようで、
「もう終わった関係だと思ってもついつい期待しちゃう」という歌になっています。
それにしても不思議なジンクスです、蜘蛛の糸の粘着性が所以なんでしょうか?

さて、和歌のジンクスでもっともポピュラーなのがこれ、「雨」です。
時に雨は「身を知る雨」として、このように歌に詠まれます。
705「かずかずに 思ひ思はず 問ひがたみ 身を知る雨は 降りぞまされる」(在原業平)

私のことが好きですか? 嫌いですか? 聞きたいけど聞けない。でも身を知る雨はびっしょり降ってます…
つまり雨は「わが身の不幸を知る」というジンクスがあったわけです。

ちなみにこの歌、女から男へ宛てた歌なのですが、古今和歌集では在原業平作となっています。
その理由は伊勢物語に詳しくありました。

「雨の降りぬべきになむ見わづらひ侍る。身さいはひあらば、この雨は降らじ」といへりければ、例の男、女に代りてよみてやらす」
伊勢物語(第百七段)

女が待ちわびる男の名は「藤原敏行」、歌人としても有名ですよね。
その彼が「雨が降りそうだから今夜行くかどうか迷ってます。もし私に幸福があれば、まあこんな雨はふらないでしょうが」と、待っている女に言い訳がましいことをうそぶきます。余談ですがこの一文で「雨が降らない場合は幸運」と逆のジンクスがあることも分かります。

そこで例の男、これこそが在原業平なのですが、女の代わりに詠んでやったのが先ほどの「身を知る雨」だったのです。
この歌を受け取った敏行はいたく感動して、、
「蓑も笠もとりあへで、しとどに濡れてまどひきにけり」

と、蓑も笠も手に取らず、びっしょびっしょに濡れて女の元にやってきたのでした。
敏行や業平が生きた時代は男が女に通う、いわゆる「妻問い」でした。
「身を知る雨」はわが身の幸、不幸というジンクスを超えて、どしゃ降りの中でもあなたは来るのか来ないのか? 
という「男の本気度」を試す意味合いもあったのだと思います。

さて、この叙情的な雨は古典文学のさまざまなところで見ることができます。
たとえば新古今和歌集、
新1134「逢ふことの むなしき空の 浮雲は 身を知る雨の 便りなりけり」(惟明親王)

また源氏物語の宇治十帖、浮舟から薫への返歌にも、
「つれづれと 身を知る雨の をやまねば 袖さへいとど みかさまきりて」(浮舟)

このように「身を知る雨」は、和歌的美学の最たるものとして詠み継がれてきたのでした。

今や正確な天気予報は生活に欠かせないものですが、
もしこれががなかったら私たちも、雨で身を知るなんて風情あるジンクスが生きていたことでしょうね。

(書き手:和歌DJうっちー)

【新企画】「ろっこの和歌Bar(6月の夜会)」開催のお知らせ


百人一首に源氏物語? 大好きな古典文学で盛り上がりましょう(byろっこ)

新イベント「ろっこの和歌Bar」を開催します!
「和歌マニア」でおなじみ“ろっこ”おまけにうっちーと一緒に、古典文学を肴におしゃべりで楽しみませんか?
連歌会のような座学(古今伝授)や歌作りはいっさいなし! 
古典文化ファンが集まって、ひたすら大好きな古典ネタでおしゃべりするイベントです。
古典であればジャンルは不問、古事記や奥の細道だってOKです。

まわりになかなかいないのが古典ファン。
この機会に、和歌Barで古典仲間を見つけませんか?
あなたが大好きな古典文学のお話をぜひ聞かせてください!

開催日、参加費

〇開催日:6/15(金)19:30~21:30
〇参加費:1,000円
〇開催場所:
・住所:東京都中央区京橋1-6-7 京橋髙野ビル5階18号室
・地図:https://goo.gl/AH77iS
〇持ち物:
・お飲物(アルコール可)※おつまみはこちらで用意しています
・お気に入りの一首や大好きな古典の本など

お申し込み

※当日飛び込みでのご参加もOKです!

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ご希望の歌会 (必須)
「古典であそぼう」和歌と古典文学を語らう会(10月)「和歌をつくろう」オリジナル和歌の制作と鑑賞会(10月)

ご質問等

「平成30年 初夏の和歌文化祭」開催レポート


去る5月27日、目白庭園にて半年に一度のイベント「和歌文化祭」を開催しました。

なんと目白庭園、JR目白駅から徒歩わずか5分の場所に位置します。
都会の真ん真ん中にいることを一掃する、水と緑に囲まれた素晴らしい庭園です。
会場はその中、数寄建築の赤鳥庵。
その名は大正7年、鈴木三重吉によってこの地で創刊された子供のための文芸雑誌「赤い鳥」に由来します。はい、パンフレットにそう書いてありました。

平成和歌所の文化祭はまさに「文化祭」です。
和歌を中心に、それに所以のある様々な日本文化の交流を図ります。
今回、初夏の文化祭のテーマは「和歌と着物」!
着物サークル「華会」の方々とコラボして、和歌と着物にまつわる様々な企画が催されました。

まずは主催者うっちーによる「古今伝授」。
時候ネタ「ほととぎす」から始まり、古今和歌集や伊勢物語で詠まれた着物の歌をご紹介しました。

ついで着物サークル「華会」主催のおとさまから、着物の着こなし方らから柄の説明まで勉強になる話をいただきました。
盛り上がったのは着物ファッションショー! ご参加者の方に自分の着物をご紹介頂きつつ、乙さまにファッションチェックをして頂きました。みなさまそれぞれの着こなしポイントが聞けて面白かったです。

さらにご参加者さまから「切子グラス」「書」「中国茶」など、普段嗜んでいらっしゃる分野のお話を頂きました。
平成和歌所には多様な日本文化マスターがいらっしゃるので、初めて見聞きする文化も多く大変勉強になります。

さて、この日一番の華やかな催しはやはりこれ、ろっこさんによる日舞です。
手始めに日舞的、美しく見える「着物仕所」を伝授頂きました。これでカメラを向けられても怖くありません。

お待ちかねの舞は「京の四季」。京の遊郭を舞台とした優美な踊りに、みなさんウットリです。

そして最後は文化祭の定番、参加者みんなで詠歌です。
今回は時間の都合で連歌は出来ませんでしたが、ほととぎすをお題に楽しく賑やかに歌を作りました。

歌は色紙で提出してもらいました。
分かります? 着物の「重ね色目」です。こういうちょっとした遊び心が、すっごく風流だと思います。

時間にして4時間余りでしたが、楽しい時が過ぎるのは本当にあっという間。
最後にご参加の皆さまと記念写真をパシャり!
着物がテーマだけあり、前回に増してお着物でのご参加者が多かったです。
何を隠そう、私も初めての着物参戦でした(笑

さて、ご参加のみなさまのおかげで、刺激的で心豊かなイベントになりました。
次回の予定は半年後の11月、楽しみにしていてください。

最後に、ご参加者の感想の一部をご紹介します。
——————————-
・どの様な会になるのかよく解らずの参加でしたが(??) 流石です。 実に盛り沢山に楽しませて頂きました。
・企画が盛り沢山でしたし、素敵な赤鳥庵でもっと時間を過ごしたいところでした。
・この会は色んな感性の方がいらして切り口もそれぞれで本当に興味深く楽しいです!
・翠眩しい皐月の折、様々な日本の文化に触れる機会を頂きありがとうございました。

→平成和歌所の「歌会・和歌教室」にぜひご参加ください!

和歌とは?


和歌とは何か?
このざっくりとした質問に、私がざっくりとお答えいたします。

概略

「和歌」とは三十一文字で構成された日本独自の定型歌。
貴族文化華やかりし奈良から平安時代にかけて文化活動の中心をなし、宮中の行事だけでなく日常においても盛んに詠まれ、皇室とそれを取り巻く貴族たちにとっての自己表現であり、教養であり権力の証でもありました。

四季と恋

興味深いのはその題材、史上初の勅撰集「古今和歌集」(905年成立)ではその総歌数千百首のうち「四季(春夏秋冬)」と「恋」で歌集の半数以上(702首)を占め、その傾向は以後の勅撰集でも変わることなく、そのまま日本文化の二大関心事となりました。
→関連記事「和歌を知ろう(春夏秋冬)
→関連記事「和歌を知ろう(恋)

歌ことば

ただ和歌において、四季や恋はありのままの姿(写実)で詠まれることはありません。草木や恋心は歌人達の理想的な姿に設定され、その共有された前提のもとで歌に詠みこまれるのです。
この設定がなされたことばを「歌ことば」といい、これこそが和歌を和歌たらしめる最大の特徴です。
→関連記事「和歌と短歌の違い(2) ~歌ことば編~

厳密なルール

和歌の詠歌には歌ことばだけでなく、修辞法(枕詞、掛詞、序詞、縁語、、)や歌枕さらに本歌取りなど、さまざまなルールを心得る必要があります。
これがおなじ定型歌の現代短歌とは大きく一線を大きく画す点であり、現代日本人から和歌を遠ざける障壁となっています。反面、このルールが厳格である分、一度理解すれば誰でも大半の古典和歌の鑑賞が可能になるとも言えます。
→関連記事「和歌の入門教室

芸術への昇華

長い間文化の中心であった和歌は、時代と共にその歌風も洗練されていきます。
万葉集(奈良時代)では素朴な叙情・叙景表現が中心でしたが、古今和歌集(平安時代)になると文化意識を取り込み、新古今和歌集(鎌倉時代)になると一首のうちに絵画や物語を創出する芸術へと到達しました。
→関連記事「七夕の歌で知る万葉集、古今和歌集、新古今和歌集の違い
→関連記事「定家vsマラルメ、世紀を超えた対決! 象徴歌の魅力に迫る

日本文化の礎

この和歌で紡がれた物語は、例えば文学(源氏物語…)・芸道(能、茶… )、書画(かな、日本画… )など現代につながる日本文化に今も絶対的な影響を与え続けています。つまり私たちは未だ気づかぬうちに和歌の美意識の流れの中に生きているのであり、和歌を知ることは日本文化の神髄を知ることに繋がるのです!
→関連記事「古今和歌集とは

(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第61回)】ろっこの部屋 第3回ゲスト「紀貫之」

今回は大人気「ろっこの部屋」! 伝説の歌人達をろっこの部屋にお招きしていろんな話を聞いちゃいます♪ 第3回目のゲストにはなんと大御所「紀貫之」さまのご登場です! 古今和歌集の選者でもあり一流歌人であった和歌会のレジェンドは何を語るのか!? ウ、うっちー! 緊張しすぎだよ~

和歌の道

先の5月1日、メディアでは「平成がいよいよ残り1年を切った」という話題で盛り上がっていました。
ご承知のとおり、来年5月1日には皇太子が新天皇に即位、元号が新しくなるためです。

ちなみに政府は来年のこの日を「祝日」もしくは「休日」にすると発表していますが、
これがどっちに転ぶかで国民へのインパクトはものすごく変わります。
「祝日法」では、前後が祝日である平日は国民の休日となり休日となる、と定められています。
つまり、即位日の5月1日が祝日となった場合、その両脇の平日も休日となり、GWの土日祝日を合わせると、なんと10連休にもなるのです!
なんとも嬉しい限りですが、こんなに休んでしまっては仕事に行きたくなくなりますね、きっと、、

さて、先日の5月1日には皇室絡みでこんな話題もありました。
→「和歌の御用掛に篠弘氏 陛下や皇族の相談役」(産経ニュース)

「和歌の御用掛」とは、皇族方の和歌の相談役とのこと。
和歌を愛する一人としては、現代もこのような役割が受け継がれていることにロマンを感じます。

そして驚いたのが御用掛の年齢! 前任の方が90歳で新任の方が85歳と書かれています。
91歳で大往生した藤原俊成も生涯現役の歌人・判者として活躍していますから(89歳の時にかの後鳥羽院主催の「千五百番歌合」の判者を務める)、歌とは年齢に関係なく、いやむしろ老いてなお練度が増していく素晴らしい嗜みだとつくづく感じ入りました。
ちなみにアラフォーの私は、彼らをお手本とするとこの先五十年の歌の進化が望めます。
まだまだ道のりは長いです。

(書き手:和歌DJうっちー)