冷泉為相を訪ねて

突然ですがみなさん、「冷泉為相(れいぜいためすけ)」をご存知でしょうか?
父は藤原為家、ということは祖父はかの藤原定家。御子左家の血を継ぎ、今にも残る冷泉家の祖になった人物です。
今回その為相のお墓が鎌倉の「浄光明寺」にあるということで訪ねてきました。

ここでふと疑問が、、
為相は正二位権中納言まで昇った貴族中の貴族です、時は武士の時代とはいえなぜ京ではなく鎌倉にその墓があるのか?
※ちなみに祖父定家の墓は京都の相国寺にあります。

実は為相、京より下向し鎌倉を活動の中心とし、この地で没した稀有な貴族歌人だったのです。
それには母の影響が強くありました。
母の名は「阿仏尼」、為家の側室であった人ですが夫の死後、正妻の子為氏(二条家の祖)と争い、直訴するために鎌倉(幕府)に下向しました。その際に記された紀行文『十六夜日記』は有名ですよね。
その縁あって為相は度々鎌倉に下り、東武士たちに和歌や連歌を教えました。つまり為相とは冷泉家はもちろん、鎌倉歌壇の祖というべきお方なのです。

歌枕に乏しいここ関東地方、歴史的な和歌・歌人の痕跡に触れる機会はめったにありません。
和歌DJとしては、偉大なる歌人為相のお墓を訪ねない訳には行かないでしょう!


場所はここ、鎌倉は扇ガ谷の「浄光明寺」。
鎌倉駅から徒歩15分なので歩いても行けます。


為相のお墓は一見わかりずらい、境内の裏山にありました。


こずえの隙から鎌倉の街、そして海が見えます。
為相は今も鎌倉の歌を見守っている、いや待っているようでした!

僭越ながら、一首たてまつります。
「為相を 訪ね来たりて 鎌倉や 違ふものかは 見ゆる景色は」(うっちー)

鎌倉の歴史的歌人というとまず源実朝の名が浮かびますが、
今回の墓参りで冷泉為相がぐっと身近に感じられるようになりました。
→関連記事「源実朝 ~甘えん坊将軍、鎌倉の海に吠える~
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未熟ながら関東の歌活動をさらに盛り上げられるよう、私たちも精進を続けます!

(書き手:歌僧 内田圓学)

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