夕まぐれ荻ふく風の音きけば袂よりこそ露はこぼるれ(藤原季経)

昨日ひとつの問題提起を行った。お約束ばかりの個性なき文芸、伝統的和歌に如何なる価値があるのか、と。私の見解を述べよう、実は芸術など表現活動全般に個性を求めることこそ、現代人が抱える思考停止の固定観念なのだ。和歌はそもそも個性など求めていない、和歌とは折々の自然そして古の歌人達と心を合わせ安寧を求める衝動なのだ、美という対話手段を通じて。確かに新古今など、個性的な歌が隆盛した時代もあった。しかしこれも他者との差別化を意図したものでなく、ひとえに積もりに積もった憧憬のカンブリア爆発であった。
今日の詠み人は藤原季経、歌壇史上は俊成率いる御子左家に止めを刺された哀れな歌人であるが、夕暮れの荻に寄せる感動は人一倍である。

(日めくりめく一首)

和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう!

代表的な古典作品に学び、一人ひとりが伝統的「和歌」を詠めるようになることを目標とした「歌塾」開催中!

季刊誌「和歌文芸」
令和六年冬号(Amazonにて販売中)