万葉集のカオス! その特徴(歌風)と本当の魅力を実例で知る

先日万葉集の特徴をひとくくりに「玉石混交」と言いました。ようするにカオスなのです。
→関連記事「万葉集の代表歌、歌風、選者そして歴史をざっと知る!

今回はこれを実例をもってご紹介しましょう。
読み終わった後、きっとあなたは混沌の深みに落ちて万葉集が大好きになると思います。

この記事の音声配信「第82回 万葉集とは何か? それはカオスだった!」を
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貴賤(天皇と乞食)

万葉集には貴賤問わず歌が採られています。その最上位が天皇であり、逆が乞食です。

万1「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも」(雄略天皇)

この歌は万葉集の記念すべき巻頭歌でありますが、まさに万葉集という歌集を象徴するような歌でもあります。詠み人は第二十一代天皇の雄略天皇。どんな尊い歌かと思いきや、とんでもない歌です。
「美しい籠を持って菜を摘む乙女よ、ねぇねぇどこ住んでんの? なんて名前? いいじゃん、いいじゃん教えてよ~。知らないオレのこと? 名乗っちゃおうかな~、どっしようっかな~。とりあえず言っとくけど、国まるごと治めてます!」
天皇によるナンパの歌なのでした。万葉集は「古くて立派だ!!」なんて思っている人は、そうそうに考えを改めた方がいいです。ところでこのナンパ、断れる女性なんていたんでしょうか?

万3886「押し照るや 難波の小江に 廬作り 隠(なま)りて居る 葦蟹を おほきみ召すと 何せむに  吾を召すらめや 明らけく 吾は知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと  我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置かねども 置勿(おきな)に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参り来て 命受くれば 馬にこそ 絆(ふもだし)掛くもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の 百楡(もむにれ)を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の日に干し さひづるや 柄臼に舂き 庭に立つ 磑子(すりうす)に舂き 押し照るや 難波の小江の 初垂を 辛く垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗り給ひ もちはやすも もちはやすも」(乞食者)

こちらは巻十六に収められた「乞食者の詠二首」のひとつです。
少々長い歌なのでシンプルにまとめると『天皇が蟹(自分)を召すとおっしゃった。俺は何すりゃいいの? 歌を歌う? 笛を吹く? どっちにしたって鼻縄で括って、天日で干して、陶人の作った瓶に入れて、塩をぬったりして食べちゃうんでしょ? 食べちゃうんでしょ!!』
自らを「蟹」と蔑み、それに譬えて殺されるんじゃないかという恐怖が歌われています。乞食者(ほかひひと)とは今でいう芸人みたいな存在、それが天皇に呼び出しをくらって相当ビビってます。にしても雄略天皇のナンパ歌と比べてください、同じ人間とは思えないほど高い壁が隔たっています。

最も古い歌と新しい歌

万85「君が行き 日(け)長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」(磐姫皇后)
『あなたが出かけてもう数日… ああ会いたい! 山へ迎えに行こうかしら、それとも永遠に待ちましょうか』
万葉集に残る最も古い歌とされるのが、この磐姫皇后が詠んだとされる歌です。磐姫皇后は仁徳天皇の皇后ですが、実は仁徳天皇の在位期間ははっきり分かっていません。ただ最も古い説を見ると四世紀前半と言われます。
ちなみに磐姫皇后は嫉妬の鬼として伝説が残り、この歌もストーカー一歩手前といった感じです。

万4516「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事」(大伴家持)
万葉集に残る最新の歌です。詞書には「天平宝字三年春正月一日」とあり、西暦に直すと759年になります。
磐姫皇后の時代から最大で450年くらいの開きがあるということですね。まあ磐姫皇后の方は、本当に本人が詠んだのか定かではありません。なにより二人の歌を比べても450年の開きがあるとは思えないんですよね。ちなみに万葉集と古今集の間隔はおよそ150年ですが、こちらは隔絶の感があります。
さてこの家持の歌ですが、万葉集の巻末歌であると同時に彼自身としても最後の作品なのです。

歌風その1:益荒男と手弱女

江戸時代の国学者は万葉集の歌風をして「益荒男(ますらおぶり)」(万葉考)などと評しました。ようするに男性的でおおらかなであると決定したのですね。一方で古今集を「手弱女(たおやめぶり)」といって一段低いもののように言う輩もいました。しかし、実のところ万葉集はこの両方が存在しているのです。

万8「熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」(額田王)
これは九州への船路、熟田津での一幕。『いい感じの潮になった、いまこそ漕ぎだせ!!』という歌です。
「白村江の戦い」で知られるように、当時の日本は新羅と戦争状態にありました。この船はその遠征軍だったのです。しかも詠んだのは額田王(女性)ですがなんとも勇ましい、まさに益荒男です。

万21「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」(大海人皇子)
『紫草のように美しいあなたを嫌いだったら、人妻だからって理由で私は恋したりしませんよ』
反語もあって分かりにくいのですが、ようするに「美しいから好きなんです」という歌です。表立っては告げられない忍ぶ恋、古今和歌集の典型と思われるようなこんな歌だって、万葉集にはざらにあります。
それにしても詠み人の大海人皇子(天武天皇)と歌の相手の額田王は元夫婦、それを兄の天智天皇に取らた後に詠まれたんです、この歌は。戯言なのか本気なのか、当時の高貴な方々の恋愛関係はどうなっていたんでしょうね。

歌風その2:写実と観念

これは本当によくある評価として、万葉集の歌は「写実的」つまり見たまま、思ったままに詠まれた歌であると言われます。明治の革新的歌人たちは万葉集のこの点を評価し、至高の手本としました。一方の古今和歌集は観念的だとされ、このような歌は近代短歌では見向きもされません。しかし、万葉集はこれをも含む包容力があるのです。

万1824「冬ごもり 春さり来れば あしひきの 山にも野にも 鴬鳴くも」
『春が来れば山にも野にも鶯が鳴く』。まさに見たまま思ったままなんのひねりもありません。しかしこれが詩歌として成り立っているか否かは、別の問題です。

万1812「ひさかたの 天の香具山 この夕べ 霞たなびく 春立つらしも」
『天の香久山の夕暮れに霞が棚びいた、春になったのだろう』。同じ初春の歌ですが、霞をみて春を知るとは極めて観念的です。そもそも本当に香具山に霞が棚びいたのかも怪しいくらいです。でもこちらの方が情景として美しい、そう思いません?
このような観念の美の極みを目指したのが古今和歌集以後の和歌です。

歌風その3:素朴と洗練

また万葉集は素朴でおおらかだとも言われます。人麻呂の歌で比較してみましょう。

万2371「心には 千重に思へど 人に言はぬ 我が恋妻を 見むよしもがも」(柿本人麻呂)
『心では思いが膨らんでも、決して人には言わない。でも会うことができたらなぁ』
忍ぶ恋ですが、確かにいたって素朴な歌ですね。

万2430「宇治川の 水泡さかまき 行く水の 事かへらずぞ 思ひ染めてし」(柿本人麻呂)
『水泡を逆まいて流れる水のように、後戻りができないほど深く思っています』
どうでしょう。同じ人の歌とは思えないほど、洗練かつ複雑な恋歌です。上句はいわゆる「序詞」になっており、まさに古今和歌集の恋歌といっても差し支えないレベルです。
1300年前の人間の脳みそなんて素朴なお花畑なんだろうと思われてるなら、人麻呂なめんな! って感じですね。

歌風その4:上品と下品

さて最後にこれです、上品と下品。

万822「我が園に 梅の花散る 久かたの 天より雪の 流れ来るかも」(大伴旅人)
「令和」でさんざん有名になった「梅花の宴」より旅人の歌です。
梅の花を雪に見立てて、なんとも優美で艶やかな歌です。

万3832「からたちの 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ 屎遠くまれ 櫛つくる刀自(とじ)」(忌部首)
この歌、私でさえも適訳するのが憚られます… 分かりました、勇気をもってやりましょう。
『茨を刈って倉を建てようってしてんだから、向こうでクソしろや! 櫛づくりの女』
巻十六は万葉集の中でもカオスなのですが、これはその最たる例。迫力もさることながら、当時のトイレ事情も分かったりして、私としては非常に心に残るのです。

おまけ(言霊)

古代の日本人はことばに霊力が宿っていると信じていました。
万894「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ やまとの国は 皇神(すめがみ)の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継かひけり…」(山上憶良)

ですから安易な「言あげ(言葉に出して言うこと)」は否定していたのです。
万3253「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする…」

この御製歌には、ことばの呪術的な力を強く感じます。
万27「よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ」(天智天皇)

一方で、こんなふざけた歌もあります。
万1538「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花」(山上憶良)
大切な言霊が、安易な“七草おぼえ歌”に消耗されています。
しかも詠み人は憶良、なんだか面白いです。

万葉集のカオス、感じていただけましたか?
実のところこの混迷状態は、時代の写し鏡といえます。

万葉集の骨格をなす歌が盛んに詠まれた白鳳時代(天武、持統朝から平城京遷都まで)は、国内外で大規模な戦争が勃発したまさに混沌の時代でした。天皇の言挙げ歌や防人、東歌もこのような時代背景があって詠まれたのです。
令和の出典となった「梅花の宴」だってご多分に漏れません。彼らが集った大宰府は、大陸に対する国防の要所だったのです。優雅な宴会は、緊迫した日常を少しでも和らげるカタルシスだったのです。

万葉集の魅力を古代日本人の「おおらかさ」とか「優しさの原点」だとか一面的に賛美するのはやめましょう。
カオス!!! これこそが特徴であり最大の魅力なのです。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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