【百人一首の物語】四十五番「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」(謙徳公)

四十五番「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」(謙徳公)   

「謙徳公」というのはいわゆる諡号です。貴人が死後、生前の行いを尊んで贈られた名前ですから、よほどのエリートだと思いましたが、なるほど、謙徳公は摂政で太政大臣まで昇った人でありました。ちなみに二十六番の「貞信公」は摂政で関白です。
謙徳公は本名を藤原伊尹といいます。ん? 漢字読めました? 伊尹と書いて“これただ”もしくは“これまさ”と読むのですが、正直わたしは初見で読めませんでした。

まあこのように謙徳公は超エリートであったわけですが、さらに歌の方も得意だったんです。勅撰集には四十首弱も採られ、あの梨壺に設けられた和歌所の別当、つまり監督者となり「後撰和歌集」の編纂にも深く関りました。後の藤原良経(後京極摂政前太政大臣)を彷彿させますが、加えてもう一つ、良経との共通点があります。それは早逝した、ということです。

謙徳公は摂政、太政大臣という人臣を極めた翌年、いよいよという時に病気で亡くなってしまいました。四十九歳だったといいます。以後、子孫は振るわず権勢は弟の兼家の家系に移ってしまうのですが、前代の時平の後をみても分かるとおり、身分が固定化してしまった世界では、健康で長生きすることこそが、子孫のためにもとても大切なことであったのです。

さて、百人一首の歌は恋の歌です。でもどうでしょう、とても悲しい歌です。「私のことを哀れんでくれそうな人も思い浮かばず、きっと一人むなしく死んでしまうのだろう…」。深い絶望に沈む権力者、はたして人生とはなんであるか? 私のような庶民とはいくぶん距離のある、そんな感じのする歌です。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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