山桜咲きそめしよりひさかたの雲井にみゆる滝の白糸(源俊頼)

いつの時代も、名が残る優れた歌人はチャレンジングである。貫之しかり定家しかりである。以前、この両名をつなぐ位置に今日の詠み人、源俊頼がいるとご紹介した。彼は勅撰和歌集の変遷が止んだ平安中後期いわば和歌の第二暗黒期を生きた歌人である。彼の歌論「俊頼髄脳」には嘆きが残る
今日の歌は昨日の貫之とほぼ同趣である。見どころは見立てが「滝の白糸」に変わっているところくらい。どうだろう? いわゆる「長高い歌」ではあるが、私には苦肉の策にみえる。伝統を変えたいけれど変えられない、ぶち壊したいけれどそう出来ない。新風に理解がある帝王がいた新古今時代とは違うのだ! 俊頼はやむにやまれず反旗を翻した、ひとりで… 俊頼の歌には、このもどかしさが滲み出ている。

(日めくりめく一首)

桜花さきにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲(紀貫之)

その時は来た! 花はついに咲き初める。待ちに待った思ひとはうらはらに、和歌ではその美しさを直接称えることはしない。多くは霞に隠して影ばかり匂う様を歌うとか、清らなる白さを類似のものに見立てて詠む。今日の歌ではそれが山の峡(かい)から見える「白雲」というわけだ。ちなみに現代で「桜色」というと「淡紅色」を連想するかもしれない。しかしそれは「ソメイヨシノ」の影響が強い、淡紅はその一方の交配種「エドヒガン」の特徴だ。吉野山など、和歌で詠まれるのはもちろん「ヤマザクラ」であり、その色の多くは純白である。さて、いよいよ四季歌のクライマックス、桜の歌群が花を開く。

(日めくりめく一首)

おぼつかないづれの山の峰よりか待たるる花の咲きはじむらむ  (西行)

『ああ、気になる、気になる…。愛しい桜よ、お前はどこの山から咲き始めるのか。近くに見えるこちらの山かもしれない、行ってみようか?? いや、行ったとたんに裏のあちらの山から咲くかもしれないぞ、、。去年はどうだったけかな? そういえば向こうの山で待ち伏せしてたら、かなたの山で咲き始めたんだったな。だからって、今年も同じとは限らない。くそっ、やはり毎年の開花データを残しておくんだったな、いつも後悔する、、。今年こそは、必ず一番咲きを見てやる! ほんの一瞬でもいい、この世の桜を独占してやるんだ! あああ、気になる、気になる…。愛しい桜よ、お前はどこの山から咲き始めるのか。』

(日めくりめく一首)

いづかたに花咲きぬらむと思ふより四方の山辺に散る心かな(待賢門院堀河)

詠み人の堀河はその名のとおり、待賢門院璋子に仕えた女房歌人である。待賢門院と言えばいわくつきの人だ。養父は白河院、鳥羽院の中宮となり崇徳院そして後白河院の母。あの西行の出家にも関係しているとかいないとか…。さてもそのような激動の後宮にあって、堀河は絶えず優雅を歌い続けた、クールにそしてスマートに。『どこかでもう桜は咲いのだろうか。そう思い始めたら、心が先に散り散りになりそうだよ』。いつになく動揺を隠せない、、そしてそれが嘘でない。そんな感じが伝わってきて、思わずグッとくる。

(日めくりめく一首)

願はくば花のもとにて春死なむその如月の望月のころ(西行)

歌というものは時として、「いかに詠んだか」よりも「だれが詠んだか」の方が重要になる。『願わくば桜の下で死にたい。花咲き初める二月の満月の桜の木の下で』。桜と満月の取り合わせに、今の人は理想的な美の風景を思うかもしれない。しかし、伝統的な和歌でこれらを合わせて詠むことはない。過剰なのだ! 盆と正月、寿司とステーキ、山盛りの宝石!!  今日の歌は優雅を遥かに超えて下品なのである。しかしこれが許される場合がある、詠み人だ。まあご存知だとは思うが西行である。西行は花と月という色の極みを求めて仏の道を歩んだ、支離滅裂、むちゃくちゃである。その人だからこそ成り立つ一首、稀代の作品だ。今日今宵はまさに如月(旧暦二月)の望月、隈なき月下の桜に出会えたら、彼の狂気を一寸感じられるかもしれない。

(日めくりめく一首)

【和歌マニア(第78回)】平安の三大歌合戦! 寛平后宮歌合、天徳内裏歌合、六百番歌合をご紹介


今も昔も大盛り上がり! 今回は歌合戦ならぬ「歌合せ」の有名なエピソードをご紹介します。寛平后宮歌合はインディーズバンド、壬生忠見はおっちょこちょい!? 今回もろっこワールド満載でお送りします。
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朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける(崇徳院)

崇徳院というと、まず「瀬をはやみ」※の歌が先に浮かぶであろう。これは式子内親王や源実朝にも言えることだが、現代では和歌=百人一首になっており、これに採られた歌が歌人の印象をほとんど決めてしまう。現代人に和歌に親しむきっかけを与えているという面では、百人一首の功績はずば抜けて高いが、一方で罪の面があることも覚えておきたい。式子内親王であれば「新古今集」、実朝であれば家集「金槐集」そして崇徳院であれば「千載集」などに採られた歌をぜひ鑑賞していただきたい、きっと歌人たちの豊かな側面が知られるだろう(とくに千載集は崇徳院の歌なしには語りえない)。
今日の歌はいたって単純である。『四六時中花を待ち望んでいたら、まず夢の中で咲き始めた』というものだ。長閑であり、ゆったりと気持ちいい春の時間が流れている。

※「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」(崇徳院)
(日めくりめく一首)

帰る雁羽うちかはす白雲の道ゆきふりは桜なりけり(藤原為家)

今日も「帰雁」である、が! ついにこの言葉が表れた、「桜」だ。『羽を交わしながら空の旅路を行く雁、あの白雲は桜の花道なんだ』。白雲と桜、これらは清らなる白さを互いに称え見立て合う。詠み人は藤原為家、言わずと知れた定家の子である。「続後撰集」と「続古今集」の二つを撰進、父を超える権大納言にまで昇りまさに歌道の人として満帆の花道を歩んだ。晩年は「十六夜日記」で知られる阿仏尼と子為相を溺愛し、これが三家分裂のきっかけとなる。
さて、所収は風雅集であるが歌はその基調をなす京極風ではない。しかし歌からは去りゆく雁の優雅さとともに、次にめぐりくる桜の華やかさを期待させ、強く風雅を感じる心地いい一首である。

(日めくりめく一首)

霜まよふ空にしをれし雁がねの帰るつばさに春雨ぞ降る(藤原定家)

また定家である。定家の歌は説明が難しい、いや、するほどに野暮になると言っているのに撰んでしまう。でもしかたあるまい、だって本当にいい歌なんだもん。一応解説をさせていただこう、これも帰雁のワンシーンである。ここで雁はすでに故郷へ向け飛び立っている。空はまだ凍てつき霜迷いながら、数千キロ先の彼方故郷シベリアへ向けて。雁よ、お前は何を思う。翼を持たぬ私には想像だにできない。そのしおれた翼には春雨が降りしきる、冷たく凍れる春雨が。絵画的また物語的といわれる定家だが、まさにこれがその白眉たる一首だ。

(日めくりめく一首)

春霞たつを見すててゆく雁は花なき里に住みやならへる(伊勢)

花と違って、雁の帰郷へ寄せる情趣を私たちはほとんど持ち合わせていない。対して平安歌人は、これに心からの思いを寄せた。『春霞が立つやいなや、そそくさ立ち去ってゆく雁。お前はこれから咲く花の美しさを知らないんだろう』。呼び止めたところで容赦なく消えてしまう存在、せめてもの皮肉を歌にこめた。詠み人は伊勢、と聞くとこの歌がさらに物語を帯びてくる。彼女は藤原時平、仲平はじめ宇多天皇さらにその腹違いの皇子敦慶親王らと浮名を流した、元祖「けしからぬかた」というような女性だ。ちなみに敦慶親王との子が歌人としても有名な中務である。であるからして歌にある花は自分自身、つれなく立ち去る雁は愛しい人、なんて思えてくる。まあそうなんだろう。和歌にとって花と恋、寄せる思いは同じだ。

(日めくりめく一首)

春くればたのむの雁もいまはとて帰る雲ぢに思ひ立つなり(源俊頼)

昨日の流れで今日は金葉集の選者、源俊頼の一首をご紹介しよう。『春になったので、たのも(田の面)の雁が今まさに帰らんと、雲の旅路に飛び立ってゆく』。雁は秋の鳥だが、春に詠まれる場合「帰雁」、つまり故郷である北国へ帰る姿が詠まれる。「たのも(田の面)」には「頼む」が掛けられ、あてにしていたものとの別れ、また「立つ」は「思い立つ」と「旅立つ」の意味合いがあり、その瞬間を捉えた歌というわけだ。俊頼は和歌の二大巨頭、貫之と定家を繋ぐ平安中後期歌人を代表するキーパーソン! この歌は言葉(技巧)と心(抒情)が抜群に調和しており、まさにそれを物語っている。

(日めくりめく一首)

風吹けば柳の糸のかたよりになびくにつけて過ぐる春かな(白河院)

万葉集では、例えば梅やうぐいすなどと取り合わせるなど、多様な詠まれ方がされた柳だが、貫之がそれを糸に見立てて以降、柳は必ずそう詠まれるものとなった。今日の歌もその一つである。詠み人はなんと白河院。「賀茂河の水、双六の賽、山法師」これらをのぞけばすべてが思いのまま、いわゆる治天の君として知られる。和歌など文芸に親しむイメージは薄いかもしれないが、「後拾遺集 」「金葉集」の二つを撰進させている。しかも金葉集は二度もちゃぶ台返しするなど、かなりのこだわりようだ(なので金葉集には三系統の伝本がある)。その撰者は源俊頼、後鳥羽院のように編纂にガンガン加わるボスも困るが、白河院という絶対権力者からのプレッシャーはいかばかりであったか。サラリーマン経験が長かった私としては身につまされる。

(日めくりめく一首)

青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける(紀貫之)

およそ勅撰和歌集では怒涛の梅の歌群が過ぎたあと、次の桜まで小休止が入る。そこでさらりと詠まれるひとつが、今日の「柳」だ。柳といえば雲竜柳や猫柳もあるが、和歌に詠まれるのは枝垂柳である。これを「糸」に見立て、「よる(撚る)」「かく(搔く)」「はる(春・張る)」「みだる(乱る)」「ほころぶ(綻ぶ)」と縁語のオンパレードで構成された歌、さすが手練れの技巧派貫之! と評したいところだが、結局のところ何を言いたいのだろう? 実は吹きまく春風なのである。柳の動きに変えて、目には見えない荒ぶる春の嵐を捉えたのだ。畳みかける縁語がそれを強くしている。一陣の風が去ったあと、小さな黄色い花はほころぶ。

(日めくりめく一首)

春の苑くれないにほふ桃の花した照る道にいで立つ乙女(大伴家持)

「桃の花」。衝撃的な言葉である。特に私のような勅撰集を新古今、古今と下り、万葉へ至った者にはショックが大きい。歴代の勅撰集において、桃なんてものはまず詠まれない。漢詩人はこれに惜しみない愛情を寄せたが、本朝歌人はその対象としなかったのだ。なぜか? わかるだろう、あまりにも露骨ではないか! 「桃」。その響き、色香、かたち、いずれもあまりに女性的すぎる。花にようやく心を託せた人間に、桃ではあまりに赤裸々だ。奥手な平安歌人にこの歌はどう映ったろう。桃の花が照り映える道に立つ乙女… 危険なエロスである。

(日めくりめく一首)

ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端の梅はわれを忘るな(式子内親王)

和歌(短歌)という詩形は三十一文字、かつ詠むべき題や言葉は自主規制を設けており、現代のそれが目指す自由とは真逆の不自由極まりない表現である。そこにいかなる価値があるか? という問いは別の議論として、こういうわけだから和歌の九割九分は、誰が詠んだかわからない無個性で溢れている。でも、それでも、句の切れ間からどうしても個性がにじみ出てくる稀有な歌人がいる。例えば業平だったり和泉式部だったり、そして今日の式子内親王である。
われを忘るな! 軒端の梅に突き立てた別れの言葉、優雅な影など寸分も残さぬ緊迫感。彼女の歌には、平時にあって懐の短刀翻すような鋭さがある。

(日めくりめく一首)

梅の花あかぬ色香かもむかしにて同じかたみの春の夜の月(俊成卿女)

この歌には詩歌の醍醐味が溢れている。何かと言えば、解釈の余地が鑑賞者にほとんど委ねられているのだ。『梅の花のまだ満足もできない色と香り、それはもう昔となって、同じように思い出が残る春の夜の月』。なんだろう、正直なところよく分からない。だがいい!
これまでの日めくり和歌の鑑賞をつうじて「梅の色、香り」や「春の夜の月」には単なる言葉を超えた、和歌的物語が含まれていることが知れるだろう。そしてその下敷きさえあれば歌はおのずから立つ、作者である俊成卿女も当然その効果を狙っている。内容は妖艶な情景でもいいし、恋の追憶でもかまわないのだ。和歌でもなんでも、古文の初学者はたいてい正確な口語訳を求めたがるものだが、それが虚しいことも往々にある。

(日めくりめく一首)

梅が香を袖にうつしてとどめては春はすくともかたみならまし(よみ人知らず)

花は散る、春はゆく。それでも花を、春を留めたい。思いはわかる、だがそんなことができようか? ある歌人は答えた、「できる!」と。『香を残すのだ、わが袖に梅の香を。さすれば春は過ぎても、思い出として残しておくことができる。たぶん…』。古人の浅はかな知恵と笑えるだろうか? そんなことはない。今やスマホのカメラでなんでもパシャリだが、そんな思い出、振り返っても心はほとんど動かない。私は思う、「匂い」や「声」、視覚以外の感覚のほうがよほど鋭く、過去の一瞬をフラッシュバックさせるのだと。

(日めくりめく一首)

くるとあくとめかれぬものを梅花いつの人まにうつろひぬらむ(紀貫之)

四季はうつろふ。咲いた花は散る、当然のことわりである。でも、いやだからこそ花を惜しむ心はいっそう燃えるのだ。暮れても明けても、目を離さず見ていた梅の花。作者は鑑賞ではなく監視の域に達しているようだ…、にもかかわらず! 花はいつの間にか散りはじめた。痛烈な落胆の様が目に浮かぶ。梅の花は特別だ。冬、わびしい無色の季節を耐えに耐え、ようやく出会えた花なのだから。それが断りもなく、そそくさと散ってゆくのである。次に会えるのは一年後。このつれなき無常との対峙が、人に歌を詠ませる。

(日めくりめく一首)

峰のかすみ麓の草のうすみどり野山をかけて春めきにけり(永福門院)

京極派の歌はつとめて明るい、そして分かりやすい。『山の峰も麓も薄いみどりが映えて、めっちゃ春めいてきた!』。思わずインスタに投稿したくなるような、誰もが共感できる美しい景色、これが京極派という新風だ。京極歌風はいわゆる「写生歌」である、見たまま感じたままを歌に詠んだのだ。なんて聞くとだれでも簡単に歌を詠めそうな気がする。しかし、単なる写生は「詩」にはならない。古今や新古今は言葉の暗喩や抒情に詩的要素を備えていた。これらを排除した京極派はどうしたか? 光や空気の色、アングルにそれを求めたのである。今日の永福門院の歌は、「うすみどり」と「野山をかけて」に見どころがある。

(日めくりめく一首)

梅の花くれなゐにほふ夕暮れに柳なびきて春雨ぞふる(京極為兼)

濃厚な新古今の味わいは、当の定家でさえも長続きしなかった。和歌はまた、つまらぬ常套に帰ってゆく。しかし、希望の光は思わぬ方から差してきた。定家のひ孫為兼による京極派である。定家その子為家亡きあと、御子左家は二条、京極、冷泉の三家に分かれた。嫡流は為氏、為世と繋がる二条家である。鎌倉、室町の勅撰集の撰進もほぼこの二条家によるものだ。本流を継ぐ者の歌は変化を許さない。これに対抗したのが今日の歌人、京極為兼なのである。見よ、このあさっりした写実的な風景を。薄紅と緑青にうるおう光の印象を。京極派はまさに、近代の印象派のごとく現れたのである。

(日めくりめく一首)