晴れ曇り時雨は定めなきものをふりはてぬるは我が身なりけり(道因)

「時雨に寄せる心」を続けるが、これまでの触れたら霧散するような繊細さが今日の歌には見えない。詠み人は道因、やはり男の詠みぶりであった。『晴れたり曇ったり時雨の空模様ははっきりしないが、俺のところだけはずっと降りまくってるよ!』、今日の歌は袖だけでなく全身びっしょりとった感じだが、「降る」に「経る」を掛けて、止めどなく老いる身を嘆く趣向となっている。道因はこの歌を何歳で詠んだのだろう、鴨長明の「無名抄」によると九十歳の高齢になってなお、耳も遠いのに歌会に参加し傾聴していたという。いくら時雨が降り続けようと道因の歌心は燃え尽きなかったようだ。

(日めくりめく一首)

折こそあれながめにかかる浮雲の袖もひとつにうち時雨つつ(二条院讃岐)

『長雨の雲が居座り続けて物思いに耽る私の袖も、時雨が降ったように濡れています』。詠み人は二条院讃岐、あまり知られていないが源頼政の娘だ。なぜ故に時雨は袖を濡らすのか? 四時の最後たる季節がもたらす悲哀、落葉に埋もれて訪れなき恋の絶望。これら複雑な感情が入り乱れて、冬の冷たい雨は涙に変わるのだ。ところで讃岐は百人一首歌でも濡れた「袖」※を歌っていた、しかしあちらは理知が勝り、今日の歌には到底及ばない。

※「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」(二条院讃岐)

(日めくりめく一首)

ふりはへて人も問ひこぬ山里は時雨ばかりぞ過ぎがてにする(皇后宮肥後)

昨日、そして今日もであるが千載集あたりになると四季歌に込められた抒情というものが一層深くなってゆく。平安前中期の三代集歌人が去りゆく季節をほとんど形式的に惜しむのに対し、末期の歌人らは心の底から感情を寄せる、今日の肥後もその一例だ。『わざわざ訪れる人もいない山里は、時雨ばかりが過ぎないでいる』、時雨はむろん涙の比喩であろう。元来和歌は宮廷人同士の挨拶機能を主な役割としていたが、もはや個人の内面を吐露する文芸を強くしつつあった。

(日めくりめく一首)

まばらなる真木の板屋に音はして漏らぬ時雨や木の葉なるらむ(藤原俊成)

今日の歌には時雨ならぬ時雨が詠まれている。『隙間だらけの真木の板葺き屋根に時雨の音がする、しかし雨は漏ってこない』、なぜか? あえて言うもの野暮だが『時雨かと思ったのは木の葉が散りかかる音だった』のだ。詠み人は本当に落葉の音と誤ったのか、それとも分かったうえでの見立てか? と詮索するようでは詩など楽しめない。この歌には和歌でも稀有な隠遁閑雅が描かれている。

(日めくりめく一首)

時雨の雨染めかねてけり山城の常盤の杜の真木の下葉々(能因)

『時雨の雨もさすがに色を染めることが難しいようだ、山城の常緑樹の森の葉は』。松に杉、樫の木など通年葉が存在し色も変わらぬいわゆる常緑樹を「常盤(ときわ)」と呼ぶ。昨日鑑賞したように「時雨」は木の葉を染めるというのが本意であるが、その時雨を以てしても色が変わらない木々があるという着眼におかしみがある。しかし発想が単純すぎて言葉をむりくりに繋げた感が否めない。“時雨”と“雨”、“常盤”と“真木”さらに“杜”に“木の葉”、ほとんど同じ意味を成す言葉が並んでいる。なんとか工夫を得んと倒置を加えるが、なおさらドタバタしてしまって結果を得られなかった。

(日めくりめく一首)

雨降れば笠取山のもみぢ葉は行きかふ人の袖さへぞ照る(壬生忠岑)

笠取山は宇治の歌枕であるが、標高も低く周囲の山に隠れて目立たない。ではなぜ歌に詠まれるかと言えば、理由は名前にこそある。『雨が降ると笠取山の紅葉の葉は、往来する人の袖の色までも照りまさる』。歌の解釈の前に、前提をお伝えしよう。昨日ちらりと話した「時雨(秋の雨)」の規定に、時雨によって“紅葉が色づく”というのがある。だから今日の歌は、紅葉を染める時雨が降る笠取山は、その名のように往来する人々が笠を取るので、袖までも紅葉のように染まってしまう、という解釈になるのだ。古今集の歌にある快感は、パズルを解いたときのそれと全く同じだ。

(日めくりめく一首)

「令和元年 秋の和歌文化祭」開催レポート

去る11月10日、肥後細川庭園内の松聲閣にて恒例の「和歌文化祭」を開催しました。
今回はな、なんと、みなさまの要望を受けて午前午後の計8時間のぶっ通しです。

会場となった「松聲閣」は旧熊本藩細川家下屋敷で細川家の学問所として使用されていたとのこと。数年前にリニューアルされて、伝統の趣と使い勝手が両立された最高の施設です。
何より素晴らしいのは建物内から見渡せる庭園。四季折々に映える木々が池を巡り、さながら一枚の巨大な大和絵のよう。当日は秋晴れの爽やかな陽が射して、所々に赤みを帯びた木の葉の色も美しく、最高の環境で文化祭を行うことが出来ました。

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白露も時雨もいたくもる山は下葉残らず色づきにけり(紀貫之)

今日からはしばらく「時雨」にお付き合い頂こう。ところで同じ「雨」という気象現象を春は「春雨」といい秋には「時雨」という。この分別は「一季一景」の原則のみにあらず、詠むべき風景にも明々たる規定を設けて精緻なこだわりから生じている。思うに自然に対するこの執着心が日本文化の根幹なのだ。さて、詠み人は紀貫之、『守山はその名の通り白露も時雨もひどく漏るので、木々の下葉も残らず色づくのだなぁ』。採られた古今集らしく機知に富んでいるが、貫之が偉大なのは掛詞をフックにしつつも印象に残る情景を描き切る。それはひとえに「下葉」という繊細な着眼による。

(日めくりめく一首)

木枯らしに木の葉の落つる山里は涙さへこそ脆くなりぬれ(西行)

ゆく河の流れ、よどみに浮かぶ泡沫。無常を象徴する現象はいくらでもあろうが、その最たる事例が秋の木の葉ではなかろうか。『木枯らしで木の葉が次々と散ってゆく山里、私の涙も脆くなって止めどなく落ちてゆく』。詠み人は西行、春の頃にはまだ咲かぬ花を求めて山里を駆け巡った僧にあるまじき執着の人間に、むなしき落ち葉はどのように写ったのだろう。いや写りはしなかった、溢れる涙に潰されて彼の眼は光を失ったのだ。その回復は、もはや春の花をもってしか成しえない。

(日めくりめく一首)

いかばかり秋の名残を眺めまし今朝は木の葉に嵐ふかずは(源俊頼)

『秋の名残を深く惜しんで眺めただろうに。今朝、木の葉に嵐が吹かなければ』。昨日の宗于の呑気が罪であるほど、まるでオー・ヘンリー、今日の歌には儚さを感じる。いったいなぜ、木の葉一枚にこれほどの切迫感を込めるのか。たとえ秋は尽きようと、新しい冬をどうにか楽しめばいいではないか? それは出来ない相談だ、理由は「花」。歌人たちにとって命と変わらぬかけがえのない存在である花が、冬という季節にはないのだ。青息吐息のこの季節いかに彼らが乗り越えるか、これから鑑賞を続けよう。

(日めくりめく一首)

→秋の和歌文化祭 11/10(日)9:30~16:30