「令和元年 秋の和歌文化祭」開催レポート

去る11月10日、肥後細川庭園内の松聲閣にて恒例の「和歌文化祭」を開催しました。
今回はな、なんと、みなさまの要望を受けて午前午後の計8時間のぶっ通しです。

会場となった「松聲閣」は旧熊本藩細川家下屋敷で細川家の学問所として使用されていたとのこと。数年前にリニューアルされて、伝統の趣と使い勝手が両立された最高の施設です。
何より素晴らしいのは建物内から見渡せる庭園。四季折々に映える木々が池を巡り、さながら一枚の巨大な大和絵のよう。当日は秋晴れの爽やかな陽が射して、所々に赤みを帯びた木の葉の色も美しく、最高の環境で文化祭を行うことが出来ました。

「和歌文化祭」とは

さて、そもそも我ら令和和歌所の「和歌文化祭」とはなにか?
歌や俳句の会でしたら短歌や俳句を、茶道の会だったら茶道を嗜むのが集まりの目的だと思います。和歌所もそうでありますが、実のところそれ以上であるのです。和歌所にお集まりの方の多くが、茶道など日本文化や短歌をすでに親しまれていらっしゃいます。つまりご自分の文武芸道をさらに高めんがために、不足の鍵として「和歌」を求めていらっしゃっているのです。
この事実は和歌というものの性質を端的に表しています。それは和歌こそが日本文化の源泉であり現代にも一本の道をの残す基礎教養であるということです。和歌によって、日本文化いや古今の日本人はすべて繋がれることをぜひ知ってください。

前置きが長くなってしまいました…
ようするに和歌所には日本の様々な文武芸道に秀でた方々にお集まり頂いているので、その知識や技を披露して頂こうというのが「和歌文化祭」なのです。家元制度の色が濃い日本の閉鎖的なお稽古では絶対にできない催し、これぞ真の異文化交流です! 

では今回の内容の一部をご紹介しましょう。

「レセプション・ティー」

以前「Tea Caravan」でご一緒した皋鳩さまのプロデュースで、受付の際にお茶を振舞って頂きました。
フリースタイルとの断りがありましたが、頂けるのが干菓子と薄茶ですからほとんどお茶席です。また茶室と位置関係は違えど、和室には特別素晴らしいお花も生けてあります。若干の緊張感とこれから始まる期待感も相まってワクワクが止まらないオープニングとなりました。
(皋鳩さまには会の折々で京番茶も振舞って頂きました)

歌人「浜田到」のご紹介

まずは長年「短歌」に親しんでいらっしゃる方から、昭和初期に活躍した歌人浜田到のご紹介を頂きました。浜田の歌壇のデビューはおそく四十代になってからとのこと、当時席巻していた前衛短歌からは距離をおいて独自の活動をしていたそうです。活躍期間が短いためその名はほとんど知られていませんが、もし彼が長生きしていたらかの塚本邦雄としのぎを削ったであろうとお話されていました。
伺って改めて思ったのは浜田到にしろ塚本邦夫にしろ、昭和初期に活躍した歌人らはおしなべて分厚い古典的教養を持っていたということです。新しさの源泉は古さにある、これは真理でしょう。私たちは益々、古典に目を向けねばなりません。

「懐紙」の活用いろいろ

みなさんは懐紙を活用していますか? なんて、かくいう私だってたまの「お茶席」で使ったことしかありません。しかし一昔前、懐紙はその名の通り常に懐にあった紙で、様々な用途に活用されていました。
ここでは懐紙のいろんな折り方や、箸置きや名刺入れなど現代でも使えるアイデアをご紹介頂きました。見た目もとっても華やかで、女性的な感性が素晴らしく光っていました。
ところで「折と結びは日本の文化である」だそうです。なるほど、確かに水引や風呂敷など、ひとつの素材から折々に付けて多様なパターンを編み出すのは日本人が得意とするところですね。

「いけばな」の歴史

個人的には「歌道」は得意でも「華道」の方は全く知識がほとんどなく、いけばな教室〇坊やフラワーアーティストの〇屋崎さんの姿が薄っすら浮かぶのみ… そんな厚顔無恥な私に光明となる話を頂きました、華道の歴史です。
古代、花とは依代でありました、それが次第に「立てる花」「いける花」といういわゆる「いけばな」へと変遷、後に現在知る「茶の湯の花」や「生花」に発展したそうです。もしかしたら花を生ける、飾るという行為から得られる幸福感は、花にある華やかさだけでなく、いけばなの原点である依代信仰が今も日本人の心に残っているからではないでしょうか。
さらに、珍しい鐙(あぶみ)の花器のご紹介や花人の人生観などを伺うと、花を飾るという行為一つひとつにはとてつもなく深い思想があるのだと思い知りました。

「古今歌合」の書

こちらは完全に私のあそびのご紹介です。「詠秋心」と題して令和和歌所歌人と私による「秋」を題にした歌合せの書を披露しました。一応体裁は藤原俊成伝来の形式に則っています。今後、このような歌合せをご参加のみなさまと繰り広げてみたいと考えています。

仕舞「胡蝶」の披露と解説

「仕舞」とは能の演目の一番盛り上がる部分を地謡だけで舞うことをいいます。今回は「胡蝶」の仕舞を地謡歴三十年の方と仕舞歴半年の私でコラボレーションしました。まあコラボというのも失礼な話で、生の地謡のご披露に私が余計なおオマケでいたというのが正しい表現でしょう。
それにしても生(ライブ)の地謡の迫力はすごいです、まさに地鳴りがなるような音響で人の声だというのが信じられないくらいの迫力でした。これはテレビなどの映像からはぜったいに得られない感動ですね。

能「忠度」の解説

引き続いて、お能の演目から「忠度」をご紹介頂きました。今回は謡本を手にしながら「シテ」「ワキ」「地謡」のパートに分かれて朗読と物語の解説をして頂くという特別企画。実はこれ、能の素人にとって大変役に立つ指南です。能は難しいとよく言われますが、その要因の一つがシテが複数人を演じるために起こる混乱です。今回はそれをパート毎に丁寧に解説頂くことで、ひとつの演目がすっきりと腑に落ちる内容でした。このように、実際に能に携わっておられる方に演目の解説を頂くのは非常にありがたいです。

「三味線」の解説と演奏

続いては三味線の講座です。テレビなどでは見慣れたものですが、実物を見聞きしたことがある方は少ないかもしれませんね。
ご紹介頂いたのはセミプロ級の実力者、三味線の歴史から楽器の解説、音の仕組みまで幅広くご説明頂きました。もちろん実際に弾いて頂いたのですが、これがすごい。突然場の雰囲気が変わって思わず踊りたくなりました! 貴族の一般教養は詩歌管弦と言われますが、やはり音楽は人を魅了しますね。
おまけで私の古歌(紅葉)の朗読とコラボさせて頂きました。風流な伴奏に、いつまでも語っていたかったです。

「カンボジア舞踊」のご紹介と舞

クライマックスはカンボジア舞踊です。ご紹介頂いたのはこの道のプロフェッショナルの方で、ご自身で創作される舞踊に和歌の心を取り入れたいということで、本会にご参加頂いております。
伺って興味深かったのは、日本の古典的な仕舞と同じでカンボジア舞踊の一つひとつの動作にも型があるということです。それは指先まで行き届いて、むしろ日本の舞踊より細かく感じられました。また、実際に創作されたカンボジア舞踊のための新曲を鑑賞させて頂きましたが、外国語で歌われてているにも関わらず和歌の抒情を見事に感じることが出来ました。部屋に差し込む夕暮れの色も相まって、陶酔感は半端なかったです。

「袴」のたたみ方

お開きまでの僅かな時間、「袴のたたみ方」を伝授頂きました。しかし私にはとても難しく、到底一度では覚えられそうもありません… ちなみに私は剣道部でしたが袴なんてのは適当に防具入れに突っ込んでいました。しかしなんでこんなに複雑なのか、実はたたむのが難しい分、解くのが容易になっているそうです。なるほど、美と実用を兼ねているんですね。

終わりに

さて、そんなこんなで楽しい時間はあっという間、文化祭は幕を閉じました。
改めて皆さまの教養、文芸の多才さに圧倒され心からの感動を受けました。そして日本文化とそれに底流する和歌の魅力は無限であると強く再認識することが出来ました。もっともっと熱く、楽しく! 和歌の道を追求していきたいと思います。

最後に、ご参加者さまから頂いた感想を一文ご紹介して結びとします。

ある人の「私達は日本人として生まれ、必ずのその心は私たちの中で脈々と生き続けているはず」というお話に、どうして和歌や皆様のお話に対してこんなに血が騒ぐのか、、日本文化についてもっと勉強したい気持ちになりました。 

※次回の和歌文化祭は梅の花匂ふ頃を予定しています。ご期待ください!
(書き手:和歌DJうっちー)

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