短歌と和歌、主観と客観

和歌にはルールがあり、短歌にはルールがない。
この違いはどこから来るか?
それは短歌が「主観」、和歌が「客観」で詠むという主体のありようです。

明治期、伝統的な和歌に対抗する形で勃興した短歌は「写実主義」を重んじました。
写実、それは自分が得たありのままの情景・感情を、自分の言葉でダイレクトに歌にする行為です。
その切り取り方も自分次第であれば、それを表現する言葉も自分次第。
写生は客観であるとも言われますが、私は短歌の写生は本質的に主観であると考えています。

一方の和歌。
情景・感情の切り取り方は状況(季節、恋の段階など)によって厳格な決まりがあります。
またそれを表現することばも、縁語などのルールに従わなければなりません。
つまり歌の価値基準は自分にはなく「歌のルール」という客観的な存在にあるのです。
そしてこの歌のルールブックこそが「古今和歌集」です。

歌の良し悪しを判断する絶対者の違いが、同じ三十一文字をして全く違う歌風を生みました。
これはどちらが優れてどちらが劣っているということではありません。
ただ好みの傾向は個々人で生じると思います。

かく言う私はというと… 短歌はどうも苦手です。
主観つまり自分語りの歌は時にナルシシズムで、時に赤裸々な感情をダイレクト歌にします。
これがアラフォーのオッサンにはとっても恥ずかしいものなのです。

例えば「短歌甲子園」。
優秀作品をちょっと眺めて見ただけでも赤面しそうです。
むき出しになった裸の感情は、初々しい高校生などが詠むのに相応しいものです。
→「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)

やはり私は和歌が好きですし、
30オーバーのみなさまに古典教養も刺激する、和歌の方が似合うと思います。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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