三十一番「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」(坂上是則)~ 百人一首の物語 ~

三十一番「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」(坂上是則)

三十一番は坂上是則、忠岑に続き有明の月であるがおもしろいのはその詠まれ方、前回ご紹介したように“有明月”は男女の別れを伴って詠まれるのが通例だが、この歌は単純な風景歌に仕上がっている。
しかしほの白く漂う月を一面の雪の景色に見立てるのはいささか無茶がすぎよう、「見るまでに」と野暮な念押しせずには成立できぬ難ありの歌だ。

と、ケチをつけるのはこれくらいに、是則の歌からはちょっとした気づきが得られる、それは歌枕としての吉野の変遷だ。

上中下そして奥、「千本桜」で知られる吉野といえば“桜”の名所と思いきや、是則はこれを“雪”の名所に据えている、いかなる算段か。実のところ“吉野=桜”という観念が一般化したのは平安も中ごろ、後拾遺集※1あたりからで、それまで吉野は雪であったのだ。ちなみに古今集の冬部を見渡しても、詠まれた歌枕はすべて吉野の山※2である。

古来、吉野は山岳信仰の地であった。ほどなく役行者が金峯山寺を開き、その際、桜の木に感得した蔵王権現を彫って本尊とした。これが御神木として桜が保護、寄進される契機となり今の千本桜へと発展したという。
平安も末期以降には西行※3に代表される歌はおろか、「義経千本桜」といった浄瑠璃なども吉野を桜の聖地として決定、歌枕としての観念は固定化されたのであった。

ところで吉野はもれなく紅葉も美しい。ようするに歌人にいや日本人にとって心の歌枕、聖地ということだ。

※1「吉野山八重たつ峯の白雲にかさねてみゆる花桜かな」(藤原清家)
※2「み吉野の山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ」(壬生忠岑)
※3「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬかたの花を訪ねむ」(西行)

(書き手:和歌DJうっちー)

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