九十八番「風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける」(従二位家隆)
風で秋を知る、というのは和歌の定石で百人一首では七十一番がこの一手で詠まれています。九十八番はそれを踏まえつつも本意は往く夏を惜しむ心であって、この季節を厭った平安歌人にはけっこうめずらしい詠みぶりではないでしょうか。
「なら」には「楢」と「ならの小川」が掛けられています。これは上賀茂神社を流れる御手洗川のことで、夏の終わり、つまりその地で行われる六月末の「夏越の祓」だけが、夏であることを知らしめてくれるのだと詠っています。
小川と禊ぎから得られる清涼感が抜群で、体感の上で季節は間違いなく秋でしょう。しかし人間とは身勝手なもので、暑さで歌どころではなかった歌人が秋を確実にして、やっぱ夏もいいもんだよねぇと二枚舌に興じる。まあこれこそ移り気の風流人らしい歌なのかもしれません。
しかし感心できないのはこの歌、本歌となる歌を足して2で割っただけだということです。
「みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと」(八代女王 )
「夏山のならの葉そよぐ夕暮れはことしも秋の心地こそすれ」(源頼綱)
九十八番の三句目にある「夕暮れ」に唐突感があるのは、見てわかるように本歌に依存しているからなんですね。私としては「夕暮れ」の情景なんてないほうが、一首が見事にまとまっていいと思うのですが。
詠み人は藤原家隆。妻は寂連の娘で、歌は俊成に学んだという人ですから完全に御子左ファミリーの一員です。定家との関係はというと、じつは自他ともに認めるライバルで、家隆の歌力を定家はおおいに認めていました。新勅撰集では家隆の歌を最多で撰んでいますし、百人一首歌も「今度ノ宜シキ歌、唯六月祓バカリ尋常ナリ」と評価しています。
じつのところ家隆こそ、だれよりも新古今らしい新古今歌人でありました。「新儀非拠達磨歌」と揶揄された新風をだれよりも極めたのが、この藤原家隆という歌人であったのです。
「梅が香にむかしをとへば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる」(藤原家隆)
「ありあけの月まつ宿の袖の上に人だのめなる宵の稲妻」(藤原家隆)
「志賀の浦やとほざかりゆく浪まより氷ほりて出づるありあけの月」(藤原家隆)
難解とされる定家の歌に輪をかけて複雑な情景、抒情ともとれない凡人にはイメージすることさえおぼつかないコトバの芸術。ここまで新古今ぶりを先鋭化させたのはこの家隆と俊成女くらいでしょう。(百人一首歌の平凡な清涼感は、家隆の魅力と真逆にあるように思えます)
新古今という歌の革新は、決して一人の天才のみで成したものではありませんでした。革新を競い合うライバルそしてそれを認め合う主と場があってこそ、奇跡的に生まれたのです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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