辞世の歌とは?(「辞世の歌」を知り、詠み残そう)

「辞世の歌」と言っても、現代の人間はあまりピンとこないかもしれませんね。これは文字どおり人がこの世を辞する、つまり死を前にして残した歌のことで、一般的には、例えば豊臣秀吉や吉田松陰のそれが広く知られています。

「露と落ち露と消えにしわが身かな難波のことも夢のまた夢」(豊臣秀吉)
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」(吉田松陰)

「辞世の歌」を知り、詠み残そう!(マンツーマンの特別講座)

和歌をやってる人間からすると、これら人口に膾炙した「辞世の歌」がいかにも古典的な詠みぶりであることに気づくことでしょう。では当然のことながら、中古の歌人らも「辞世の歌」を詠んだと思いますよね? しかし実のところそうではないのです。

確かに有馬皇子や在原業平の歌は辞世として伝わっています。

「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」(有馬皇子)
「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(在原業平)

このように自らの死際に対峙して、日本人が意識的に「辞世の歌」を残すということをやりだしたのは、なんと南北朝時代以降のことなのです。これはおそらく、「遺偈」の影響が強くあるのでしょう。遺偈とは僧侶が今わの際に門弟や後世のために残す仏教的な詩のことで、この文化が宋・元から輸入され広く受容されたのです。
ですから平安や鎌倉初期にかけて編まれた歴々の勅撰集を見渡しても、人の死を悼んで詠む「哀傷」の部はあれ、「辞世」の部なんてのはないのです。

だからといって、わたしたちが今日「辞世の歌」とみなすような歌を、中古歌人がまったく詠んでいないかといえばそうではありません。むしろ中古の和歌は、それそのものが「辞世」といって過言でない、と私は思います。どういうことか?

和歌が詠まれるとき、そこに表れる花鳥風月はけっして盛りの姿ではありません。花は散りざまであったり、月は雲に隠れて見えなかったりします。ようするに和歌とは端的に「滅びの美」なのです。

ドナルド・キーン氏はこのように記しました。

「その主題のなんたるかを問わず、歌の奥にある心は、しばしば美と愛のはかなさに対して注がれた悲しみの情であった。そのくせ日本人は、このほろびなくしては美もあり得ないということを、敏感に意識していたのである」
「日本人の美意識」ドナルド・キーン

歌人らは自らの心を花鳥風月に託します。

「心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり」
「古今和歌集仮名序」紀貫之

ここに「滅び」を重ねることは、それはおのずと辞世を指向してしまう。これが和歌という文芸なのです。

西行の「辞世の歌」とされる歌をご覧ください。

「願はくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」(西行)

なるほど、たしかに西行らしい死生観が表れています。ただこれは「死なむ」、なんて明確なことばが詠まれているからこそ後に「西行の辞世」として認められたようなもので、実のところ西行が詠んだ花鳥風月のその多くに「辞世」の匂いは漂っています。

「いかで我この世のほかの思ひいでに風をいとはで花をながめむ」(西行)
「もろともに我をも具して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ」(西行)
「いにしへに何につけてか思ひ出でむ月さへ曇る夜ならましかば」(西行)

歌を口ずさめば、それがそのまま自らの滅びをも暗示してしまう。これが和歌の本質であり、日本人の美意識なのです。

ところで現代において、「辞世の歌を残す」なんて人間はほとんどいなくなってしまいました。わたしは「日本人が和歌を詠まなくなった」ことがこの直接的な原因だと思っています。

わたしたちは和歌文化の再興を企て活動を行っています。ここに「辞世の歌」の復活によって、和歌文化の復活が象徴的に表せるのかもしれないと考え、あらためてみなさまと日本人の遺産である「辞世の歌」を鑑賞し、これを個々人が詠み残すということを実践できればと思います。

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「辞世の歌」を知り、詠み残そう!(マンツーマンの特別講座)

※取り上げる「辞世の歌」は、市販の書籍などで広く紹介されているものを選びます。また、本来「辞世の歌」には漢詩や俳句など多様な形式があるのですが、あえて和歌(伝統的な短歌形式)のみを選び、“和歌所ならではの視点”を交えて解説できればと思います。

ちなみに「辞世の歌」というと、人が“臨終において最後の魂を振り絞って書き記した歌”というようなイメージが強いかもしれません。確かにそのような歌もありますが、じつはそのほとんどが、後の人が故人のメモからそれらしい歌を拾ってみたり、また本人が認める「辞世」であっても、それは元気なうちから練りに練った歌だったりします。

しかしそのような“半端な歌”が故人のその死と確定的に結びつき、これをありがたく鑑賞するなんてのはよく考えると不思議な感じもします。ただ「辞世の歌」というのがたんに故人のことばというだけに留まらず、これを連綿と受容し、望むままに形づくってきた日本人の歴史・文化観念の産物だと考えれば納得もできるでしょう。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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