【百人一首の物語】四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人)

四番「田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山部赤人) 唐詩では杜甫を「詩聖」と称えますが、和歌でも歌の聖(ひじり)といわれる方がいます。だれあろう三番柿本人麻呂と四番山部赤人のご両名で、大伴家持にし...

【百人一首の物語】三番「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂)

三番「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂) 平安王朝の物語といえる百人一首を章立てした場合、冒頭から十二番まではさしずめ「王朝の幕開けと伝説歌人」と呼べるでしょう。その伝説中の伝説、...

【百人一首の物語】二番「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇)

二番「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇) 持統天皇はご存知のとおり天智天皇の娘です。叔父である天武天皇の妃となり草壁皇子を生みました。 じつのところ天智・持統のように百人一首には親子がなんと十八...

【百人一首の物語】一番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇)

一番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇) 一番歌に天智天皇を据えた、ここに百人一首という百首歌の編纂目的がおのずとみて取れます。それは端的に「平安王朝の歴史物語の再現」です。 歌集というも...

実況! 六百番歌合「枯野 十三番」~源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり~

時は建久五年(1194年)、左大将良経主催による歴史歴な歌合せが行われた。世にいう「六百番歌合」である。これはその模様を和歌DJうっちーの解説のもと、面白おかしく実況しようという試みである。 実況:六百番歌合せは知らなく...

実況! 六百番歌合「余寒 十二番」~俊成の絶賛~

時は建久五年(1194年)、左大将良経主催による歴史歴な歌合せが行われた。世にいう「六百番歌合」である。これはその模様を和歌DJうっちーの解説のもと、面白おかしく実況しようという試みである。 実況:六百番歌合せにおける、...

ML玉葉集 秋上(令和二年八月)

令和和歌所では、ML(メーリングリスト)で歌の交流をしています。花鳥風月の題詠や日常の写実歌など、ジャンル不問で気の向くままに歌を詠み交わしています。参加・退会は自由、どうぞお気軽にご参加ください。 →「歌詠みメーリング...

ML玉葉集 夏下(令和二年七月)

令和和歌所では、ML(メーリングリスト)で歌の交流をしています。花鳥風月の題詠や日常の写実歌など、ジャンル不問で気の向くままに歌を詠み交わしています。参加・退会は自由、どうぞお気軽にご参加ください。 →「歌詠みメーリング...

谷津干潟朝景

令和二年七月十六日 五月雨雲の切れ間からお日様の顔出せば、久しく会へぬともがきに会える心地す。今日はテレワアク始まつてより日課となりぬランニングに出でにけり。道端の紫陽花色あせてめずらしきさまもつひに尽きぬべし。かたや朝...

雨世に寄す

新暦文月の五月雨いまだ降りやまず、二十日ばかりも過ぎぬべし。余が住まふ下総が習志野はしとしとと優しき雨なれど、肥後豊後に降るはすさまじく球磨川町を飲みて人命多く奪ひけり。しかのみにあらず昨日は余が故郷出雲が近き石見の江川...

実況! 六百番歌合「余寒 四番」~俊成の公平中立~

時は建久五年(1194年)、左大将良経主催による歴史歴な歌合せが行われた。世にいう「六百番歌合」である。これはその模様を和歌DJうっちーの解説のもと、面白おかしく実況しようという試みである。 実況:DJうっちー、次は?D...

実況! 六百番歌合「元日宴 五番」~俊成の気迫~

時は建久五年(1194年)、左大将良経主催による歴史歴な歌合せが行われた。世にいう「六百番歌合」である。これはその模様を和歌DJうっちーの解説のもと、面白おかしく実況しようという試みである。 実況:さあ、次いきましょう。...

としよりは斯く語りき「神祇のおもしろエピソード」~和歌中級者におくる至言~

むかし、としよりはこのように語った… なんかワシの話がつまらんというような顔をしとるのお。しょうがない、今日はちょっと面白い歌を紹介してやろう。神祇の歌じゃ。 「近江なる筑摩の祭りとくせなむつれなき人の鍋の数見む」 知っ...