歌塾 月次歌会「雨」(令和四年六月)※判者評付き

歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和四年六月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。

題「雨」

「紫陽花のあぢきなき身になりぬらし身を知る雨のふりしまされる」

判者評:平安和歌では詠まれない紫陽花と雨が詠まれて、モダンな取り合わせとなっている。もし平安歌人が紫陽花を詠んだのなら、このような感じだろうなと思わせてくれる。「身を知る雨」がわかりやすさを助けている。

「降りやまぬ雨のうちにぞ聴きわかむ絶へてひさしき君が足おと」

判者評:哀切感のある歌。身を知る雨が降り止まないなか、必死に待ち人の訪れを待つ女。しかし男は来ない。物語が想像できる良い歌。

「たまくらにをるべきひとも雨もよにかすみゆきつつ袖ひちにけり」

判者評:「たまくらにをるべきひと」とは面白い表現。「彼女」だろうか? それも雨もよに(非常に)霞んで、つまりそれほど泣きぬれて、袖が濡れた。待つ恋の歌。少々わかりにくいか。例えば…「たまくらにをるべきひとも見えぬまで掻き暮らしゆく雨はふりけり」

「五月雨にひたと鳴きけるほととぎす今は昔の恋語るごと」

判者評:歌語としてのほととぎすが美しく詠まれている。一首の見どころは「ひたと(ぴったりと)」で、五月雨に寄り添うようにほととぎすが鳴くという物憂げな風景が描かれている。「恋語るごと」が「五月雨にひたと」鳴くほととぎすを曖昧にしている。ほととぎすが、夢語るごと鳴くように聞こえる。そういう狙いかもしれないが、「五月雨ひたと」が弱くなるし、誰と恋を語っているかわからない。また「と」が重なって声調の上でも落ち着かない。「今は昔の夢の枕に」などで締めて、煩悶とする恋の思いを想像させるのでよいではないか。

「草と木のなほもあをめば五月雨に乱るる思ひぞ澄みてくるらむ」

判者評:草と木が青むのと、五月雨に乱れる思い、それが澄んでくるとう、一見してわかりづらい歌。「乱れるるおもい・ぞ」は字余り。

「五月雨にしをるる庭のうの花を見てはうき事ばかり思ひぬ」

判者評:五月雨と卯の花という古典的な題材に「憂きこと」を響かせるなど、型がある歌。明確に序詞にするのなら、同音反復にしたほうよい。例えば…「五月雨にしをるる庭のうの花の憂きこと尽きぬわが身なるかな」

「ながめふる池のみぎわの花あやめ立ちぬれてなほ色はまされり」

判者評:和歌の「あやめ」は草菖蒲だと言ったが、それを踏まえて「花あやめ」と明確にしている。いまの季節の美しいアヤメ畑の風景。「たちぬる」に擬人めいた表現を感じておもしろい。

「雨音にふと気がつけばにはたづみ落とす涙もともに流れむ」

判者評:『にはたづみ(雨が降ったりして、地上にたまり流れる水)』とは。「にはたづみ行く方知らぬもの思(も)ひに」。行くにかかる枕詞で、「落とす」にかかるのは枕詞ではなく、情景の一部になっている。これが涙とともに流れるという歌で、新作感がある。「ふと気がつけば」が少々説明くさい、なぜ涙を落としているのか、歌からは分からない。さらに「む(推量)」とした意図がわかりづらい。例えば…「ふりやまぬ雨は涙かにはたずみながるる水はますばかりにて」

「春日杜並ぶ灯篭雨にぬれ苔の緑の深き夕暮れ」

判者評:写真を切り取ったような、美しい日本の風景。ただ言いたいことが多く、散漫としてしまってもったいない。例えば…「雨の降る春日の杜の石灯籠苔の緑も色深かりき」

「五月雨の夜に鳴きわたるほととぎす声ふるはせて誰を恋ふらむ」

判者評:型に忠実な歌。ほととぎすとは詠み人の暗喩ともいえる。すべてそぎ落とされて個性はないが、耳に心地よい。まずはこのように詠めるようになりたい。

「さみだれに美豆のまこもの乱れつつものを思へば身こそ濡れぬれ」

判者評:「美豆(みずら=上代の成人男子の髪の結い方)」。真菰(まこも=水草)はヘアスタイルだと思われるが、このような用例があるのだろう。「さみだれ」に乱れがかかるか、もの想いに耽る男。まこもの乱れを想像させる物語がある。古風なことばが巧みに用いられるなかに個性が認められるすぐれた歌

「朝ぼらけ窓のながめに五月蝿らも手すり足すり空あふぐらし」

判者評:「五月蝿(さばえ)」を詠んだ大胆な一首。一茶(やれ打つな蝿が手をすり足をする)を彷彿とさせるが、仰ぐとあり、なぜ外に出られないのかなど想像を掻き立てられて面白い。「朝ぼらけ」でる必要はあるか、おそらく作者の実景が詠まれているのだと思う。また「窓のながめ」が言い足りていないか、窓からの眺めか、そこからの眺めを見て空を仰ぐということ。「ひかりさす」などにしたほうが渇望感が出るのではないか。もうひとついえば、「らし」ではなく「あおぎみる」と言い切っても面白い。

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