「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当」第六回 京都歌壇と小澤蘆庵

真淵の事業は江戸においてなされ、門流は諸方に散り、和歌の上では、橘千蔭、村田春海などが、やはり江戸において活躍しました。当時の文化の中心はもちろん江戸でしたし、しかもそこには新興の元気と自由がありました。新風をおこす上で江戸が天下に先立っていたのは、まさに当然といえます。

その真淵が起した新風の、その対抗はどこにあったかといると、それは江戸ではなくて京都でした。京都の公家、堂上家の連中でした。あらゆる文芸のうち、和歌は伝統の久しくもっとも保守的なものです。平安朝時代に公家の占有物とされた和歌は、鎌倉、室町時代の文芸の暗黒時代においてますますその風を強くしました。今や社会は、明らかに武士のもので、武士のあいだに好学の精神が盛んに起ってはいますが、和歌だけは積年の習慣から、やはり公家連中のもののように思われていました。契沖、荷田在満、賀茂真淵などこの偶像を破壊する運動を起し、それぞれ相応の効果をおさめてはいましたが、これを社会的に見ると、和歌の中心はまだまだ京都にありったのです。堂上家の勢力は一朝にして失はせられるようなものではありませんでしたが、公家の京都において新風を起し、確実に革新の功を収めたのはこれを前にしては小沢蘆庵、後にしては香川景樹です。彼らの手によって、京都の和歌はほとんど完全に革新されたのでした。

蘆庵の没したのは享保元年で、真淵よりは三十年ほど後です。公家の満ちている京都を革新するには、これほどは遅れなくてはならなかったともいえます。
人としての小澤盧庵を見るには歌論の方を先とすべきでしょう。革新者としての彼は当然のこととして歌論を吐いています。その著名なものが「布留の中道」です。彼の歌論は実に明晰で何らの注を要しません。彼自身としては、ほとんどその歌論の背景となっているのを言っていませんが、間違いなく当時の京都の堂上家を相手としたのです。あるいは堂上家から教えをうけてかかる天下の歌人を相手としたものでした。

当時の京都には、多くの歌の宗匠家がありました。武者小路家、烏丸家、冷泉家、姉小路家、芝山家などで、それらがそれぞれに門戸を張っていました。盧庵が和歌を学んだ冷泉為村にしても、日本全国門人のいない国はないとみづから言っていたほどです。京都で盧庵と並び称されたほどの歌人々もこれらの家のうちの門人であったので、その大勢は知られることでしょう。

これらの諸家は家は異なっていますが、その教えるところは一つ。すなわち藤原定家を宗としてあるものです。その歌風も歌論も一に定家を学んでしか学びえず、学びえないところからさまざまな尾ひれをつけたものです。
彼らの歌は、彼らの実生活からは遊離したのでした。夢みてるところの美の世界のもの。歌とはそうしたので、それ以外のものではないとしていました。この解釈は彼ら自身でしたのではなく、かれら宗匠家の祖先である藤原俊成、定家などが鎌倉時代の初期においてしたので、それをそのままに継承してみたのです。すでに俊成や定家のこの解釈が、実生活の上の失意、苦痛から逃避するためのものであったか知れないのに、彼らに至ってはその失意、苦痛もさえも忘れてしまって、弛緩した生活気分から、それを唯一無二のものとしていました。それには、彼らの祖先が優れた人で、新意を出そうにも出せない、ということも伴っていたかもしれません。しかし、彼らとしては祖先を尊崇するという美名も持ちえて、おのずから甘んじたといるところがあったのす。ようするに中世の文芸の暗黑時代に、和歌をもって生活の資を得る方便として、それをするには祖先を売り物とするのが便利だという浅ましい事情を伴っていたということです。

ただ彼らは和歌の上でちゃんと努力していた。いい歌論をしてある人も少くはなく、実際に相応に優れた人名あった。しかし、いづれも前に言った解釈のうちにしていたのです。ですから彼らの歌は「優にやさしい」のでありました。祖先の作つた「優にやさしい」の延長であったのです。しかし時代が移る以上、新味は求めなくてはおられない。しかしその新味は、そうした意味の「優にやさしい」うちでの新味であった。古歌のかれとこれを綴り合せる上から得られる新味ということで、つまりは修飾の上での新味であり、それ以外にはありません。この意味の新味はやがて奇なるのとならざるを得ず、それより外には行くところがなかった。残念ながら彼らのしてみたのはそれだけだったのです。努力してそれをしてみたのです。

小澤盧庵の学んだ歌も、そうした歌でしたが、ついに彼はそれに反対して、革新を唱へるに至ります。そしてその唱へきったところを、余命の短きを思ったころに、後の人の為と思って筆にしたのが、今日残ってところの 歌論「布留の中道」であったのです。【つづく】

(書き手:歌僧 内田圓学)

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