珍しい歌だ。「さあ時雨よ、物思いに紅涙で濡れる袖がなかったら、木の葉の後に何を染めるんだい?」。木の葉を赤く染める時雨、これを涙の隠喩として憂いをほのめかすのが習いであったが、今日の歌はその「袖」がないとしたらどうする? と半ば挑発的だ。しかし詠み人を知って納得する、大僧正慈円。彼の百人一首歌※を思い出してほしい、袖は墨色に染まっていて時雨が色を染める余地などすでになかった。
※「おほけなく憂世の民におほふかなわがたつ杣に墨染の袖」慈円
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