秋風はやや肌寒くなりにけり一人や寝なむ長きこの夜を(源実朝)

少なからず秋風には久しい友との再会を思わせる感動があった、だが今日の歌はどうだろう。『秋風は肌寒くなってきた。一人で寝るのだろうか、長いこの秋の夜を』。印象的なのは「けり」で結んだ三句切れ、この歌において上句と下句の世界...

ふき結ぶ風は昔の秋ながらありしにもにぬ袖の露かな(小野小町)

小野小町という人は、いつどこでも小野小町だ。ふつう古今なら古今、新古今なら新古今と採られた集によって相応しい歌が採られるものだが、小町にはそれがない。いつもしのび泣きに袖を濡らしている。しかも恋部でも四季部でも、秋でも春...

うたた寝の朝げの袖にかわるなりならす扇の秋の初風(式子内親王)

今日の歌もまた趣向が冴えている、式子内親王である。昨日までの秋風は野辺をさやいで、目にも耳にも広々と感じられたが、式子のはいたってこじんまりしている。何と言ったって、『自分であおいだ扇の風』に秋を感じるというのだから。し...

いつしかと荻の葉むけのかたよりにそらや秋とぞ風もきこゆる(崇徳院)

「風に秋を感じる」とは和歌の常套であり、立秋のころは同じような歌が大量生産された。これもご挨拶程度であれば構わなかったかもしれないが、歌に芸術を志向するようになると安易な真似ごとは敬遠されるようになる。顕著なのが新古今だ...

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる(藤原敏行)

驚きの事実を述べよう、今日8月8日は「立秋」つまり季節はもう秋なのである。おそらく現代日本人としては、ようやく今が夏の折り返し地点くらいの感覚であるが、暦の上では間違いなく今日から「秋」なのだ。二十四節季は太陽の運行を基...

夏と秋と行きかふ空の通い路はかたへ涼しき風や吹くらむ(凡河内躬恒)

古今集歌人において、貫之を横目に女性ファンから圧倒的な人気を集める凡河内躬恒。個人的には凡作が多い印象でそれほど感心しないのだが、時折目の覚めるようなメルヘン世界を爆発される。これに魅了される人がいて決して不思議でない。...

堰きとむる山下水にみ隠れて住みけるものを秋の景色は(法眼実快)

今日の歌も昨日の俊恵の趣向に近い、法眼実快というから詠み人もおそらく同じ坊主であろう。しかしちょっと面白いので取り上げてみた。なにかといえば結句の余韻である。『堰き止めた山かげを流れる水に見え隠れして住んでいたものを、秋...

岩間もる清水を宿に堰きとめてほかより夏を過ぐしつるかな(俊恵)

納涼の手段はいろいろあれど、海水浴にプールやはり定番は水遊びで間違いない。それは昔もおんなじで、和歌でも晩夏のころには「水」にちなんだものが詠まれる。『岩の間から漏れた湧き水を、ちゃっかり俺んち家へ流れるように堰き止めて...

夏ふかみ玉江に繁る葦の葉のそよぐや船の通ふなるらん(藤原忠通)

今日も千載集から、珍しい題で詠まれた歌をご紹介しよう。詞書には「水草隔船といへる心をよみ侍りける」とあるので、題はそのとおり“水草を隔てる船”だ。歌には…『夏も盛りの美しい入り江で繁る葦、その葉がそよいで、ああ船が通って...

春秋も後の形見はなきものを氷室ぞ冬の名残なりける(覚性入道親王)

新古今集の影に隠れがちだが、俊成が編纂した千載集も一字千金の見事な歌集だ。滑稽に傾いていた勅撰集の歌風を王道たる古今調に戻し、次の新古今への道筋をつけた。全体的な評価はこうだが、子細をみるとまた面白いことに気づく、それは...

おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨の名残に(藤原清輔)

『いつの間にか涼しくなってきたようだ。夏衣の紐を結う、夕暮れの雨の名残で』。上下が倒置されているが、なんということもない歌だ。少しの違和感があると思うが、それは「夏衣」の縁語として選ばれた四句「紐結ふ」に発する。ご理解の...