十二番「天つ風雲のかよひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」(僧正遍照)
十二番に登場するは僧正遍照、ここに最後の六歌仙が登場し“伝説歌人”の章は区切りとなる。
ところで仮名序には「僧正遍昭は歌のさまは得たれどもまことすくなし」とあり、なるほどと膝を打つ。歌の風体は素晴らしいが本質に欠ける、ようするに上っ面は見事だがその内容は戯言ばかりとの非難、まさに同意だ。
この百人一首歌などは完全にその類だろう。「天つ風雲の通ひ路…」などと流麗に上句を仕立てるが、言いたいことは「きれいなねーちゃん、ずっと見てたい(ヨダレ)」なのだから。
(念のため補足すると、歌の「をとめ」とは五節の舞姫を指し、豊明節会を飾る可憐な舞姫を天女に見立て歌ったものだ。かつて天武天皇が吉野に行幸したさい、天女が空から舞い降りて天皇の弾く琴にあわせて舞ったという伝説がその由来だという)
さて遍照のおふざけであるが、特筆は大和物語で中でも小野小町の誘いに応えた歌※1に見える多情には驚きを超えて呆れてしまう。なぜなら彼は坊主であり、それも僧正という僧官の最上位たるポジションにまで昇った人なのだ。確かに、これらの艶っぽい歌々を詠んだのは出家の前である。遍照は俗名を良岑宗貞といい桓武天皇の孫という高貴な出自、恩顧を受けた仁明天皇が亡くなったのを機に出家に至った。しかしこれだけ旺盛な色欲が俗世を離れるのみで消えたら世話ない。
だから実際に消えなかったのだろう。遍昭は貴賓の人に好まれた。七十の賀の折にはなんと光孝院から恋歌にも似た歌※2を贈られている。業平しかり実方しかり、色男こそ人に好かれてしまうのは不変の真実なのだ。
ということで私も熱烈な遍照ファンを公言してはばらない一人である。彼をそこいらのエロ親父のごとく貶めてしまったが、これは遍照一流のユーモアをつうじて高踏文芸に思われがちな古典和歌に親しんでほしいという方便だ。
※1「世をそむく苔の衣はただ一重かさねばうとしいざふたり寝む」(僧正遍照)
※2「かくしつつとにもかくにも永らへて君か八千代にあふよしもがな」(光孝院)
(書き手:内田圓学)
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