六番「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」(大伴家持)~ 百人一首の物語 ~

六番「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」(大伴家持) 大伴家持といえばその歌が万葉集に四百七十首ほど採られ、実質的な編纂者と目される人物。政治家としては受難の道を歩んだが、歌人として万葉の草々を文芸...

五番「奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」(猿丸太夫)~ 百人一首の物語 ~

五番「奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」(猿丸太夫) 百人一首に深刻な撰歌不審を招いた要因のひとつが、正体不明歌人の存在だろう。天智・持統天皇に始まり、歌聖人麻呂、赤人と流麗にながれてきたものが突然、猿...

四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人)~ 百人一首の物語 ~

四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人) 古今集仮名序では人麻呂と並び評される歌の聖、かの大伴家持をして「山柿の門」と憧憬をもって讃えられるが、これは少々色がつきすぎだろう。やはり柿本人...

三番「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂)~ 百人一首の物語 ~

三番「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂) 序で述べたが、あらためて百人一首とは「平安王朝の物語」である。これを章立てした場合、冒頭から十二番まではさしずめ「王朝の幕開けと伝説歌人」...

二番「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇)~ 百人一首の物語 ~

二番「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇) 持統天皇はご存知のとおり天智天皇の娘である。叔父である天武天皇の妃となり草壁皇子を生んだ。天智・持統のように百人一首には親子がなんと十八組、三十五人も存...

一番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇)~ 百人一首の物語 ~

一番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇) 言わずもがな、百人一首の一番歌である。「後撰和歌集」秋中に収められるが「万葉集」巻十において類歌がみえる※1。五穀豊穣に言寄せる理想的天皇を仰いで...

式子内親王 ~歌道に生きた皇女のきらめき~

式子内親王は後白河帝の第三皇女で賀茂の斎院であった女性です。 式子が生きた平安末期は京を中心に戦乱が相次ぎました。保元・平治の乱に始まり、平家打倒の令旨いわゆる「以仁王の令旨」によって起こった治承・寿永の乱は平氏、源氏の...

小野小町 ~日本的、恋愛観のルーツ~

小野小町は九世紀に活躍した女房歌人。紀貫之による古今和歌集の仮名序では「六歌仙」という名誉ある歌人に選出され、平安の女流ではおそらく最も名の通った人物かと思います。 しかし小町は歌よりもその風貌で記憶されているのではない...

百人一首を書く 「紫式部」

「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かげ」(紫式部) 令和和歌所ではメーリングリストで歌の交流(セッション)を繰り広げています。現代の「和歌」の楽しさをぜひ味わってみてください。初心者の方のご参加も...

百人一首を書く 「源実朝」

「世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも」(源実朝) 令和和歌所ではメーリングリストで歌の交流(セッション)を繰り広げています。現代の「和歌」の楽しさをぜひ味わってみてください。初心者の方のご参加も大歓迎で...

百人一首を書く「定家vs後鳥羽院」

「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」(藤原定家)「人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は」(後鳥羽院) (書き手:和歌DJうっちー) 令和和歌所ではメーリングリストで歌の交流(セッシ...

百人一首と三十六人撰の比較で分かる、やはり百人一首は「王朝の栄枯盛衰物語」だった!

以前百人一首とは「王朝の栄枯盛衰物語」である! と説明しました。まあ、あえて言わなくとも採られた歌人を俯瞰的に眺めれば自ずと想像できることだと思います。今回はそれをより明確にするため、“ある秀歌撰”との比較を試みます。 ...

かるたの甲子園と百人一首

少し早いですが、今年もそろそろ甲子園の時期ですね。 といっても選手は丸刈り男子ではなく着物女子、そうです「競技かるた」の甲子園です! →「全国高等学校かるた選手権大会」(近江神宮) しかしかるたの甲子園、運営費がピンチら...